09

 愛する人との逢瀬を邪魔されたうえ、最初に出会ったときのように自分たちのことを侮辱された形のカチューシャ。だが、今回の彼女の表情は、何故か嬉しそうだった。


わたくしの『箱』から脱出なされたということは……お二方ふたかたとも、『箱』の中で『愛を確かめあって』くださったのでございますね? ああ、なんて喜ばしいことでしょう! そのようにして、淑女とメイドは常に愛し合う存在でなければいけませんわ。わたくしとスズカのように……」

「ふ。笑えない冗談を言わないで、って最初に貴女に言わなかったかしら? この私が、貴女ごときの命令に従うわけがないでしょう? 増して、あんな下らない『脱出条件』なんて、完全に無視してたわよ」

「はて……? それは、どういった意味でございますか?」

 本当に、意味が分からない、という表情で首をかしげるカチューシャ。

わたくしの『箱』の力は、絶対です。一度入ってしまったら、その中に書かれている『脱出条件』を実行するまでは、出る事はできません。ですから、今あなた様がたが『箱』の外にいる以上、それはすなわち、わたくしが提示させていただいた『脱出条件』を実行なされたということで……」

「いいえ」

 言葉を遮る瑠衣の主の淑女。続けて、強く断言する。

「それは、あくまでも貴女の『箱』の力が正しく発動・・・・・していたときの話でしょう? でも、悪いけど今回はそうじゃなかったの。今回は、貴女の『箱』は中途半端で、ちゃんと正しく発動出来ていなかった。だから、私たちは貴女の与えた下らない条件なんて無視しても、余裕で『箱』から脱出することが出来たのよ!」

「『箱』が、正しく発動していなかった……? まさか、そんなことは……」

「あ、あの……! こ、これは、私たちが『箱』に閉じ込められそうだった時に、沼戸先輩が言ってたことなんですけど……!」

 ただ黙っているのも退屈だったのか、瑠衣も口を挟む。


「カチューシャちゃんの『箱』って、『力づくでは絶対に抜け出すことは出来ない』んだけど、『箱の中に必ず脱出するための条件が書いてある』……んですよね? で、しかもその条件っていうのは『とても簡単なこと』だって、沼戸先輩言ってましたよね?」

「え?」

 突然話を振られた涼珂。少し考えるようなポーズを取ってから、その問いに答える。

「そうだね。僕、たしかにキミたちに、そんなことを言った気がするよ。だって、そうだろう? カチューシャの力はほとんど無敵って感じだから、そんなふうに少しでもヒントをあげないと、キミたちがかわいそうだと思ったのさ」

 そう言って、カチューシャに微笑みかける涼珂。カチューシャもそれに応えて、涼珂に微笑み返す。スキあればすぐにイチャつこうとする彼女たちだ。

 涼珂と視線を合わせたまま、カチューシャは彼女の説明に補足した。

「はい。スズカの言っていることは間違いないです。わたくしの『箱』は『力づくでは抜け出せず』、中には必ず『簡単に実行可能な脱出条件が書いてある』のでございます。ですから、お二方はその『脱出条件』を実行して……」

「ええ、そうだったわね」

 また彼女が、言葉を遮る。

「ようするに、その『本来なら簡単に実行可能な脱出条件』が、簡単に実行・・・・・できない・・・・ものになってしまっていたのよ。だから、貴女の『箱』の拘束が不十分になって、私たちが出てくることが出来たの」


 それから彼女は、最初の戦いのときのように周囲を優雅に歩きながら、説明を始めた。


「そもそも貴女の『箱』に書かれていた、『淑女とメイドが愛を確かめ合わないと出られない』という文章……常にイヤらしい事を考えているような、どこに出しても恥ずかしいくらいに低俗な私のメイドは、すぐに肉体関係のことを想像したみたいだけど。最初に貴女が言っていたことや、本来の言葉の意味を考えると、もっと精神的なことでもいいのでしょう?」

「う……」

 今は、もっぱらカチューシャに向けて話しかけている彼女。しかし瑠衣には、それが遠回しに自分を非難しているようにしか思えず、うめき声のようなものをあげてしまった。

 そんな彼女には気づかずに――あるいは、気づいていて、あえて無視しているのか――、瑠衣の主は言葉を続ける。

「『愛を確かめ合う』の愛は友愛、友情、信頼関係のこと……要するに、メイドと淑女がお互いの気持ちを把握して、お互いを信頼しあえばいいってことでしょ? まあ、それ自体はたしかに、実現不可能な難題とは言えないわ。普通の状態なら、やろうと思えば充分に達成可能な、『簡単に実行可能な脱出条件』と言っていいと思うわ。……でもね、今回に関してはその『脱出条件』は、『簡単に実行可能』なんかじゃなかったのよ」

「はて?」

「うん?」

 その言葉を聞いて、怪訝な顔をするカチューシャと涼珂。

「……」

 ここに来る前に、すでに主の淑女から『真相』を聞いてその言葉の意味を知っていた瑠衣は、真剣な表情で主の姿を見ている。


「実は、私たちは『箱』に入る少し前から、『ある事情』によって『言葉を制限されていた』の。そのせいで、私のメイドはずっと私のことを『お嬢様』なんていう平凡な呼び方で呼んでいた。……それに私も、昨日の戦いで頑張ってくれた自分のメイドに対して、いつまでたっても『感謝の気持ち』を現す事が出来ずにいたわ」

「……へ?」

「私は、私のことを『お嬢様』なんていう、つまらない呼び方で呼ぶメイドのことを、心から信頼することは出来ない。それにメイドの瑠衣だって、私が常に厳しくあたっているだけだったら、主の私の気持ちを疑ってしまうでしょう? だから、その『言葉を制限するある事情』を与えられていた私たちにとっては、『箱』に書かれていた『愛を確かめ合う』という条件は、決して『簡単に実行可能』なんかじゃなかったの」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ」

 そこで今度は、戸惑い気味の涼珂が口を挟む。

「え、えっと……? キミたちが『ある事情』で『言葉を制限』……って言ってるのがどういうことなのか、僕には未だにいまいちよくわからないんだけどさ。でもそれって結局、そっちの都合だろ? カチューシャの『箱』とは関係ないんだから、それでカチューシャの力の拘束が不十分だったっていうのは、ちょっと納得出来ないよ! っていうか、それじゃただのたちの悪いクレーマーにしか思えないんだけど……」

「あら?」

 そんな涼珂をからかうように、微笑む彼女。

「私たちの言葉を制限していた『事情』が、『箱』とは無関係ですって? そんなことを言うってことは、貴女もまだ気づいていなかったのね」

「え? 気づいていない、って……何を?」

「だって私たちの『言葉を制限する事情』……瑠衣に、私の名前を忘れさせた『事情』は、まさに貴女の主の『箱』の力によるものなのよ? 実はそこの彼女は、私たちを『箱』に閉じ込める前に、既に『あるもの』を別の『箱』に閉じ込めていたの。だからその『箱』の効果によって、『箱』の外にいた私たちはその『あるもの』のことを忘れてしまっていた。私たちが『言葉を制限』されてしまっていたのは、そのせいだったのよ」

「しかし、もしもそれが正しいとしますと……その効果はあなた様がただけではなく、この、わたくしたちも……」

「ええ。もちろんそうよ」

 カチューシャの言葉に、うなづく彼女。

「『箱』に閉じ込めたもののことを、『箱』の外の人間の記憶から忘れさせてしまう。それが、貴女の力よね? だから、貴女が事前に『箱』に閉じ込めてしまったその『あるもの』のことは、当然貴女たち自身だって忘れてしまっていたのよ。だってそうでなければ……貴女は私たちに、カチューシャ・・・・・・なんて・・・名乗らなかった・・・・・・・はずだものね?」

「まあ……」

 カチューシャが、驚きの表情を作る。

「え? え?」

「……ふぇ?」

 相変わらずわけがわからない涼珂と、ここに来る前に事前に主から話を聞いていたが、今の話については初耳だった瑠衣。彼女たちは同じようなキョトン顔で、自分たちの淑女たちに向けて交互に目を動かしている。


「そもそも私……一番最初に貴女がカチューシャと名乗ったあのときから、ずっと違和感を感じていたのよ。それは……」

「あ、もしかして!」

 いよいよ主の話が核心に近づいてきたというところで、何かを思いついた瑠衣が、また口を挟む。

「お嬢様、突然彼女が自己紹介のときに『頭につける装飾品』の名前を言ったから、違和感を感じちゃったとかですか? あー、じゃあ知らないんですね? カチューシャっていうのは日本だと装飾品として有名ですけど、実はもともとは人の名前なんですよ。だから、彼女が自分のことをカチューシャって呼んだって、それは何も不思議なことなんかじゃなくって……ふ、ふぎゃっ⁉」

 えつにひたって喋っていた瑠衣の頬を、『箱』の中でやったように片手でつまんで黙らせる主。

「瑠衣、貴女またそういう下らない事を言って……そんなにこの口を縫い付けてほしいの?」

「ほへ……そ、そんな、ことは……にゃいです、けど……」

「心配しなくても、この戦いが終わったらちゃんとやってあげるから、今は少しおとなしくしていなさいね?」

「……は、はひぃ」

 笑顔でそんな恐ろしい事を言う主に圧倒され、瑠衣はもう何も言うことができなくなってしまった。

 それから彼女の主は、話をもとに戻した。


「もちろん私は、『カチューシャ』がこの世界で言うところのロシア語圏の人名だってことくらいは、知っていたわ。昨日、学校の図書室で読んだ本の中にも、そういうことが書いてある本があったからね。だから、私が違和感を感じたのはその名前自体じゃない。私が違和感を感じたのは……その名前が正式な名称ではなく、親しい間柄で呼び合うときの名称……すなわち、『愛称』だったってことよ。大げさなまでに丁寧な話し方で、礼儀を重んじることが好きそうな貴女が、初対面の私たちに対して『本名を名乗らずに愛称だけで自己紹介してきた』こと。それが、私が最初に感じた違和感なのよ」

「……はい、そうですね。それは、我ながら大変失礼なことだったと思います。ですが、仕方が無かったのです」

 すでにそのときにはカチューシャも、目の前の対戦相手の言葉が真実であることを、受け入れているようだった。彼女はおもむろに、何かを探すような仕草をし始める。

「ええ、そうでしょうね」

 その様子に、瑠衣の主は満足げにうなづく。

「あのときには貴女は既に、『自分の本名を忘れてしまっていた』のでしょう? だから、それが私たちに対して失礼だと分かっていても、愛称で名乗るしか無かったのよね?」

 彼女は話を続けながら、カチューシャたちの方へと近づいていく。

「でも、それによって私は最初から違和感を持つことが出来て……結果的に、自分たちが置かれている状況に気づくことが出来た。そして、『あるもの』が既に『箱』に閉じ込められているということ……それによって『脱出条件』が達成不可能になっていることに気づいて、『箱』から出てくる事ができたというわけなの」

「あ……」

 そこで、自分のドレスの懐をまさぐっていたカチューシャが何かを見つけたらしく、手を止める。そして、その見つけたものを自分たちがいたスイーツショップのテーブルの上に置いた。それは一辺が五センチ程度の、小さな四角い『箱』だ。

「さあ、答え合わせクライマックスの時間よ。『私の名前』を忘れさせ……『私が瑠衣に言いたかった言葉』を忘れさせ……『カチューシャの本名』を忘れさせたもの……。それらに共通する、『箱』に入っている『あるもの』の正体、それは……」

 瑠衣の主の淑女は、その『箱』に向かってまっすぐに手を伸ばす。

 既に彼女に話の主導権を委ねていたカチューシャは、それを邪魔することはない。


 そして、彼女がその『箱』にふれると……そこに閉じ込められていた『もの』が、彼女たちの前に飛び出してきた。


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