第29話 時坂杏奈と温泉街

【登場人物】

時坂杏奈ときさかあんな……二十三歳。無職。勇者。下水処理業者。

ヴァングリード……古代竜エンシェントドラゴン

ソフィ=フォン=ユールレイン……十四歳。ユールレイン王国の王女。

ピーちゃん……巨大ヒヨコ。パルフェという、馬に並ぶポピュラーな乗り物。



「勇者表示が戻ったのはヨシとして、下水処理業者ってどういうことよ。前話の脱出路のこと? でもあれは、ラウルの案内でそこを通ったってだけの話だし。え? やっぱ臭う? 下水、かぶっちゃったしね。早くお風呂に入りたい!」


 杏奈は何も無い空を見ながら、自身のひどい臭いに、そっと涙した。



「……なんじゃこりゃ」


 杏奈は、町の入口に立っている巨大看板の前で、しばらく動けなかった。

 看板には、『温泉の町、アーウィンへようこそ』と書いてある。


「……勇者さま?」


 ソフィが、立ち尽くす杏奈にそっと声を掛ける。

 入り口で立ち止まる杏奈とソフィの横を、ひっきり無しに馬車が通って行く。

 町の中に、魔族も人間もいる。

 だが、それぞれが、それぞれのことを全く気にしていない。

 ということは、この町を利用している者たちにとって、魔族と人間が混ざって生活しているこの状態が、当たり前の景色になっているということだ。


 杏奈はピーちゃんに乗ったまま、町に入った。

 町のあちこちから白煙が吹き出ている。

 温泉街特有の景色だ。

 自分の分と杏奈の分の二個、魔族の饅頭屋から試食の温泉饅頭を貰ったソフィが、杏奈に一個を差し出す。


「珍しいでしょ、勇者さま。人間と魔族が混じって暮らしているだなんて。世界広しといえど、ここくらいじゃないかな。一応ユールレインの東端の領土となるのですが、自由都市として住人に自治を任せているんですよ」


 ソフィが熱々の饅頭をお手玉しながら杏奈に説明する。


「勇者さま、まずは宿を確保しましょ。そこで温泉木札を貰うんです。それを持っていれば、町のあちこちにある温泉場で自由に入浴できるんですよ」

「温泉巡りか。いいわね」

「でしょ? オススメの場所を案内しますね」


 ソフィが得意げに胸を張った。



 ひのきの湯でさっぱりした二人は、町のゲームセンターに入った。

 と言っても、地球の都会にあるようなそれではなく、射的や輪投げ、スマートボー ルやボール投げといった、温泉街にあるタイプだ。

 カジノのときもそうだったが、遊びの方向性は異世界でも似たようなものらしい。


 杏奈は射的台の前に立った。

 銃は無い世界なので、パチンコによる射的だ。

 Yの字の形をしたポピュラーなパチンコでコルク弾を飛ばして、台の上の景品を落として取るらしい。

 お客は誰もいない。

 店番もお爺さん一人だ。


 どうやら、お爺さんの店主一人で切り盛りしているお店のようだ。


「一皿ちょうだい」

「店主、一回分頼む」


 杏奈たちのすぐ後に、三人組が入店してきた。

 男性二人に、女性一人。


 杏奈と同時に射的台にコインを置いた女性が、杏奈を見る。

 目が合って、杏奈に微笑みながら会釈する。

 杏奈もそれに会釈を返す。

 

 額に映える一対のツノと背中から生える翼を見る限り、典型的な魔族だ。

 だが、かなりの美人だ。

 見た目、杏奈とさほど年齢は変わらなさそうだが、温泉街共通の浴衣の肩部分をまくって着ている辺り、多少、男勝りな印象を受ける。

 祭りのお神輿などを担がせたら絵になりそうだ。


 細くて背が高いのと、太くて背が低いのと、お付きの魔族が二人ほど控えているが、三人揃って何かのチームのような印象を受ける。


 杏奈は台にパチンコを向ける。

 女性もパチンコを台に向ける。


 シュート!


 杏奈と女性は同時に撃った。

 二人とも、一発でお菓子を吹っ飛ばした。


「おめでとうございます、勇者さま!」

『さすがアニスさま、四天王の鑑!』


 脇から同時に声があがる。

 最初のはソフィで、次のが女性のお付きだ。


『勇者だと?』

「四天王ですって?」


 一瞬で場が凍りつく。

 この時間、他に客はいない。

 互いに睨み合う。


「……ケンカはダメだよ、お客さん」


 店主のお爺さんが半分眠っているような声で注意する。

 杏奈と四天王アニスの視線が絡み合う。


「……時坂杏奈。勇者」

『……アニス=リーヴ。ゼクシアの塔の支配者。西の四天王』


 二人はボソっと自己紹介する。

 杏奈が再びパチンコを構えた。


 シュート!


 陶器で出来たネコの貯金箱を吹っ飛ばす。

 杏奈が横目でアニスを見、どうだと言わんばかりに、ニヤっと笑う。


 対抗心でアニスの目が燃える。

 今度はアニスがパチンコを構えた。


 シュート!


 陶器のイヌの貯金箱が吹っ飛ぶ。

 アニスが杏奈を見て、鼻で笑う。

 お前のできることは、わたしにもできる。

 そう、目が語っている。


「勇者さま、やっつけちゃって!」

「まかせて、ソフィ。勇者の力、思い知らせてやるんだから」


 杏奈とソフィの会話を聞いて、アニスのお付きの二人も目の色を変える。


『アニスさま、ギャフンと言わせてやりましょうぜ!』

『アニスさま、魔族の誇りを見せつけてやりやしょう!』

『まかせときな、マエッキー、オーズラー、伊達に四天王やってんじゃないって証明してやんよ!』


 それからたっぷり三十分、五ゲーム分、弾を使ったが、勝敗はつかなかった。


「やるわね」

『あんたもね』


 お互いの従者に景品がいっぱい入った袋を持たせて、二人とも店を後にした。



「勇者さま、ここのお湯はちょっと熱めなんです。いいお湯なんですけど、長湯はオススメしません。サっと入って、サっと出る感じですね」

「へぇ。わたし、熱いの苦手なのよね」


 浴衣をロッカーに入れた杏奈は、浴室のドアに手を伸ばした。

 と、同タイミングで浴室のドアに手を伸ばした人物がいた。

 目が合う。


『勇者!』

「四天王!」


 しばし睨み合う。


「はいはいはい、ちょっとごめんなさいよ」


 そんな二人の間を、腰の曲がった、すっぽんぽんのお婆さんが、右手でゴメンのポーズを取りながら通り過ぎた。

 掛け湯をして、湯に入る。

 杏奈とアニスもお婆さんを見習って掛け湯をして、同時に湯に入った。


「あっつ。こりゃ熱いわ」


 思わず杏奈の口から声が漏れる。

 アニスはそんな杏奈を横目で見ながら鼻で笑った。

 明後日の方角をみながら、これ見よがしに独り言を言う。


『やれやれ、今代の勇者は腑抜けと見える。よもや、この程度の熱さで弱音を吐くとはな』


 そういうアニスも、口調こそ勇ましいが、熱さに身体が震えている。

 アニスの挑発に対抗心が沸いたか、杏奈の鼻の穴が膨らむ。

 二人とも、互いの姿を見ないようにしながら、湯に浸かり続ける。

 身体はもちろん顔まで、二人して茹でダコ並みに真っ赤になっている。


「あんたら、若いのに頑張るねぇ」


 一緒に風呂に入っているお婆さんが、平気な顔をしている。


「いやぁ、わたし江戸っ子なんで、熱いの慣れてるんです」


 杏奈が答えるも、表情は苦しそうだ。


『そうそう。こんなの、魔界の劫火ごうかに比べたら、そよ風レベルですよ』


 アニスが頬を引くつかせながら答える。


「そうかい。じゃ、わたしはそろそろ上がらせて貰おうかね」


 お婆さんがサッサと風呂を出て縁側に涼みにいってしまう。

 杏奈とアニス、二人の顔が引きつる。


「あ、おばあさん、熱いお風呂に入った後、すぐ動くと危ないですよ! 倒れるといけないから、わたしがついてってあげます!」

『あ、ズルい! ひ、一人で何かあったら大変だから、あたしも側にいてあげる!』


 二人は競い合うように風呂から出た。

 全身真っ赤で、目が血走っている。

 二人とも、もんどり打ちながら、お婆さんを追いかけた。

 ソフィはそんな二人を、ため息をつきながら見送った。



「ぷっはーー、美味い!」

『おほーー、染み渡るーー!!』


 杏奈とアニスが、キンキンに冷えた麦酒を飲んでいる。


「う、ウェイトレスさん、もう一杯持ってきて!」

『あ、こっちもおかわり!』


 六人掛けの席に、杏奈、ソフィ、アニス、マエッキー、オーズラーの五人が座っている。

 五人とも浴衣だ。


『はい、ジュースは、お姫さんかな?』

「はいはーい。待ってましたーー!」


 ウェイトレスが持ってきた飲み物を、通路席に座ったマエッキーが受け取って配る。

 ソフィはジュース、それ以外は全員麦酒だ。


『アニスさま、串盛りと刺し身、そっちに置いてください』

『はい、サラダ。お姫さん、取り分け終わったの、どんどん回してあげてください』


 取り分けは、オーズラーの役目だ。

 逆三角形の体型をしている全身緑色の魔族が、マメマメ働く。


「唐揚げ、レモン掛けちゃおっと」

『姫さん、ダメダメ! 好みは個人個人違うから、自分の取った分にだけ掛けて』


 ソフィの暴挙を、マエッキーが止める。

 一方で、杏奈とアニスは、すっかり意気投合したのか、麦酒を浴びるように飲んでいる。


『勇者ってば、なかなか根性あるじゃん。ちょっと見直したわ』

「あんたもね、四天王。あんた若そうだけど、昔っから四天王やってんの?」


 一通り麦酒を飲んで満足したのか、二人の飲み物が冷酒に代わっている。

 杏奈とアニスが互いに、お酌をし合う。


『いや、あたしはつい半年前まで、魔王城の受付嬢やってたんよ。マエッキーとオーズラーなんて、警備員と、併設食堂の料理人だったんだから』

「え? それがなんで四天王に? 大出世じゃん」

『魔王城や四天王の塔は、普段魔族専用の観光名所になってるんだけど、魔王さまが五百年に一度降臨されると、本来の姿に戻るの。そのときに、魔王さまによって、四天王やら何やら指名されるってシステムなわけ。魔王さまには、なんかの才能を見抜く力があるらしいんだけど、だから人事はホント、寝耳に水なのよね』

「それ、大混乱しない?」

『するする! あたしんちの親なんて泣いちゃってさー。オヤジは喜んでたけど、オフクロは、そんな危険なことしないで嫁に行って欲しいってガン泣きよ。挙げ句、夫婦喧嘩になっちゃってね。ホーント大変だったわ』

「うっはーー、そーりゃ大変だわ」



『お姫さん、よく勇者のパーティなんかやってるね。居心地の良いお城から出て勇者の仲間やるなんて、怖くないの?』

「いえ、わたしは自分の力を試したいのです。お仕着せのモノより、自ら手に入れたモノの方が何倍も価値がある。そう思いません?」

『いやーー、うちの子に聞かせてやりたい。夢なんて、なーんにも語ってくれないもんなー』

『うちの子もだよ、マエッキー。勉強なんて、全くやってくんないんだわ。将来のこととか、ちゃんと考えてんのかね』

「いえいえ、やりたいことが多すぎて、決めかねているってパターンもありますわよ? お子さんたちを信じて、長い目で見守ることも必要なのではなくって?」


 ソフィ、マエッキー、オーズラーも、枝豆を食べながら盛り上がっている。

 そこには、勇者と四天王、あるいは、ヒトと魔族といった垣根を越えて、この世界に生きるもの同士の、普通の人付き合いがあった。


 それは、アーウィンという、ヒトと魔族が混ざり合って生活するこの町ならばこその光景であったかもしれない。

 いずれにしても、このテーブルについた五人は、とても良い、穏やかで楽しいときを過ごしたのであった。



「じゃあね、アニス! また!」

『おう、杏奈! また明日!!』


 杏奈とアニスが手を振り合う。

 二人共、かなり酔っ払っている。

 それを、お互いのパートナーたちが引き取って帰っていく。


 杏奈とソフィはこの町の宿屋へ。

 アニス、マエッキー、オーズラーは、ここからさほど離れていない場所に建っているゼクシアの塔へ。


 この町にいる間は、楽しく仲良くしていられた。

 だが、明日は死力を尽くし、戦い合うことになる。

 杏奈もアニスも、十二分じゅうにぶんにそれを理解している。

 明日はどうなるのか。

 出たとこまかせだ。


 杏奈はソフィの肩を借りながら、星空を見上げた。

 そこには、地球にいたときと変わらぬ、星の海が広がっていた。

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