10
怪我で廊下に横になっていた瑠衣は、さっきまでマリーが周囲を歩き回っているあいだずっと、彼女が背中に「何か平たい物」を隠し持っていたことに気づいていた。自分の身体を使って小鳩やセーラには見えないようにしながら、背中を向けている自分にだけ、その存在をアピールするようにその「平たい物」を見せていたのだ。
その「平たい物」が今、マリーによって敵のお嬢様のセーラに向けて突き出されている。瑠衣には、未だにそれが何なのかはよく分かっていない。ただ、確実にどこかで見たことがあるということだけは、直感的に感じていた。
「あ、あれ……って?」
「私が『違和感』を感じた貴女の不思議な行動。それはね……貴女は、『どうして能力を使ってカエルと蜘蛛しか出さないのかしら?』ってことだったの」
セーラと対峙しているマリーは、何もなかったかのように話を続ける。
「最初に瑠衣を攻撃したときなら、それも分かるわ。だってカエルも蜘蛛も、瑠衣が苦手なものだし。実際、最初はそれで瑠衣を怖がらせて、戦闘不能状態にさせることが出来ていたわけだし。でもね、それが有効だったタイミングって、実はそれほど多くなかったわよね?」
「……」
セーラは何も言わない。ついさっき、無敵と自負していた自分の本気の能力が「空振り」したというのに、怒りでマリーを罵ったりしない。
「私が瑠衣を連れて音楽室まで逃げたとき。それから、瑠衣に力を与えたあと、私がこの場を一旦離れようとしたとき。そのどちらのときにも、何故か貴女は『私に対してカエルや蜘蛛をぶつけてきた』わね? 私は別にどっちも嫌いじゃないし、そんなことしたって効果がないことは分かっていたはずなのにね。だから私、あのときすごく『違和感』を感じたのよね」
出血がひどすぎて意識が朦朧としてきていたのか、瑠衣は一瞬自分の立場を忘れてしまって、頭に浮かんだ疑問の言葉を自分の
「ほ、他に、能力を使って作れるものがなかったんじゃ、ないですか? あのときマリーさんを邪魔できそうな都合のいいものが、私が嫌いなカエルと蜘蛛くらいしかなかったとかで……」
「いいえ」
マリーは瑠衣のほうには振り返らずに、首を振る。
「あのとき、実はもっと都合のいいものがあった……というか、実はあのシチュエーションでは、
「そ、それって……?」
「それは、ミミズよ」
「え……?」
マリーはそこで、少しだけ顔をうつむかせる。
それから、これまでの余裕いっぱいだった彼女らしくなく、ぼそぼそと、とぎれとぎれな声で話した。
「実は私、ミミズが……嫌いなのよね。あの、地中をうごめいている感じが……常に最上級の高みにいる私には合わないというか……。地べたを這い回る動きもあまりにも醜くて、最高の美しさをもつ私と真逆すぎると言うか……。まあ単純に、生理的に苦手っていうこともあるんだけど……」
「え? え?」
「……つまり、本当はあのときセーラはカエルや蜘蛛なんかじゃなく、私の嫌いなミミズを作り出すべきだったのよ。そうすれば、たとえそれが本物じゃなくてよく出来たおもちゃだと分かっていても、私は足を止めてしまったはず。少なくとも、私にかなりの精神的ダメージを与えることができたはずだったのよ。でも何故か、彼女はそれをしなかった」
「って、ていうか……マリーさんにも、嫌いなものとかあるんですね?」
「あら、当たり前でしょう? 瑠衣……貴女、私のことをなんだと思っているの? いくら一流の淑女だからといって、私にだって嫌いなものくらいあるわよ。……だって」
そこでマリーは瑠衣の方にチラリと目線を送って、
「だって、『誰にだって苦手なものが一つや二つある』……じゃなかったかしら?」
と微笑んだ。
「は、はい……!」
マリーが、自分の言ったことをちゃんと覚えていてくれたことが、瑠衣はとても嬉しかった。
「それにね……」
そしてまたマリーは話を元に戻して、セーラに向かって話を続けた。
「貴女が『おかしな能力の使い方』をしたのは、そのときだけじゃないわ。私から力を与えられた瑠衣が、貴女たちを攻撃し始めたときだって、それは同じよ? 目を閉じたおかげでカエルや蜘蛛を怖がらなくなった瑠衣に対して、何故か貴女は変わらずに同じ攻撃をし続けた。途中で貴女も効果がないって理解していたはずなのに、それでもその無意味な攻撃を続けていたわね? あのときだって、貴女は能力で瑠衣の嫌いな『別のもの』を作るとか……あるいは瑠衣ではなく、私に対してミミズの攻撃をするべきだったわ。だってそうすれば、苦手なミミズを見て取り乱した私が、うっかり瑠衣に使った能力を解除してしまうことだってあったかもしれないのだから」
「……」
セーラはやはり、何も言わない。
いや、今の彼女は、何も言うことができなくなっていた。
「カエルと蜘蛛が出せるのにミミズが出せないなんて……そんなの、何かおかしいわよね? どれだけ無意味だって分かっていてもカエルと蜘蛛しか出さないなんて、不自然よね? つまり……そこには何か『意味』がある。貴女の能力の『弱点』があると想像することは、そう難しいことじゃなかったわ。そしてもちろん、その『弱点』が何なのかということも、私はすぐに気がついたわ」
「あ……」
瑠衣はそこでようやく、マリーが背後に隠し持っていたものが何なのかを、思い出した。
それは今から一年以上前、瑠衣がこの学校に入学してまだ間もない頃。授業で出た課題のために図書室で資料集めをしていたとき、うっかり見つけてしまったものだ。
それ以来、彼女は図書室に用があるときにはいつも「それ」を警戒して、「それ」がある本棚には近づかないようにしてきた。もう二度と「それ」を見なくていいように、最大限の注意を払ってきた。マリーが今セーラに向けているのは、図書室にあったはずの「それ」だ。つまりマリーはさっき、図書室に「それ」を取りに行っていたのだ。
カバーを外して、瑠衣には無地の表紙しか見えないようにしながら、セーラには今、中を見せつけている。その「本」とは……。
マリーは、いよいよ話を結論に移す。
「貴女の能力の『弱点』を、言ってあげましょうか? それはね……いくら『相手の嫌いなものをなんでも出すことができる』能力でも、『自分も嫌いなものは出すことができない』ってことなの。これまで貴女が私の嫌いなミミズを一度も出さなかったのは、それが、貴女にとっても大嫌いなものだったから。それを出してしまったら、自分自身が精神的ダメージを受けて身動き取れなくなってしまうから、だったのね? うふふ……。『誰にでも、嫌いなものがある』、『たとえ偽物だと分かっていても、震えが止まらなくなるほど怖いものがある』……ってね。私のメイドの瑠衣が事前にそれを教えてくれていたから、私はすぐに貴女の『弱点』に気づくことができた。そして今もこうやって、
「マリー、さん……」
瑠衣はもう、全てを理解していた。
マリーが、図書室から何の本を持ってきたのか。どうしてセーラが今、身動きがとれなくなっているのか。それは、これまでのことを振り返ってみればわかる。
ミミズが嫌いなセーラは、マリーをミミズで攻撃することができなかった。つまり、彼女が能力で「作り出せなかったもの」が、すなわち「彼女にとっても大嫌いなもの」だ。だからそこを突くことが出来れば、それはすなわち彼女の弱点をつくことになるはずだ。
とはいえ、マリーが自分が嫌いな「ミミズの写真が載っている本」を図書室から持ってくるのは難しいだろう。さっき、彼女らしくもなく取り乱していた様子からも想像できるように、彼女のミミズ嫌いは相当なものだろうから。
だから彼女は、別の本を持ってきたのだ。
だってセーラには、ミミズの他にも作り出せなかったものがあったのだから。瑠衣を攻撃するために、セーラがカエルと蜘蛛以外に作り出すべきだったもの……作るべきときに作らずに、マリーに違和感を感じさせたものが、あったのだから。
それは音楽室で、瑠衣がマリーに教えたもの。カエルと蜘蛛に続く三つ目の、瑠衣が嫌いなもの。
それは……。
「それじゃあ、そろそろ終わりにしようかしらね」
マリーはそうつぶやくと、突然瑠衣に向かって叫んだ。
「瑠衣! 貴女まだ、動けるかしら⁉」
しかし、それを言われる前に瑠衣はすでに動いていた。
血溜まりから立ち上がり、マリーのすぐ隣にまで来ていた。
事前に、何か打ち合わせをしていたわけではない。マリーから、具体的な合図があったわけでもない。だが瑠衣は、もうマリーがこれからどんなことをしようとしていたのかを分かっていた。理屈とは違う、もっと根源的な部分で、理解していたのだ。
「はい!」
彼女は大きく返事をすると、マリーの『極上の使用人』の能力で強化された右手を、大きく振りかぶる。そして、そのときマリーがセーラに見せつけていた「本」……彼女が図書室からカバーを外して持ってきた…………「世界のゴキブリ大全集」というタイトルの、ゴキブリの写真がたくさん載った図鑑を、思いっきり殴りとばした。
「うああぁぁぁぁーっ!」
瑠衣が殴った図鑑はマリーの手を離れ、ページを開いたまま、目の前のセーラに向かって飛んでいく。
自分の大嫌いなゴキブリ写真を見せられて体が硬直していたセーラには、飛んでくる図鑑を避けることが出来ない。大量のゴキブリ写真が載った見開きページが開かれた状態で、セーラの顔に直撃した。
「は、はうぅっ!」
「きゃんっ⁉」
近くにいた小鳩も巻き込んで後方に吹き飛ばされたセーラは、廊下の突き当りの壁に激突。そして、
「あ、あわわわ……」
ゴキブリ写真で顔を挟まれ、泡を吹いて完全に気絶してしまった。
「ちょ、ちょっとっ⁉ セーラちゃん、これってどういう……」
彼女がガラスを使って攻撃していると思っていたので、それを見ないようにさっきまで目をつむっていた小鳩。状況がよくわからずに、いきなり自分にぶつかってきたセーラに文句を言おうとするが……。
「ね? だから私、言ったでしょう? 貴女たちはもうとっくに負けてる、って」
目の前で勝ち誇った表情で立っているマリーに気づいたので、それは出来なかった。
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