03

わたくしは……カチューシャと申します。どうぞ、以後よろしくお願いいたしますわ」

 可愛らしいピンク色のドレスと、同じ色の蝶結びの髪留めを身につけた少女――明らかに、対戦相手の淑女レイディ――はそう言って、スカートを軽く持ち上げて上品なお辞儀をする。

 すると、彼女の横にいたショートカットで長身の人物も、

「僕は、沼戸ぬまと涼珂すずか。この学校の三年で、バスケ部に所属している。これでも女の子たちの間じゃあ、まあまあの有名人だと思ってるんだけど、キミは知っているかな?」

 自信に満ち溢れた様子でそう言って、ハンサムな微笑みを浮かべた。


「……ふん」

「え……あの、えと……古本、瑠衣……です」

 何故か不機嫌そうに眉間にシワを寄せているだけのあるじと、突然のことに驚きつつ、それでも一応自己紹介を返すメイドの瑠衣。いつの間にか彼女の格好は、昨日の戦いのときのような地味なメイド服姿になっている。

「え? え? こ、これってまた、昨日みたいな戦いが始まるってこと……? え? じゃ、じゃあ、あの人たちって、も、もしかして……?」

 ワンテンポ遅れた状況把握で、そんなことを口走っている。


「まあ! 戦いが始まると、服装が変わるのですわね⁉ ああ! スズカの今の格好、すごく素敵だわ! とっても似合っていますわよ」

「はは、そうかな?」

 案の定、昨日のときと同じようにメイドの格好には個人差があるようだ。沼戸涼珂と名乗ったボーイッシュな少女の服装は、瑠衣のようなメイド服ではなく、真っ白いシャツに黒のジャケットの燕尾服。いわゆる、執事をイメージしたような格好だった。

 涼珂は、まるで本物の執事として働いていたことがあるかのようにさまになっている仕草で、図書室の床に片膝をつき、彼女の主のカチューシャの手を取る。そして、

「ご冗談はおやめください。お嬢様のほうが、何倍も素敵ですよ?」

 と言って、彼女の手の甲に優しくキスをした。


「ああ、スズカ……。貴方はどうしていつもそうやって、わたくしの心を惑わせるようなことを、してくださいますの?」

「それは違うよ、カチューシャ? いつだってカチューシャのほうが、ずっとずっと僕の心をかき乱して、めちゃくちゃにしているのさ。おかげで僕の頭の中は、今もこんなにカチューシャのことでいっぱいなんだから……」

「……もう、スズカったら」

「ああ、カチューシャ……」

 彼女たちは見つめ合い、徐々に顔を近づけていく。

 上品で可愛らしいお嬢様カチューシャと、ハンサムなメイド涼珂が、お互いのことを愛おしく思いながら見つめ合っている。誰の目にも明らかな彼女たちの気持ちを改めて確認するように、お互いの唇を近づけていく。それは、ロマンチックな恋愛映画のワンシーンのようだ。

 それからやがて……彼女たちの唇の間をつなぐ線分の長さがゼロに収束し、淑女とメイドが「愛」という一つの形に結合する……その直前で。

「ふんっ……馬鹿らしい」

 そんな、水を差す言葉が聞こえてきた。



「……あら?」

 ピクッと一瞬眉を動かし、顔を涼珂に近づけていたのをやめるカチューシャ。

「先程……どなたか、何かおっしゃいましたでしょうか?」

 静かに首を回して、瑠衣たちの方を向く。


 それは、一見すると涼珂と話していたときと同じような可愛らしい笑顔、ではある。

 だが、よくよく見るとそこには、何らかの感情・・・・・・の爆発を抑え込んでいるような、ぎこちなさがあった。

「馬鹿らしい……などという場違いなお言葉が、聞こえたような気がしたのでございますが? もちろん、わたくしの、気の所為せいでございますわよね……?」

 明らかに、さっきの言葉が「誰」の口から発せられたかを把握しているらしいカチューシャ。無言で訂正を求めるような圧の強い視線で、その「人物」のほうをじっと見つめている。

 しかし、『傲慢お嬢様』の二つ名を持つその「人物」が、そうやすやすと自分の言ったことを訂正などするわけがなかった。


「あら、気の所為じゃないわよ? 貴女が聞いたように、私さっき確かに、『馬鹿らしい』って言ったわ。……というか、もっと正確に言い直すなら、今の貴女のことを『完全に馬鹿だ』って思ったのよ」

「ま、まあ⁉」

 もはやぎこちない笑顔を崩してしまって、抑え込んでいた「喜怒哀楽の二番目にあたる感情」を、あらわにするカチューシャ。しかし、対する『傲慢お嬢様』のほうは、その感情を更に逆なでするように言葉を畳み掛ける。

「淑女のくせに、よくもまあ、さっきみたいなマネが出来るわね? 恥ずかしくないの? いいこと。淑女というのは、この世で最も気高くて高尚で、それにふさわしい権限と責任を持った、神にも等しい立場なの。そんな淑女である貴女が、自分以外の者……ましてや自分のメイドなんかに心を許して、恋人のように振る舞うのなんて……馬鹿馬鹿しすぎて笑えないわよ。メイドなんて服や装飾品と同じなのだから、適当に都合よく使って、飽きたら他の者と変えてしまえばいい程度の消耗品で……」

「ちょ、ちょっとぉ⁉ す、すいませんけど、それはさすがに、『傲慢お嬢様』が過ぎるっていうか……!」

 メイドであるはずの自分の目の前でそんなことを言われて、さすがに瑠衣も黙っていられない。しかし、口を挟もうとしたそんな瑠衣にも増して、もはやとっくに限界を超えていたのは、相手のカチューシャだった。


「まあ……まあ……まあ……。ああ、なんてことでしょう……。ご自分のメイドのことを消耗品だなんて……飽きたら変えればいいと、考えていらっしゃるだなんて……。あなた様は、なんて、お可哀想なお方なのでしょうか……」

 さっきまで激怒していたはずの彼女だったが、なぜか今は涙ぐんでいる。

わたくしには、あなた様のような方が、わたくしと同じこの世界に存在することが、とても信じられません。きっとあなた様ご自身も、心の底ではそのようなお考えを持ってしまっているご自分のことが、許せませんでしょう? 恥ずかしくて今すぐ消えてしまいたいと思っていますでしょう? 穴があったら入ってしまいたい……『箱』があったら閉じこもってしまいたいと、お考えになっておいでですわね? ご安心ください。わたくしが、今すぐあなた様を、楽にして差し上げますので……」

「ふんっ。今のは、少しだけ笑える冗談だったわね? 『楽にする』、ですって? この私を、貴女ごときが倒せるとでも思っているの? 私と貴女の圧倒的な格の違いを思い知っても、まだ同じことが言えるかしらね? ……瑠衣! 準備はいいわね⁉」

「は、はいっ!」

 その言葉を合図にするように、瑠衣のメイド服の右袖が弾け飛び、紫色のオーラに包まれる。『極上の使用人メイド・イン・ヘブン』の力が発動されたのだ。

「さあ、やってしまいなさいっ!」

「う、うわぁぁー!」

 と、命令された瑠衣は無計画に、カチューシャたちの方に向かって右手を突き出して襲いかかっていった。


 しかし、そのときだった。



 パタ、パタ、パタ、パタ……。

 瑠衣が向かっていた方向の図書室の床が、突然直角に・・・立ち上がって・・・・・・、「床」だったはずのものが「壁」のように瑠衣の進行方向に立ちふさがってきた。

「……へ?」

 突然壁が出来て前に進めなくなって、立ち止まる瑠衣。そして彼女は気づく。「壁」になっていたのは、自分が向かっていた方向だけではない。まるで、自分たちを閉じ込めるように。画用紙に描いた展開図から直方体を組み立てるように。自分たちの周囲四方向の床が、すべて立ち上がっていたのだった。

「え、え? こ、こ、こ、これって……」

 床が立ち上がってできた『箱』の側面は、もともと一枚で出来ていたかのように、隙間なく繋がっていく。ただ唯一、その『箱』の天井はまだふさがっていなかったため、もともとの図書室の天井が見えている状態だ。その、『箱』の側面と天井との隙間から、カチューシャのメイドの沼戸涼珂の声が聞こえてきた。


「『この世界に必要ない』、『ふさわしくない』と思ったものを、強制的に『箱』に閉じ込めることが出来る……それが、カチューシャの力だよ。残念だけど、一度『箱』に閉じ込められてしまったキミたちは、もう力づくでは絶対に抜け出す事はできないからね? あと、それから……」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ⁉ そ、そんなのって……」

 涼珂の説明が終わるのを待たずに、瑠衣たちを囲っている『箱』の最後の面、今までふさがらずに開いていた天井も、ふたがされるように徐々に閉じていく。


「実は、『箱』の中に閉じ込められた物や人は、時間が経つにつれて『箱』の外にいる人の記憶からは消えてしまうんだ。だから僕としては、その『箱』から出来るだけ早く出てくることをおすすめするよ? じゃないと、『箱』の外の人たちが全員キミたちのことを忘れてしまって、『この世界には初めからキミたちなんていなかった』なんてことになっちゃうからね。あ、そうそう……それと、肝心の『箱』の外に出る方法についてなんだけど、それはとても単純なことなんだ。実はその『箱』には、内側のどこかに必ず『箱』から出るための『簡単な脱出の条件』が書いてあるから、キミたちはただそれを実行すればいいだけで……」


 パタン。

 そこでちょうど天井の蓋が閉じてしまい、瑠衣たちは完全に、その『箱』の中に閉じ込められてしまった。

 その『箱』にはどこにも穴や隙間はなかったが、どういう仕組みなのか真っ暗にはならず、太陽が雲で隠れている日と同じ程度の明るさはある。だから瑠衣は、最後に『箱』を閉じた天井面の内側に書かれていた文章・・にも、すぐに気づいた。

「こ、これって……」




 瑠衣たちが『箱』に閉じ込められる瞬間を見ていた、カチューシャと涼珂。しかし、その『箱』の天井の面が閉じて、瑠衣たちが完全に閉じ込められてしまった瞬間……、

「さて……? わたくしたちは今まで、何をしていたのでしょうか?」

 カチューシャが、さっきまでの感情の爆発が嘘のように、キョトンとした表情でそう言って首をかしげた。

「ああ、えーっと……」

 涼珂は、少し困った顔で微笑む。


(カチューシャの『箱』に長いあいだ閉じ込められていたものは、『箱』の外にいる僕たちの記憶から消えてしまう。でも実は、その力の使用者であるカチューシャ本人だけは、「長いあいだ」どころか閉じ込めた瞬間に、その『箱』の中のもののことを忘れてしまうんだよね……。それは多分、彼女の力が『世間知らず』とか『けがれを知らない』というお嬢様の側面を象徴しているからなんだろうけど……)


「ま、まあ、別にいいんじゃないかな? 忘れてしまうようなことなら、きっと大したことじゃないよ」

 そう言って涼珂は、図書室に出来上がっている大きな『箱』を主には見えないように自分の身体で隠した。

「……まあ、それもそうですね」

 カチューシャは、自分のメイドのそんな不自然な動きを特に気にした様子もなく、うなづく。

「それでは……ねえ、スズカ? 退屈しのぎに、今からゲームでもしませんか? 負けたほうは、勝った方の命令をなんでも聞かなくてはいけないというルールで」

「え、ゲーム? でもいいのかな、そんな事を言って? もしも僕が勝ったら、カチューシャはメイドの僕の言うことをきかなくてはいけないのだよね?」

「まあ、一体どんなことを命令されるのかしら⁉ 怖いですわ! でもわたくしだって、そう簡単には負けませんわよ?」

「ふふ、どうだろうね。だってカチューシャって、ゲームは苦手じゃなかったかい? さっきここに来る前だって僕と対決してたけど、全然勝てなかったよね?」

「あら、そうだったでしょうか? でも、今度はきっと負けませんわよ? 今のわたくしには、秘策があるのですから」

「本当かなあ……」

 涼珂はからかうように首をかしげる。それから、何かをひらめいたように微笑んで、言った。

「それもいいけどさ……せっかく今、この世界には僕たちしかいなくなっているみたいだし。学校の外の探検にでも行かないかい?」

わたくしたちだけで、探検……? まあ……それって、もしかして……?」

 カチューシャの頬が、ぽっと赤く染まる。

 涼珂は、「ふふ」と微笑むと、まるでロマンチックなプロポーズで指輪を渡すときのように、また片膝を床につけて、ムードを込めて言った。

「お嬢様……貴女を、デートにお誘いしてもよろしいでしょうか?」

「……はい」

 そして涼珂とカチューシャは、仲良さそうにイチャつきながら、手を繋いで図書室の外へと向かっていった。


 出ていく直前に、一瞬だけ『箱』の方を見た涼珂。別れの言葉のように、つぶやく。

「さて……。キミたちは、カチューシャの『箱』から出てこれるかな? 自分が見たくないものをこの世界から忘れさせて、存在しなかったことにしてしまう恐るべき彼女の『箱』。その名も……」




 『箱』の中。

 瑠衣が見上げていた天井面の内側には、こんな文字が書かれていた。



”淑女とメイドが愛を確かめ合わないと出られない箱”



「いや、これ……『〇〇しないと出られない部屋』じゃんっ⁉」

 瑠衣のそんな叫び声は、四畳半程度の狭い『箱』の中に響き渡った。

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