第二戦 素敵に無敵、世間知らずは負け知らず? vs 箱入お嬢様

01

 ピピピ、ピピピ、ピピピ……。


「く、うう……」

 アラームの音で、古本ふるもと瑠衣るいは目を覚ます。

 周囲を見回しても、そこにあるのは、いつも通りの自分の部屋だ。

 いつも通りの朝。いつも通りの、自分の日常。でも……。


 見た目はいつも通りのようでも、その光景は、どこかがいつもと違っているようにも思える。具体的にどこが……というのは分からないが、確かに何かがいつもと変わっているような気がする。

 いつもは灰色でつまらない日常が、まるで輝いているように感じてしまう。



 よく眠ったせいか、頭の中はだいぶ整理されてスッキリしている。ただその分、昨日の記憶まで綺麗にクリアされてしまったらしい。一日前のことなのに、うまく思い出せない。

「ゆ、め……? そっか……夢、か。そう、だよね……」

 今までずっと、不思議な夢を見ていた気がする。

 不思議で、バカバカしいほど現実離れしていて……だけど、とても楽しい夢を。


 その夢の中で、瑠衣は特別な「誰か」と出会って、「彼女」と二人でいろいろな冒険をした。その冒険の旅を通じて、自分たちの間にかけがえのない絆が生まれて、やがて自分は「彼女」のことを必要とするようになる。「彼女」もまた、自分のことを必要としてくれるようになった。何も持たず、この世界で無価値だと思っていた自分が、誰かにとっての特別な存在になることができた。

 夢が醒めてしまったことは、少し悲しい。

 でも、その中で「彼女」と過ごした時間を思い出しているだけで、そんな気持ちはどこかにいってしまう。今も残っているその夢の残り香だけで、心が幸せな気分で満たされていく。

 もうここには、夢の中の「彼女」はいない。自分を「特別な存在」にしてくれた「彼女」は、夢と一緒に霧のように消えてしまった。でも……それでも。

 瑠衣はいつものように朝食をとり、支度をして、自分の学校に向かった。


 学校に着いて、玄関口の下駄箱を開ける。すると、自分の上履きの中に紙くずが詰められているのに気づいた。遠くで、誰かが「クスクス」と笑っている声も聞こえてくる。彼女にとっては、いつもの光景だ。

 いつもの自分なら、こんな小さな嫌がらせに怒ったり、抵抗したりはしない。こんなことを早く忘れられるようにと、心を殺してなるべく何も考えないようにして、自分でその紙くずの掃除を始めただろう。そうすることが一番いいことだと、今まで散々同じような仕打ちをうけてきて、学んでいたからだ。

 しかし、今日の彼女は違っていた。


 瑠衣は、自分の上履きをゴミの詰まったまま取り出すと、靴下のままスタスタと、笑い声のした方へと向かう。そして、下駄箱の陰で笑っていた同級生の少女たちに向かって上履きを突き出して、こう言った。

「こ、こういうの……もう、やめてください!」

「は……?」

 瑠衣のそんな行動を予想していなかったらしいその同級生たちは、一瞬たじろいでしまって声が詰まる。しかし、すぐにイラつきをあらわにした表情で、反論した。

「ア、アンタ、何言ってんの⁉ 私たちがやったっていう証拠でもあんの⁉」

「……もう、やめてくださいっ!」

「だ、だから! 私たちはそんなの、知らないって……」

「やめてください!」

「う、うるさいな! 何でいきなり、今日に限って……」

 その少女たちは、今までどんなことをされても大人しくしていた瑠衣のことを、完全に自分よりも弱くて下等な存在と認識していたのだろう。まさかそんな彼女が自分たちに噛み付いてくるなんて思わず、それに対応する選択肢を持っていなかったのだ。だから、ひたすら同じ言葉を繰り返しているだけの瑠衣にも、まともに返せずに押されてしまっているようだった。


「もう、こんなことやめて!」

「う、うるさいってばっ! わ、分かったからっ! もう、分かったからっ!」

 廊下の向こうから教員がやってくるのを見つけたこともあって、逃げるようにその場を立ち去ってしまう同級生たち。残された瑠衣は、その後ろ姿をしばらくのあいだ目で追いかけていたが、やがてその視線を外し、どこか遠くの方を見つめながらつぶやく。

「きっとこんなの、まだまだだけど……。ホントに、最初の一歩かもだけど……。でも……きっと……きっといつか、なってみせますから……」

 彼女の口元は、少しだけ笑顔がほころんでいる。

「たとえ夢だとしても……。本当は、私を特別な存在にしてくれたあなた・・・は、存在しなかったのだとしても……。私は、昨日あなたが見せてくれた『夢』を忘れません。あの『夢』を現実にして……『あなたのメイド』として恥ずかしくないような人間に……。マリー様にふさわしい人間に……なってみせますから……!」

 現実離れした昨日の「夢」は、同時に、瑠衣の理想の姿という意味の「夢」にもなっていた。そして、その理想へと向かう気持ちは瑠衣に、理不尽なイジメに立ち向かう力を与えてくれていたのだった。


 彼女は胸を張り、自信に満ち溢れた様子で廊下を歩く。そして、いつもは憂鬱と苦悩に染まった表情で開ける教室のドアを、勢いよく開けた。

 すると……。




「あら、遅かったわね?」

「……へ?」

 教室の一番うしろの席。いつも瑠衣が座っている席に、「彼女」がいた。

 艶のある藍色のロングヘアーに、宝石のように美しい緑の瞳。シルクのようになめらかで、透明感のある白い肌。紫色の高級そうなドレス。いつも通りの学校の教室の中で明らかな違和感と異質感と圧倒的存在感を放っている、お嬢様。

 昨日の瑠衣の「夢」に出てきた登場人物であるはずのマリーが、「何か問題でもあるの?」とでも言わんばかりの当然の表情で、そこにいたのだった。


「い、いやいやいやいやっ⁉ マ、マリー様⁉ な、なんでここに、いるんですかっ⁉」

「……貴女、何を言っているの? この私がどうしてここにいるか、なんて……。そんなくだらない質問は、もう二度としないでちょうだいね? 私はこの地球上で最も尊くて偉いのだから、どこにでもいていいし、どこにいることにも理由なんていらないのよ?」

「い、いや、そうじゃなくってっ!」

 周囲を見回す瑠衣。

 他のクラスメイトたちはいたっていつも通り、友達と世間話をしたり、机に突っ伏して眠ったりして、ホームルームが始まるまでの時間を過ごしている。マリーのことなんて、何も気にしていないようだ。

 普通に考えるとありえないことだが……。

 もしかしたら、あまりにもマリーの存在が現実離れしすぎているせいで、逆に周囲の人間がまだマリーに気づいていないのかも……と考え、瑠衣はマリーに顔を近づけて小声で耳打ちする。

「き、昨日のことって、『夢』じゃなくて実際に起きたことだったんですね? ま、まあ……正直それは、そんな気がしてましたけど……。と、とにかく、大騒ぎになっちゃう前に、一旦ここから出ましょう? ね? ね?」

「ふ……バカね」

 マリーは、そんな瑠衣の心配を軽く笑い飛ばす。

「そんなこと、必要ないわ。まあ確かに……本当なら、私のような高貴な存在が、貴女たちのような普通の庶民たちの中にいたら、目立ってしまってとても授業どころではないでしょうけれど…………あら?」

 と、そこで。

 瑠衣の席に座っているマリーに、クラスメイトの一人が話しかけてきた。

「マリーちゃぁーん! 先週の数学の宿題、見せてくれなーい⁉ 今日、午後の授業で私が先生にあてられる日なんだよぉー!」

 マリーはおもむろに瑠衣の机をあさると、

「数学って……これかしら?」

 と言って、瑠衣が先週のうちに仕上げておいた数学のノートを、勝手にそのクラスメイトに渡してしまう。

「あ、それそれーっ! ありがとぉーっ! お昼休みには返すからねー?」

「あら? 別にいいわよ、そんなもの。欲しければ貴女にあげるわ」

「え、ほんとぉーっ⁉ 恩にきるよー!」

 そう言って自分の席に戻っていく瑠衣のクラスメイトを、満足そうに見ているマリー。しばらくすると、気を取り直して瑠衣の方に向き直って、

「で? 何の話だったかしら?」

 と、言った。


「マ、マリー様⁉ ちょっと、私のノートを勝手に……っていうか⁉ い、いやいやいやっ⁉ ホントに、どうなってるんですか⁉ な、何が起きてるんですか⁉ 何でさっきの子、マリー様と普通に話してたんですか⁉ だ、だってマリー様は、昨日この世界にやってきたんですよね? それなのに、いきなりこのクラスにこんなに馴染んでいるのなんて、どう考えてもおかしくって……」

 そこで、瑠衣は周囲からの視線を感じて言葉を止める。

 恐る恐る見まわすと、教室内のクラスメイトたちが、何事かといぶかしむような表情で、こちらを見ている。しかもその視線のほとんどはどうやら、常識的に言えば明らかに場違いなはずのマリーの方ではなく、そんなマリーに声を荒らげて詰め寄っている、どこにでもいる普通の女子高生のはずの瑠衣の方に向けられているようだった。


 ザワザワ……ザワザワ……。

 ザワ……何、どうしたの? え、ケンカ? ザワ……わかんない。なんか、瑠衣がマリーちゃんに大声出してキレてるみたいだけど……ザワザワ……。

「え、えぇぇ……?」

 明らかに、自分の方がおかしいという周囲の空気に、瑠衣はどんどん訳がわからなくなっていく。そんな彼女にとって極めつけだったのが、その直後に教室に入ってきた教員の言葉だった。


「よーし、席つけー。ホームルーム始めるぞー。……おい、古本ー。聞いてるかー? いつまでそんなとこで突っ立ってるんだー? お前の席はー……」

 そこで、瑠衣の席に座っているマリーに視線を移し、それから、教室内に他に空いている席などないことを確認すると、その教員はこう言ったのだ。

「ああ、そういえば古本は、マリーのメイドになったんだったな? じゃあ、マリーの隣で立ってていいぞー」

「……は?」

「それじゃあ、今日はー……」

 そしてそれからは、特に何の問題もなく、いつもどおりのホームルームを始めてしまったのだった。


「ど、ど、ど……どういうことなんですかぁーっ⁉」

「うふふ。どうやら私って、『この世界に違和感なく存在できる』ようになっている……そういう『設定』として、あらかじめ決まっているみたいなのよね」

 マリーが言ったそんな言葉では、瑠衣は到底納得出来なかった。

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