第36話 山本星海と魔神アークザイン
【登場人物】
「ふむ。これが時坂の見ていた世界か。なかなか面白い趣向じゃないか」
星海は何も無い空を見、誰に言うでもなくつぶやいた。
「よぅ、生徒会長。もう逃げられないぜぇ」
星海は、ゆっくり後ろに下がった。
背中が金網にぶつかる。
横目でさりげなく下を覗き込む。
地面まで、二十メートルはありそうだ。
落ちたら即死だ。
といって、隣のビルまで五メートルはあるので、飛び移るのも不可能だ。
逃げ場所を間違えた。
星海は唇を噛んだ。
星海の前に、不良が男女合わせて五人いる。
全員、同じ学校の生徒だ。
近くのゲームセンターでカツアゲをしていたので、スマホで証拠動画を撮影した。
ほんの三十分ほど前の話だ。
それが不良グループの一員に見つかった。
この動画を学校に提出したら、良くて停学、悪くて退学になるだろう。
案の定、不良たちは血相を変えて追いかけてきた。
なにせこちらは生徒会長だ。
動画を取り上げられたとしても、生徒会長の目撃証言があったとなれば、学校は動くだろう。
動画があるなら尚更だ。
そう思った不良グループは、口封じを考えたようだ。
動画の没収と暴力によって、悪事を喋れなくさせよう。
そう考えてしつこく追いかけてきた。
後ろには行けない。
といって、不良五人の壁を突破するのも不可能に思える。
ではどうする?
彼らの暴力を甘んじて受けるか。
生徒会長でありながら、彼らの許しを乞うて、これから卒業までの間、彼らの財布として生きるか。
星海は首を振った。
どっちもゴメンだ。
悪いことをしたのは向こうだ。
オレは絶対謝らない。
星海が不良のリーダーを睨みつける。
「なんだ? その目は。おい、生徒会長、早くスマホをよこせ!!」
リーダー格の不良生徒の
と、寄り掛かった金網が後ろに倒れた。
金網が錆びていたのだ。
根本から折れて、後ろに倒れ込む。
星海の視界がいきなり、不良から空に変わった。
星海は、自分が空に放り出されるのを感じた。
ヤバい、死ぬ!
空に浮いたまま、ジタバタ手を伸ばす。
ダメだ、届かない!!
……もう、いいか。
疲れた。
毎日のように、終わりを望んでいたじゃないか。
その時が、今来ただけだろ?
星海は、目をつぶった。
『あー良かった、間に合った。よいしょっと』
星海は首根っこを掴まれ、グイっと引っ張られた。
そのまま、さっき落ちた屋上に立たされる。
誰かが星海を助けてくれたのだ。
やれやれと思ってフェンスを振り返ると、そこに自分がいた。
完全に宙に浮いたまま、手を必死にビル側に伸ばした状態で止まっている。
じゃ、ここにいるオレはなんだ?
星海は、不良たちの方を見た。
こちらも、慌てて手を前に伸ばした状態で止まっている。
その目は、驚きで見開いたままだ。
まばたき一つしていない。
にわかには信じがたいことだが、どう見ても時間が止まっている。
星海は、自分を助けてくれた人物を見た。
上は無地の白ワイシャツを腕まくりして着て、下は黒のパンツを履いている。
腰に、同じく黒のショートエプロンを巻いている。
細マッチョ体型でメガネを掛け、ヒゲを蓄えたダンディ。
四十代くらいだろうか。
その姿は、どう見ても喫茶店のマスターだ。
『やぁ、無事で良かった。……無事でも無いかな?』
「察するに、幽体離脱してる状態なんですかね、これ。オレ、死んだんですか?」
星海は、フェンスの外の自分を指さした。
マスターもそちらを見る。
『一応生きているよ、まだ。お察しの通り、あっちが
「なるほど、そういうことか。でも、魂を刈り取るのなら、落ちてからで良かったのでは? 死神さん」
『死神……。はっは。わたしは死神では無いよ。まぁ、キミから見たら、大した違いは無いかもしれないが』
マスターはそこで、咳払いを一つした。
『わたしの名前はアークザイン。魔神だ。山本星海クン、わたしと契約して、魔王にならないかね?』
「……は?」
星海の目がまん丸に見開かれた。
『さぁ、入りたまえ』
星海は、マスターに促されて、屋上に突如現れたオシャレな木製の扉を見た。
あるのは扉だけだ。
壁も何も無い。
まるで、扉だけの舞台セットみたいだ。
カランカラーン。
試しに押して入ってみると、そこは
慌てて、外に出てみる。
やっぱりそこにあるのは扉だけだ。
何かの冗談みたいだ。
『そんなところに突っ立ってないで、こっちに来て座りたまえ。コーヒーでいいかな?』
マスターが、カウンターの中から星海を呼ぶ。
さっき外から案内していたのに、もうカウンターの中にいる。
瞬間移動したとしか思えない。
星海は恐る恐る、カウンター席に座った。
マスターがニヤっと笑って、サイフォンに火を入れた。
「ここは、どこなんです?」
星海は店内を見回した。
昔の外国製と思しき白黒写真が壁に幾つも飾ってある。
隅の方に、古びたジュークボックスが飾ってあって、そこから微かに聞こえるジャ ズがまた雰囲気を出してカッコいい。
まるで夢の中に迷い込んだみたいだ。
『見ての通り喫茶店。わたしの店だ。気に入ったかね?』
コーヒーのいい香りが漂ってくる。
『さぁ、どうぞ。砂糖とミルクはそこに置いてある。遠慮せずに使ってくれたまえ』
ソーサーに乗ったコーヒーが目の前に置かれた。
砂糖とミルクを一つずつ入れる。
フっと一息吹いてから口をつけた。
「美味い!」
『そうだろう、そうだろう。わたしが厳選した豆だからね。喜んで貰えたようで何よりだ』
マスターがカウンターの向こう側で微笑む。
星海はコーヒーカップをカウンターに置いた。
「で、マスター。マスターでいいのかな。話を進めたいんだけど」
『呼び方は好きにしたまえ』
「魔神って言ってたよね。どういうこと?」
マスターが水切りカゴに入っていたカップを取り、布巾で拭き始める。
『ふむ。先ほど屋上で自己紹介したが、わたしは魔神アークザインという。実は人を探していてね。ヴァンダリーアという異世界があるんだが、そこでは五百年に一度、勇者と魔王が戦って、ヒト族と魔族の支配エリアの境界線を引き直さなければならないんだ。見ての通り、わたしは魔族の側なので、魔王を用意しなければならない。だが、どうにも適当な人物がいなくて困っていたところだったんだ』
「オレに何ができるって言うんです。ただの高校生ですよ?」
『うーーん。魂の色っていうのかね。真面目で正義感がありながらも、何かひどく鬱屈したものを抱えている。そういうのがいいんだ。良ければ聞かせて貰えるかな?』
星海はコーヒーを飲み干した。
「……無料カウンセリングとでも思えばいいか」
星海は上目遣いでマスターを見た。
マスターが微かにうなずく。
「実はオレ、連れ子なんですよ。養父が会社の重役で、オフクロと一緒に今の家に入ったんだけど、死んだ前妻の代わりだから、オフクロは追い出されないよう養父には平身低頭だし、オレには品行方正の優等生を求めるしで、息が詰まりそうなんだ。幸いにして勉強は出来るから何とかこなしているけど、もう限界だ。ウンザリだ。逃げ出したい。でも、一介の高校生に何ができる? オレが逃げ出したらオフクロはどうなる? どっち向いても袋小路だ。どうすりゃいいってんだよ……」
『なるほどね。だが残念ながら、キミの死はすでに確定している。どっちにしても母親は悲しむだろうね。』
「そっか、やっぱり死ぬんだな、オレ」
星海は深い溜息をついた。
マスターがそんな星海を優しく見守る。
『この世界での死は受け入れるしかない。それはもう、
星海がそれを聞いて、フっと笑う。
「……上手いね、口が。さすが魔神。まぁでも悪くない提案でもある。いいよ、引き受けるよ。どうすればいい?」
『おぉ、引き受けてくれるかい。良かった。では早速、ルールの説明といこう』
マスターが星海の前に地図を置いた。
羊皮紙でできている。
マスターが中央の大陸を指差す。
『この辺りに魔王城がある。キミの新しい
マスターが、今度は地図の隅の方の小さな大陸を指差す。
『勇者のスタート地点は、北東、南東、南西、北西のどれか。ランダムだ。そこから中央の魔王城目指してやってくる。一応、魔王側の準備があるので、勇者降臨は、魔王降臨の数ヶ月後だ』
「準備期間をくれるなんて随分とお優しいんだな」
『これはゲームだからね。キミもそのつもりで楽しむといい』
マスターがニヤリと笑う。
『魔王側の注意点なんだが、決戦の方法は自由だ。群勢を率いようが、個対個で戦おうがお好きにどうぞ。ただし、決戦の地は必ず、魔王城でなければならない。やっぱり決戦には、それなりに相応しい舞台が必要だしね』
マスターが途中の町をいくつか指差す。
『勇者がどのようなルートで来るか分からないが、序盤で勇者を叩きのめすのもダメだ。見栄えというものもある。絶対悪ならば、相手が十分力をつけたところを、圧倒的な力で叩き潰すんでなくっちゃね』
「ま、そりゃそうだ」
『それと、勇者降臨前は、あくまで準備に徹してもらう。その段階で各地を襲撃するのはダメだ。焼け野原からスタートで勇者のやる気を削がれるのも困るし、勇者は勇者で、決戦のときまで、冒険を楽しんで貰う必要があるからね』
星海は地図をつぶさに眺めた。
どこのルートを通って来るか分からないが、要所要所で罠を仕掛ける必要がありそうだ。
『事前説明はこんなものかな。じゃ、行こうか』
次の瞬間、星海は宇宙にいた。
無限の星々が、視界いっぱいに広がっている。
さっきまであった喫茶店も消えている。
そんな中、目の前にマスター、魔神アークザインがいる。
『では契約成立ということで。あぁそうそう、大事なことを忘れていた。キミにギフトを渡さなければならない』
「ギフト?」
『異世界を生きるための特殊能力だ。魔族を従えるには、それ相応の力を示す必要があるだろう? 神の加護を受けた勇者も倒さなくてはいけない。どんな能力が欲しい?』
「……では、魔法の知識と開発力を。仮にも魔王なら、専用の魔法を使えなきゃダメだろ?」
『うん、いいね。ではそれでいこう。さ、指を出したまえ』
星海は右手の人差し指を前に出した。
マスターも、同じように右手の人差し指を前に出す。
二人の人差し指の先端が当たる。
まるで、どこぞの宇宙人との接触みたいだ。
星海がそう思った瞬間。
デレデレデレデレデンデン。
「おい! 今、何かに呪われたみたいな音がしたぞ!!」
『気のせいじゃないかね?』
マスターが露骨に目を
『さぁ、ではキミの居城、魔王城に送ってあげよう。良い旅を』
周りの星々が一斉に動き出した。
違う、動いているのは自分だ。
星海は、自分が急速にどこかに運ばれていくのを感じた。
と、程なく正面に青い惑星が見えてきた。
どうやらそこが目的地らしい。
生身のまま大気圏に突入するが、全く熱くない。
雲を抜ける。
建物が見えてくる。
ドッカーーン!!
魔王城の天井をぶち破って、星海は着地した。
背中に羽が生え、頭からツノが生えた、イメージぴったりの魔族が大勢集まってくる。
そうか、ここがオレが今日から生きる世界か。
悪くない。
でも、まずは、第一印象が大事だよな。
「おい、魔王さまが降臨したぞ! 責任者はいないか!!」
こうして、魔王・山本星海の、異世界生活が始まった。
勇者・時坂杏奈が同じく異世界ヴァンダリーアに降臨する、わずか四ヶ月前のことだった。
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