第35話 時坂杏奈と最後の護魔球

【登場人物】

時坂杏奈ときさかあんな……二十三歳。無職。勇者。カフェ店員。

ジン=レイ……二十四歳。神務官じんむかん聖両剣ダブルセイバーの使い手。

クレイグ=クラウヴェル……三十歳。聖大剣バスターソードの使い手。

ジークフリート=クラウヴェル……二十五歳。聖騎士。聖騎士剣ナイトソードの使い手。

ソフィ=フォン=ユールレイン……十四歳。王女。聖杖ロッドの使い手。

ラウル=ノア=ザカリア……三十一歳。盗賊。聖双小剣ツインダガーの使い手。

ヴァングリード……古代竜エンシェントドラゴン



「カフェ店員? お茶淹れた件で? でも、特に何もプロっぽいこととかしてないわよ。好評だったのは、お茶っ葉が良かったからでしょ」


 杏奈は、何も無い空を見ながら、イヴリンのお茶っ葉をネット通販とかで手に入れられたりしないものかしら、と考えた。



 ででんでんででん。ででんでんででん。


「ん?」


 片膝立ちでブーツのヒモを結んでいたジークが視線を感じ、キョロキョロ辺りを見回す。

 すぐ近くて突っ立っている杏奈と目が合う。


「杏奈さま……。 え? どこです? ここは」


 ジークが慌てて立ち上がった。

 城内にいたはずの自分が、なぜか川べりにいる。

 ジークの頭の中で、ハテナマークが飛び交う。


「あー、ごめんね、ジーク。わたしがあなたを喚び出したの。実は、こちらの剣士さんと戦って欲しくって」

『恐れ入ります、聖騎士どの。わたし、オルコットの塔担当四天王のブラック=モースと申します。わざわざお呼び立てして申し訳ありません』

「はぁ、どうも……」


 四天王ブラックに手を差し出されて、何が何やら分からぬまま、ジークは握手をする。


「つまり、勇者パーティ代表として、この四天王ブラック氏と戦えと」

「そうなの。ほら、できるだけ平和裏に護魔球イビルオーブを壊したいからさ。お願い」

「ま、そういうことなら。ただし、見た感じ、手加減ができる相手とは思えません。全力で行かせていただきますよ」

「ジーク、あなたの勝利を信じてるからね」


 杏奈はジークに向かって、とびきりの笑顔でウィンクをしてみせた。



 四天王ブラックが左手で腰に差した長剣の鞘を押さえた。

 右手で柄を軽く握る。

 中腰になって、いつでも抜けるような体勢を取る。

 いわゆる、居合の型というやつだ。


 スーハー、スーハー。


 目が細まり、呼吸を整える。

 気力が充実していく。


 対してジークも、右手で聖騎士剣ナイトソードの柄を握っているが、抜いてはいない。

 剣は、左腕に付けたアイロン型の盾ナイトシールドに収納されたままだ。

 ロケットスタートができるように、中腰姿勢になる。

 こちらも居合で勝負を付けるつもりのようだ。


 空気がビリビリ震えているかのように感じる。

 杏奈は野球のボールくらいの大きさの石を拾った。

 これを放り、地面に着いたとき、死合いが始まる。


 ギャラリーの盗賊ラウルと小竜ヴァンも息を飲む。

 どうあれ、達人同士の戦いだ。

 双方、無事では済むまい。


 杏奈が石を空高く放った。


 極限まで集中した達人二人、ブラックとジークの感覚が研ぎ澄まされ、まるで時が遅くなったかのように、石がゆっくりゆっくり落ちてくる。

 彼らの目には、石の表面についた汚れさえ、つぶさに見えているに違いない。


 あとほんの半瞬で石が地面に落ちるというそのとき。


『はぅ!! はぅっ、はうっ、はうっ、はうっ……(エコー)』


 いきなりブラックがジークに向かって吹っ飛んだ。

 ジークがとっさに後ろに飛び退すさりながら、何が起こったかと目をく。

 座って観戦していたラウルとヴァンも、慌てて立ち上がる。


 ブラックの真後ろに誰かが立っていた。

 そこにいたのは、卑怯にも、聖杖ロッドでブラックの真後ろから魔法を放った、ユールレインの王女ソフィだった。


「勇者さま、お言いつけ通り、後ろからカマしてやりましたわ!!」


 木陰でソフィがぴょんぴょん飛び跳ねている。


「おい、トキサカ、お前まさか……」


 杏奈は気絶したブラックに近寄り、そのふところをゴソゴソ漁って、護魔球を取り出した。

 そのまま地面に叩きつけて割る。


「はい、これでおしまい。ん? どうかした?」


 仲間たちの視線が自分に集中しているのに気付いて、杏奈は振り返った。


「杏奈さま、まさか、最初っからこのつもりで?」


 ジークの顔が思いっきり引きつっている。


「ドン引きだよ、杏奈」


 ヴァンの顔も引きつっている。


「トキサカ、お前、いつ王女を喚び出したんだ? そんな素振り見せてなかっただろ?」

「わたしに不可能は無いわ。そして、リスクはちょっとだって避ける。まぁ、ジークの勝ちは信じてたけどね。わたし、真剣勝負なんてものに全く興味が無いの。さ、撤収、撤収」



 ポツ、ポツ、ザーー。


 雨だ。

 顔に当たる雨で目を覚ました四天王ブラック=モースが頭を振りつつ起き上がった。

 困惑しつつ周囲を見回す。

 すっかり夜だ。


『痛っ!』


 背中に激痛を覚えて、身体をよじったブラックは、違和感に気付いた。

 慌てて懐をまさぐる。

 懐に入れておいた護魔球が無い……。

 杏奈たちの姿はキレイさっぱり消えている。


『やられた……』


 ブラックは雨に打たれながら、川辺に呆然と座り続けるのだった。



 杏奈は、自分にあてがわれた窓際のベッドに座って、ボーっと雨を眺めていた。

 静かな夜だ。


 杏奈たち勇者パーティは、最後の四天王、ブラック=モースとの戦闘後、近くの町に移動していた。

 魔王城から一番近い町、エリュオンだ。


 杏奈によって、ジンとクレイグも喚び出された。

 これで、魔王城突入を前に、勇者の従者にして聖武器セントウェポンの使い手である六人が全員揃った。


 すなわち、勇者『時坂杏奈』 

 神務官『ジン=レイ』

 冒険者『クレイグ=クラウヴェル』

 聖騎士『ジークフリート=クラウヴェル』

 魔法姫『ソフィ=フォン=ユールレイン』

 盗賊『ラウル=ノア=ザカリア』

 そして古代竜『ヴァングリード』。


 杏奈とソフィ、ヴァンの三名は部屋に残った。

 あとの四名は、親交を深めに、ということで飲みに行ってしまった。

 小竜ヴァンは、テーブルの上でぐっすり寝ている。


「勇者さま、お疲れですか?」


 ソフィが杏奈のベッド横のサイドテーブルに、お茶を持ってきて置いた。

 そのまま杏奈の前の、自分のベッドに腰掛ける。


 どちらにしても、今夜はもうこの部屋を訪れる者は居ない。

 仲間には、疲れているから早めに寝ると宣言しておいたし、他の四人は男性部屋として別の部屋で休むことになっている。


「あぁ、お茶淹れてくれたのね。ありがとう」


 杏奈はコップを手に取った。

 軽く息を吹きかけ、お茶を冷ましつつ口に含む。

 温かくて美味しい。


「いよいよ明日には魔王城に突入ですわね。腕が鳴りますわ」


 ソフィが軽く腕を振る。

 やる気満々だ。


 若いっていいなぁ。

 杏奈も十分若いのだが、さすがに異世界に来てすでに四ヶ月だ。

 旅から旅の日常に気疲れしてしまったようだ。


 目的でもあった護魔球を全て破壊して気が抜けてしまったというのもあるだろう。

 夕方から降り出した雨が、気力を奪っている気もする。


 杏奈は飲み掛けのお茶のコップをサイドテーブルに置いて、コテンとベッドに倒れ込んだ。


「働きたくないなぁ……」

「は?」


 ソフィが目を丸くする。

 慌てて、杏奈の身体を揺さぶる。


「ゆ、勇者さま、気をしっかり持ってください! 引きこもりはダメですってば!」

「ケバブ食べたい……」

「け、ばぶ? 何ですか? それ」


 杏奈がため息をつく。


「ラーメン食べたいなぁ……」

「ラーメン? 聞いたこともない料理ですね。ここで食べれるかしら」

「家の近くの和菓子屋さんで買った豆大福を、熱い緑茶と一緒に食べるの。あぁ、素敵……」

「勇者さま、戻ってきてくださーーい!!」

「中華街散策したいなぁ。肉まん片手に、色々食べ歩くんだ……」

「肉? 肉……むにゃむにゃ」


 肉という言葉に小竜ヴァンが反応するも、すぐまた寝てしまう。

 杏奈も、横になったまま、目をつぶる。


「帰りたいなぁ……」


 元々杏奈は、天涯孤独の身だ。

 杏奈が小さい頃、両親ともに事故で死んだ。

 親戚をたらい回しにされた上、短大卒業と同時に、それまで住んでいた田舎を離れ、都会で就職し、一人暮らしを始めた。

 以来、一度も田舎には帰っていない。


 特に誰が待っているでもないが、六畳一間のアパートが懐かしくて仕方なかった。


 部屋にホコリが溜まっているだろう。

 冷蔵庫の中身も処分しなくては。

 掃除をして空気を入れ替えて、それから仕事探しだ。

 やることがいっぱい待っている。


 横になった杏奈の頬を涙が伝う。

 そのまま杏奈は、夢の世界にいざなわれた。



 杏奈は自分が光に包まれているのを感じた。

 身体を起こす。

 どこかで見たことのある空間だ。

 これは……。


『お疲れのようだな。大丈夫か』


 声のした方を見る。

 白い貫頭衣を着た中年男が、大理石の椅子に座っている。


「ガリヤードさま……」


 頭の薄くなった冴えない中年男にしか見えないが、こう見えて、この辺りの世界を幾つも収めている神様、『大神ガリヤード』だ。

 それがどれくらいの地位なのかさっぱり分からないが、大神というくらいだ。

 それなりに上の方の神様なのだろう。


 杏奈も、そこにあった白いソファに座った。

 雲のソファが、身体を優しく包んでくれる。


『里心がついてしまったかな?』

「まぁね。四ヶ月も行ってたからね」

『すまんな。大変な仕事をして貰って、お前さんには本当に感謝している。ありがとう』

「引き受けたのはわたしだし、最後まで頑張るつもり。投げ出すのはわたしの主義に反するわ。ちょっと気が抜けちゃっただけよ。心配しないで」


 ソファの隣に置いてあったサイドテーブルにジュースが出現する。

 ガリヤードが目で飲むよう勧める。

 杏奈はグラスを手に取って、一口飲んだ。

 なぜだろう、疲れが癒えていく。


『ならいいが……。謝礼の件、覚えているかな?』

「謝礼? あぁ、そんなこと言ってたわね。何が貰えるの?」

『何でも。できる範囲で、にはなるが、お前さんがかつて夢で見たあの世界を再現することも可能だぞ?』

「え? できるの?」

『運命を手繰り寄せ、構成し直す。その程度なら、造作もない』


 杏奈は、港町フリッカで見た夢を思い出した。

 イケメン有能同僚男性が自分に交際を申し込む夢だ。

 悪くない。

 杏奈の口の端が、知らず知らず上がる。


『元気、出てきたようだな』

「お陰様で。あともうちょっとだしね。最後まで頑張るわ」

『よし、頼んだぞ!』


 ガリヤードの言葉と共に、杏奈の視界が真っ白に染まった。



 チュンチュン、チュンチュン。


 スズメの鳴く声がする。

 ユールレインの姫、ソフィは、ガバっと起き上がった。

 いつの間にか、寝てしまっていたらしい。


 部屋に、朝の光が差し込んでいる。

 雨はすっかり上がったようだ。

 窓が開いているせいか、気持ちいい風が吹き込んでくる。


 ハっと気付いて、ソフィは慌てて辺りを見回した。

 姿見すがたみの前に座って用意を整えている杏奈を見つけ、ホっと息を吐く。


「起きた? ソフィ。朝ごはん、行くわよ」

「勇者さま……大丈夫ですか?」


 杏奈が髪を結いながら、横目でソフィを見る。


「うん、もう大丈夫。さ、ソフィも用意なさい。朝ごはん食べたら、いよいよ魔王城に突入するわよ。泣いても笑ってもこれが最後。頑張りましょう!」

「はい! 勇者さま!!」


 旅の終わりは近い。

 無事、勇者の役を勤め上げて、報酬を手に地球に帰ろう。

 今まで不幸が続いていたが、これを機に幸せになるんだ!

 杏奈は朝の光を浴びながら、ソフィに向かって、ニッコリ微笑んだ。

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