06

「うぁぁぁーっ!」

「う、うわっ⁉」


「だぁぁぁぁぁーっ!」

「ひぃぃっ!」


「そりゃぁぁぁぁぁーっ!」

「……もぉう、ウッザイなぁ」

「バ、バカ、小鳩! 喋るんじゃないわよっ⁉ ワタシたちが声を出さなきゃ、目を閉じてるコイツにはワタシたちの居場所がわからないんだから……きゃ、きゃぁっ⁉」

「って、セーラちゃんの方が喋ってるしー」

「う、うるさいわね! そんなこと言ったって、仕方ないでしょ⁉ ワタシはただ、バカみたいに突っ込んでくるだけのコイツなんて、ワタシたちが黙ってさえいれば何も怖くないってことを、小鳩に教えてあげようとしただけで……って、こ、こらっ! 背中を押すんじゃないわよっ⁉ 小鳩アンタ、ワタシを盾にしようとして……ひ、ひぃーっ!」


 マリーの淑女能力、『極上の使用人メイド・イン・ヘブン』の力で強化された右腕を振り回しながら、小鳩とセーラに向かっていく瑠衣。もともと臆病で、格闘術の心得もない彼女の攻撃はとても単純で、普段なら何の心配もなく対処することが出来ただろう。ただ、今はその力があまりにも強大過ぎて、かすっただけでも致命傷になりかねないことが明らかだったので、小鳩たちはひたすらに逃げ回っていた。

 それでも負けず嫌いな『悪役お嬢様』のセーラは、逃げながらもときどき自分の能力を使って瑠衣を足止めしようともしていたのだが……。目を閉じている瑠衣には、既にそんなものは通用しない。

 どれだけカエルや蜘蛛のオモチャをぶつけてみても、今の瑠衣はそれを怖がったりはしなかった。

「こ、これなら……も、もしかして、本当に……」

「ええ。この調子なら、瑠衣でも十分に戦えそうでしょう?」

「は、はい! マリーさんから貰った力があれば……もしかしたら私たち、本当にあの、小鳩ちゃんたちに……」

 強大な力を手に入れ、セーラの能力を無効化することにも成功した瑠衣。そのおかげで、今までの彼女なら考えることさえ許されなかった「勝利」という二文字への期待感も、否応なく湧き始めている。ある意味では、瑠衣にとっての革命とさえ言えるような、そんな心境の変化が起こっていたわけだが……それを知ってか知らずか、マリーはそこでこんなことを言い出した。


「じゃ、あとは貴女に任せるわね」

「……え?」

「私、ちょっと用があるから、今から五分くらい席を外すことにするわ」

「え? え? ……えええぇーっ⁉」

 学校の校舎が揺れているのかと思うほどの、瑠衣の絶叫。


「な、何でですかっ⁉ せっかく今いいところなのに、な、な、何で、急にそんなこと言うんですかっ⁉」

「……ちょっと。急に大きい声を出さないでよ、こんなことぐらいで。別にいいでしょ? 席を外すと言っても、せいぜい十分じゅっぷん程度よ? 多分、私がこの場にいなくても淑女能力で与えた力は消えたりしないはずだし。それとも瑠衣……貴女、私がいないと何も出来ないなんて言うつもりなの?」

「そ、そんなことは……」

 突然の驚きの展開に、瑠衣は何と言っていいのかわからない。

 代わりに、その会話を聞いていたセーラが、

「ちょ、ちょっとアンタ、また逃げるつもりなの⁉ そんなこと、させないわよっ!」

 おかしなことを言い出したマリーにすかさず自分の能力を使って、それを妨害しようとした。だが……当然マリーはそんなものを相手にしない。カエルや蜘蛛を手で軽く振り払って、瑠衣に言葉を続ける。

「別に、貴女一人であの二人を倒しておけ、なんて言ってるんじゃないわよ? ただ、私がいない十数分くらいの間、あの子たちを引きつけておいて欲しいって言ってるの。それくらいなら出来そうでしょ?」

「そ、それは……」

 瑠衣は、閉じたまぶたの裏側で目を泳がせながら、小さくうなづく。

「で、でも、何のために……?」

「ふふ。何のために、ですって? そんなの決まってるじゃない。私、さっきからずっとその話しかしてないわよ?」

 思わせぶりに微笑むマリー。瑠衣は、頭に浮かんだ言葉をつぶやく。

「この勝負に……勝つため?」

「うふふふふふ」

 マリーは、さらに妖しく微笑んでから、

「じゃあ、よろしくね」

 とだけ言って、瑠衣に背中を向けて歩き出す。

「マ、マリーさん……」

「そんな心配そうな声を出さないでよ。必ず戻ってくるから。じゃあ……また二十分後に会いましょう」

「いや、どんどん時間が増えてませんかっ⁉」

 そして、本当にどこかにいってしまった。



「あーあー。セーラちゃんがボケボケしてるから、またお嬢様に逃げられちゃったー」

「だ、だから、なんでワタシのせいなのよっ⁉ っていうか、別にいいでしょ! アイツがいなくたって、ワタシの最強の能力でこの怪力女を倒してしまえば、それで済むんだから……」

「どあぁぁぁぁーっ!」

「うわあぁっ! あ、あっぶないわねっ⁉」

「ぷぷ、セーラちゃん油断し過ぎー」

「っていうか、何でさっきからコイツ、ワタシのほうばっかり殴りかかってくるのよっ⁉ 目をつぶってるんだから、平等に小鳩のほうにも行きなさいよっ!」

「だぁぁぁぁーっ!」

「ああぁ、もうっ! 言ってるそばから!」

 そして、マリーがいなくなって一対二となった小鳩とセーラたちとの戦いは、それからさらに五分程度続いた。



「はあ……はあ……はあ…………らあぁぁぁーっ!」

「……」

「……」

「はあ……はあ……だぁぁぁーっ! はあ……はあ……」

「……ふんっ」

「うがぁっ……うぶっ⁉」

 セーラの能力を無効化するため、目をつぶってひたすら周囲を攻撃している瑠衣。さすがにそんな彼女にも慣れてきたのか、小鳩たちは今ではもうほとんど声を出さずに、その攻撃を避けることが出来るようになってきている。それどころか、小鳩はときどき目が見えない瑠衣に足払いをかけて、転ばせることさえしてくるようになっていた。

 相手の位置を把握しづらくなって意味のない空振りも増えてきたこともあり、瑠衣の体にはかなりの疲労がたまってきているようだ。動きが鈍くなり、体力的に限界も近づいてきているようだった。


(い、一回だけ……一回だけでも攻撃を当てれば、それでもう、勝負は決まるんだ……。だから、ここで休むわけにはいかない……。せっかくこの場を任せてくれたマリーさんを、失望させたくない……。この戦いに勝って、マリーさんの期待に応えたい……!)

 今の瑠衣の頭の中にあるのは、そんなマリーへの思いだけだ。その強い思いだけで、本当なら倒れてしまいそうなくらいにヘトヘトに疲れていたにも関わらず、彼女は体を動かし続けることが出来ていた。

 そして……まるで神様が、彼女のその思いを称えてご褒美をくれたかのように、瑠衣にとっての最大の好機がおとずれた。


「あ、ヤッバ」

「ちょ、ちょっと小鳩⁉ どうなってるのよっ!」

「はあ……はあ…………⁉」

 一心不乱に腕を振り回して、逃げまわる小鳩たちを追いかけてきた瑠衣。そこで、彼女も気づいた。音楽室から今まで来た道のりを頭の中でたどってみると、自分たちが今いるここは、確か……。


「い、行き止まり・・・・・じゃないのよっ⁉ ここ、アンタの学校なんでしょっ⁉ なんで、ちゃんと考えて逃げないのよっ⁉」

 三階廊下の突き当り。小さな窓がついているだけで、周囲にはドアや階段などの逃げ道はない。必死に逃げていた小鳩とセーラは、行き止まりに追い詰められてしまったのだった。

「はあー? もしかして、私が悪いって言ってんのー? 何それー? 適当に逃げてきたのは、セーラちゃんだって同じでしょー?」

「そ、それはそうだけど……それにしたって、階段で別の階に行くとか、さっきの音楽室とか図書室みたいに障害物が多そうな教室に逃げこむとか……いくらでも、他にやりようはあったはずでしょうがっ⁉ なんで何も考えずに、こんな行き止まりに来ちゃうのよっ⁉」

「……うっせぇな」

 一瞬、それまでの可愛らしい喋り方が消えて小鳩の本性が現れる。しかし彼女はすぐにまたふざけた様子に戻って、言った。

「っていうかー、さっきまで『最強』とか『無敵』とかほざいてたのは、セーラちゃんでしょー? なのに、私たちがこんなふうに逃げなきゃいけないのが、そもそもおかしくなーい? なんで、イジメられっ子の瑠衣ちゃんごときに、こんなに苦戦しちゃってるわけー? もしかしてセーラちゃんってー、ホントは……ザコなのー?」

「は、はぁぁぁーっ⁉」

 小鳩もセーラも、追い詰められて相当余裕がなくなっているようだ。

「い、言うにことかいて、このワタシのことを、ザ、ザコですってっ⁉ よ、よくも言ってくれたわね、小鳩っ⁉」

「えー、だって絶対そうでしょー? 『相手の嫌いなものを出す』とか言って……結局、カエルと蜘蛛のおもちゃを出すだけの子供だましじゃーん? しかもしかも、目をつぶって見ないようにすればそれも怖くなくなっちゃうとか……ぜんぜん意味ないしー。『悪役お嬢様』とかいう肩書もよく考えたら、かませ犬丸出しって感じだしー。やっぱりセーラちゃん、どう考えても完全にザコでしょー。漫画の序盤で出てきて主人公に瞬殺される、ただの名も無きモブでしょー。あーあー。こんなクソザコお嬢様のメイドになっちゃって、私、完全にお嬢様ガチャはずれ引いたよー」

「な、な、な、な……」

 体を真っ赤にしてプルプルと震わせて、怒りを全身で表現するセーラ。

「何ですってーっ⁉ い、今のは、完全に聞き捨てならないわよっ、小鳩⁉ だ、だいたいアンタは、立場上はワタシのメイドなんだから、もっとメイドらしくこのワタシをうやまうのが普通なのに……」

「く、くらぇぇぇぇーっ!」

 廊下の行き止まりで大声で口論をしているセーラたちに向けて、思いっきりパンチを繰り出す瑠衣。

「づぁぁっ⁉」

 完全に油断していたセーラだったが、その攻撃もなんとか紙一重のところで避けることができた。しかし、今回は今までより余裕がなくて慌ててしまっていたせいか、避けた拍子にバランスを崩して、顔からその場に倒れ込んでしまう。

「ぐえっ!」

 その結果、顔面を強打して、無様な声をあげてしまうセーラだった。

「こ、このワタシを、こんな目に合わせるなんて……」

 さっきにもまして怒りが高まり、顔は、真っ赤を通り越して黒ずんでいるようにさえ見える。もはや、セーラはいつ爆発してもおかしなくないような状態だ。


 そんな彼女の気持ちに油を注いで、トドメを指したのは……。

「うっわ、ダッサ」

 相変わらずメイドの自覚もなく、自分の主であるセーラをバカにする小鳩と、

「はあ……はあ……はあ……。い、いける……? これなら、マリーさんがいなくても……私だけでも……か、勝てる……かも……?」

 廊下に倒れているセーラの目の前で、わずかに微笑んでいる瑠衣の姿だった。



「……勝てる? ワタシに、勝てる……ですって? ……ったく。ドイツもコイツも……このワタシをナメてくれちゃって……」

 ぼそぼそとつぶやきながら、ゆっくりと起き上がるセーラ。

これ・・は、本当はやりたくなかったんだけど……。使わなくて済むなら、それに越したことはないと思っていたのだけど……。でも、分かったわよ。もう、手加減なんてしてあげない。カエルや蜘蛛で済んでいるうちにさっさと負けを認めていればよかったのに……このワタシに本気を出させたことを、後悔させてあげるわ」

 怒りが最高潮を迎えていた今の彼女を止めるものは、もう何もない。

「うっわー。ザ・かませ犬みたいなセリフ言ってるー」

 バカにする小鳩の言葉も、もう気にならない。

「こ、これで、終わりだぁぁーっ!」

 目をつぶって殴りかかってくる瑠衣のことも、もう避けようともしない。


「ああぁぁぁーっ!」

 すぐ目の前まで迫る瑠衣に向かって、漆黒の闇夜のようなどす黒い表情で、

「思い知るといいわ……『敵者サバイバル・オブ生存・ザ・バッデスト』の、真の恐ろしさを……」

 と、自分の能力を行使した。

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