11
「そういえば貴女たち、やたらと『自分の最強の能力』がどうのとか、『瑠衣が自分に勝てるはずがない』とか言ってたけど……それって、この戦いのことを何も分かってないわ」
もはや完全に勝敗が決まってしまった状況で、勝ち誇ったマリーが言う。
「私たちが巻き込まれているこれは……『お嬢様同士の単純な競い合い』でもなければ、『淑女能力による異能力バトル』でもない。まして、普段から瑠衣をイジメて優位に立っているとか、そんなこと何も関係ないの。この戦いはね……淑女とメイドが、たった一人のお互いのパートナーをどれだけ信頼して、どれだけ協力できるかで勝敗が決まる、『絆の強さを試される戦い』なのよ」
「くっ……」
悔しそうに顔を歪める小鳩。今の彼女は、気絶しているセーラに覆いかぶさられて身動きが取れなくなっているようだ。
「確かに、『相手の苦手なものを作り出す』という貴女のご主人様の能力は、とても脅威だったわ。嫌いなものが多い私のメイドにとっては、天敵と言えるほどに相性が悪い能力だし。私だって、もしも彼女がミミズを出すことが出来ていたなら、かなり苦戦していたことでしょうね。そういう意味では、条件さえ揃えば、確かに最強で無敵の能力なんて言ってもいいのかもしれない。……でもそれは、この戦いが一対一の勝負だった場合の話よ? 実際には、この戦いは『淑女とメイドのペア』が『自分たち以外の生き物が存在しない空間』で戦う二対二のタッグマッチ……つまり、お互いのパートナーと協力して、その実力を最大限まで発揮することができれば、無敵の能力だって何も怖くない。貴女たちが私たちに負けたのだって、当然のことだったのよ」
マリーはそこで瑠衣の方に視線を送り、また小さく微笑む。
「え……」
「淑女とメイドの『契約』を終えたあと……瑠衣を信じていた私は、彼女一人にこの場を任せて、自分は図書室までゴキブリの図鑑を取りに行く事ができた。一方の瑠衣も、私が必ず帰ってくるということを信じて、貴女たちの攻撃を最後まで耐え抜いてくれた。お互いがお互いを信頼して、自分に出来ることに全力を尽くした。それが、今の結果に繋がっているのよ。かたや……あろうことか、自分のたった一人の味方であるメイドが苦手とするものを、自分の能力で出してしまうような愚かな淑女。かたや、礼儀もリスペクトもなく、自分の主に対して横柄に命令するメイド。そんな、信頼や協力とは程遠い貴女たちが、強い絆で結ばれていた私たちに、勝てるはずがなかったのよ」
「マ、マリーさん……」
「この戦いの本質を見誤り、お互いのパートナーを信頼しなかった……それが、貴女たちが私たちに負けた最大の理由。貴女たちの、敗因よ」
瑠衣の目に、またうっすらと涙が浮かぶ。
しかしそれは、さっきまで小鳩に虐げられていたときのものとは、まるで意味が違っている涙だった。
「さあ、さすがにこれで分かったでしょう? だから、さっさと負けを認めて、こんな戦いを終わりに……」
そして、マリーは小鳩の方に手を伸ばして、彼女の指輪を抜き取ろうとした。
しかし、そのとき、
「……だぁらぁぁぁーっ!」
それまでの可愛らしい喋り方とはまるで違う、声を枯らすほどの気合の入った大声で、小鳩が叫ぶ。それと同時に彼女は、セーラの顔の上にあったゴキブリの図鑑を自分の真上に投げ上げた。
パリィィーンッ!
図鑑は天井の蛍光灯にぶつかり、バラバラになったその破片が、真下の瑠衣たちに降り注ぐ。
「う、うわわっ⁉」
「くっ……!」
マリーも瑠衣も、慌てて手で顔を覆って、それを防ぐ。
そして、破片が収まってから、その手を外して周囲を確認したときには……、
「だ、だから、私が瑠衣ちゃんに負けるとかありえないって、言ってんじゃんっ! ばーかばーかっ!」
小鳩はすでに瑠衣たちとは少し離れた場所にいて、そんなことを言ってから、どこかに逃げてしまったあとだった。
ガラスの破片に対して恐怖心がある小鳩にすれば、割れた蛍光灯の破片も同じくらいに怖かったはずだ。だが彼女はそんな恐怖心を、気合と「瑠衣に負けを認めたくない」という高いプライドだけで、乗り越えてしまったのだった。
「お、覚えてろよぉー……! 絶対、このままじゃ終わらせないからぁー……!」
どこか遠くで、小鳩がそんな捨て台詞を言うのが聞こえてくる。
「まったく。これじゃ、あの子の方がよっぽど『悪役』って感じじゃないの」
苦笑いを浮かべているマリー。
そんな彼女のとなりで、小鳩が逃げていった方を不安そうな表情で見ていた瑠衣が、尋ねる。
「で、でも……。小鳩ちゃんが逃げちゃったってことは、まだこの戦いは続くんですか……?」
「いいえ」
マリーは首を振る。それから彼女は得意げな表情で自分の右手を持ち上げて、瑠衣に見せた。
「あっ⁉」
その手には、さっきまで小鳩の指に付けられていた、シンプルなデザインの指輪があった。どうやら逃げられるギリギリのところで、小鳩からそれを奪い取ることに成功していたらしい。
「まあ、そもそも……ここで伸びているあの子のご主人様から指輪を奪っても勝敗は決まっちゃうんだから、いまさらあの子が逃げたって意味ないんだけどね」
そう言って、マリーは気絶しているセーラのもとに行って、彼女の指輪も抜き取ってしまった。
「この指輪を一番多く集めた淑女が、最終的にこの戦いの優勝者になれるらしいわ。最初に言ったように、私はあんまり優勝には興味ないのだけれど……『主催者』に会うという目的のためには必要でしょうね。せっかくだからもらっておきましょうか」
次の瞬間、
「……うわっ⁉」
瑠衣は、眼の前でカメラのフラッシュが光ったような錯覚に襲われた。一時的に視界が奪われるが、それはすぐにもとに戻る。すると、
「あ、あれ?」
彼女がいつの間にか着せられていたはずのメイド服が、やはりいつの間にか、元の制服姿に戻っている。マリーの『極上の使用人』の能力でボロボロにした壁も、何事もなかったように修復されている。瑠衣の右腕の紫色のオーラも消えている。
更には、セーラの能力で負わされた太ももの傷すらも、跡形もなくすっかり治ってしまっていた。
校庭のほうから、運動部の練習する声が聞こえてくる。さっきまではなかった様々な雑音が、復活している。
「どうやら、元の空間に戻ってこれたみたいね。つまり、私たちの戦闘が終了したということ……私たちの勝利が、確定したのよ」
確かに、すでのそこは『淑女とメイドしかいない戦場』なんかではなく、どこにでもあるいつもどおりの瑠衣の通う学校のようだ。
「わ、私たちが……小鳩ちゃんたちに……勝っ、た?」
これまでさんざんクラスメイトたちに虐められ、弱さを思い知らされてきた自分が、その根本原因とも言える小鳩に、勝った。
その言葉が信じられず、瑠衣は小さく震えている。
もちろん、自分一人では、どうやったってそんなことは出来なかっただろう。自分が小鳩に勝つ事ができたのは、マリーがいてくれたおかげだ。
「う、うう……ううう……マリー……さん……」
喜びと、感動と、その他のよく分からない複雑で強い感情がごちゃまぜになった瑠衣は、それに突き動かされるようにマリーに向かって走っていく。
「マ……マリーさぁーーーーんっ!」
そして、高ぶる感情のままに彼女に抱きつこうとした。
もちろんマリーも、それに対して応えるように……、
「……ぶ、ぶぐぇぇーっ⁉」
いつの間にか拾っていたゴキブリ図鑑を、駆け寄ってくる瑠衣の顔に向かって押し付けていた。
「う、うぎゃーっ⁉ ちょ、な、な、何するんですかぁーっ⁉ だ、だから私、ゴキブリも大嫌いなんですってばぁーっ!」
思いがけず拒絶されたことに戸惑っている瑠衣に、マリーは高圧的に言う。
「貴女、何を勘違いしているの? 私は、貴女の主の淑女。貴女は、私のメイドに過ぎないのよ? 立場をわきまえなさい」
「そ、そんな……マリーさん、わ、私はただ……」
「それから、戦闘中はそれどころじゃなかったから指摘出来なくて、ずっとイライラしていたのだけど……『マリーさん』じゃなくて『マリー様』、でしょう? 貴女、この私のメイドのくせに、敬語もまともに使えないの?」
「え? え? だ、だって、小鳩ちゃんなんて、自分のお嬢様のことを『セーラちゃん』とか言ってたし……『マリーさん』くらいは、別に……」
「よそはよそ! 私は私よっ!」
あんまりなマリーの言葉。それでも、瑠衣はなんとか食い下がろうとする。
「で、でもでも、私たちって、強い絆があるんですよね? お互いを信じあってるんですよね? 歳も同じくらいっぽいし……だ、だったら、呼び方くらいは親しみを込めてマリーさん……むしろマリーちゃんとか……それか、もういっそ呼び捨てでもいいくらいで……」
マリーは、冷たく言い放つ。
「はあ? 絆? そんなもの、淑女とメイドの間にあるわけがないでしょう?」
「え、えぇ? だ、だってついさっき、マリーさ……マリー様が、自分で言ってませんでした……? 私たちはお互いを信頼していて、強い絆があるって……。だ、だから、小鳩ちゃんたちに勝てたんだ、って……」
「あんなの、嘘に決まっているじゃない」
「うええぇぇぇ⁉」
口をあんぐりと開けている瑠衣。マリーは平然と言う。
「さっきまであの子たちに好き勝手やられて、私、相当頭にきていたの。なんとか仕返ししてやりたかったの。で……きっと、あの仲が悪そうなセーラと小鳩って子たちのことだから、『貴女たちに絆がないから負けた』なんて言ってあげれば、一番悔しがりそうじゃない? だから、適当に言ったの。あの子たちの本当の敗因なんて、最初から決まりきっているわ。彼女たちの相手が、常に最強で最高なこの私だったこと。ただそれだけよ」
「は、はは……ははは……」
マリーの態度には慣れてきたつもりの瑠衣だったが……改めて、彼女のその傍若無人さを思い知らされる。ただ、それに対する怒りや戸惑いは、もうとっくになくなっている。あるのは、あまりに自分とはかけ離れた彼女に対する呆れ、そして……そんな彼女に不思議と惹かれてしまっている気持ちだった。
もはや色々なことを観念し始めていた瑠衣。それでも、そこで何かを思い出して、尋ねる。
「はーあ……あ、そういえば。私ずっと、マリー様に会ってから気になっていたことが、一個あるんですけど……」
「あら、何かしら?」
自分以外のすべてのものを見下すように背筋を反り返らせて、勝利の余韻に浸っているらしいマリー。そのぶん気をよくしているらしく、瑠衣の問いかけにも、優しく応える。
「つ、つかぬことをお聞きしますが……小鳩ちゃんのパートナーの、今もそこで伸びているセーラちゃんは、確か自分のことを『悪役お嬢様』なんて言ってた気がするんですが……。この戦いに参加しているお嬢様って、みんな、そういう『二つ名』っていうか……『肩書』みたいなものが、あるんですか? もしかして、マリー様にも……?」
「……あるわよ。当然、あるに決まっているでしょう」
「え? それって、何なんですか? 確か、私の記憶が確かなら……まだ私、マリー様の『肩書』って、教えてもらってないですよね?」
「……どうして、それを知りたいの? 貴女がそれを知る必要が、何かあるのかしら?」
マリーは何故かそこで、少し機嫌を損ねたように、眉根にシワを寄せる。
「い、いやあ……必要があるかって言われると、特にそこまででもないんですけど……。でも、一応私、マリー様のメイドなんですよね? だったら、自分のご主人様のことは、なるべく知っておいたほうがいいのかなあー、なんて……」
「……」
無表情で、しばらく無言を貫き通すマリー。瑠衣は、そんな彼女の様子を不思議に思いながらも、根気強く彼女が答えるのを待つ。
「私の『肩書』、それは……」
「それは?」
マリーは、しばらく何か考えるように明後日の方向を見ていたが、ようやくその続きを言った。
「それは……『この世で最も気高く、美しいお嬢様』よ」
「え?」
「……何? 何か、文句でもあるのかしら? この私にふさわしい、何の違和感もない『肩書』だと思うけど?」
「い、いや、だって『この世で最も……』って、『悪役お嬢様』と比べると、だいぶ長くて、ネーミングのルールが違う気がして……。っていうか、普通に文章だし……。えっと、それって、本当なんですよね?」
遠慮しながらも、しっかり怪しむ視線を向けている瑠衣。マリーは、また少し考えるような間を置いてから、また別の答えを言う。
「そうね。やっぱりもっと短くして……『最高のお嬢様』だったかもしれないわね」
「え? 最高を決める戦いなのに、最初から『肩書』に『最高』って入ってるんですか?」
「……いえ、『エレガントお嬢様』だったわ」
「でも、お嬢様がエレガントなのはある意味当然というか……」
「じゃあ、『美少女お嬢様』……」
「うわ、自分で自分のこと美少女とか言っちゃうとか! 絶対ヤバい人じゃないですかっ⁉」
「『清純お嬢様』……」
「いやいやいやー! マリー様は清純っていうより、腹黒って感じじゃないですかー?」
「る、瑠衣、貴女ねっ⁉ さっきから、私のメイドの分際で好き勝手言って……立場をわきまえなさいっ!」
失礼な返しを続けていた瑠衣に、ついに怒りをあらわにするマリー。そのまま逃げるように、その場を立ち去ろうとする。しかし、だんだんこんな彼女の扱い方にもなれてきたらしい瑠衣は、まだ諦めていない。
「だ、だから、マリー様がスッとホントの『肩書』を教えてくれれば、私だって別に、変なことを言わなくてもよかったんですから……」
「黙りなさい!」
「もう、ホントに何なんですかー? そんなに隠したがるってことは、もしかして……ちょっと恥ずかしいような……?」
「どんな『肩書』でもいいでしょっ⁉ 貴女が知らなくてもいいのよ!」
「でも、私はもうマリー様のメイドなんですよね? だったら、別にバカにしたりしませんし、教えてくれたって……」
「ああ、うるさいわね! もう、この話は終わりよ! 次に言ったら、容赦しないわよ、瑠衣!」
「そ、そんなぁー……ひどいですよぉー」
「もう、知らないわっ!」
「あ、どこ行くんですか⁉ ちょっと待って下さい! 待ってくださいってばーっ! マリーさぁーん!」
「だから、マリー様と呼びなさいと言っているでしょう! 瑠衣、いい加減にしなさいっ!」
掛け合いを続けながら、校舎を歩いていく瑠衣とマリー。
そんなわけで。
何の変哲もない普通の女子高生だったはずの古本瑠衣は、マリーと契約したことで彼女――『
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