第21話 時坂杏奈とティアズの塔
【登場人物】
ジン=レイ……二十四歳。ユーレリア神教ワルダラット支部所属の
ピーちゃん……巨大ヒヨコ。パルフェという、馬に並ぶポピュラーな乗り物。
「カフェ巡り? あぁ、魔神の? そうね、前回はコーヒーしか飲まなかったけど、 メニュー表にスィーツ類の写真もたくさん載せてあったわ。『マスターの手作り』って書いてあって、すごく美味しそうだった。次行けたら、その辺りもレポートするね」
杏奈は何も無い空を見ながら、魔神に出してもらったコーヒーの、深みのある味わいを思い出していた。
「ごめんくださーい。ごめんくださーい」
杏奈は塔の正面口にある木製門をノックした。
そう、杏奈は馬鹿正直にも、正面から堂々と乗り込んだのだ。
『誰だ』
しばらくして、門に設置された小窓が開き、そこからイノシシ顔の魔物『オーク』が顔を出す。
だが、誰もいない。
『おっかしいな……』
念の為と思ったのだろう。
槍を持ったオークが門を開けて出てくる。
『がっ!』
そのまま倒れ込む。
隠れていた杏奈が、スリングショットで正確にこめかみを
すかさず、ジン=レイが気絶したオークを物陰に運ぶ。
杏奈とジンは、注意深く塔の中に入った。
とりあえず上に向かう。
「杏奈さん、なんで上なんですか?」
ジンが周囲を警戒しながら、小声で杏奈に話しかける。
「ボスなんて偉いヤツは、たいてい、建物のてっぺんにいるものよ。そして、
塔の中には、思っているほど魔族の姿は無かった。
申し訳程度だ。
そんな中、ルート上、やむを得ず倒さなければならないときだけこめかみを撃って昏倒させ、
杏奈のことだ。
別に、魔神との会話が気になっていたわけではないだろう。
大騒ぎになって周りを囲まれるのは厄介だし、そうなっては、鉄球が底を尽きてしまう。
と、そのとき。
カツカツカツカツ……。
杏奈とジンは、急いで柱の影に隠れた。
そっと音のする方を覗き込む。
魔族の女性だ。
外行きの上品な服を着、バッグを右手に提げている。
女性が最奥の部屋の前まで行き、扉をノックする。
杏奈たちには気付いていない。
コンコン、コンコン。
ガチャ。
『ユ、ユーリーネ。お前、どうしてここに!』
『どうして? あなた先週帰って来なかったじゃない。洗濯物溜まってるんじゃないかと思って』
『忙しかったんだよ。子供じゃないんだ、そのくらい自分で何とかするって』
『なに慌ててんのよ。……まさか、女連れ込んでたりしないわよねぇ』
『何を言ってるんだ。オレは奥さん
『はーーい』
ガチャ。
扉が閉まる。
杏奈とジンは、急いで扉に近寄り、聞き耳を立てる。
中の声が遠い。
どうやら部屋はかなり広そうだ。
意を決し、ドアをそっと開けた。
中に入り、ドアをそっと閉める。
先ほどの二人は奥の方の部屋に行っているようだ。
杏奈は辺りを見回した。
キッチンだ。
扉を入ってすぐのところに、キッチンがある。
杏奈は、キッチンに隠れて、会話を盗み聞きすることにした。
『ウルヴィは連れて来なかったのか』
『明日、運動会なのよ。今日連れ出したら、疲れちゃうでしょ? あの子もパパに会いたがっていたけど、今回はお婆ちゃんに預けてきたわ』
『あちゃーー、運動会、明日だったか。見たかったなぁ。残念だ。まぁ来週末は帰れるだろうから、そのときにいっぱい構ってやるさ』
『そうしてちょうだい。写真はわたしがたくさん撮っておくから』
何やら夫婦の会話のようだ。
旦那は単身赴任でこの塔に来ていて、女房子供は魔界で暮らしていると。
サラリーマンはツラい。
『じゃ、早速お掃除を……あっ!』
ガッシャーーーーーーン!
『お、お前、何やってるんだ!』
『ご、ごめんなさい、ハタキが偶然当たっちゃって』
『マズい、マズいぞ。どうしたものか……』
杏奈とジンは、奥の部屋に駆け込んだ。
そこは、様々な調度品が置いてある、豪華なリビングだった。
マントまで付け、立派な軍服を来た魔族の男性と、先ほどの魔族の女性がこちらを振り返る。
目が合う。
女性が泣いている。
『お前ら、なんだ! 衛兵を呼……』
「待った! 静かに。今誰か来たら、それこそマズいでしょ?」
『た、確かに』
杏奈はリビングの中央に広がった、クリスタルの破片に近寄る。
元々が球形であったことが分かる。
これはどう見ても……。
「
『主人ではありません。わたしがやったんです。
『お前ら、何者だ? 人間が何でこの塔にいる』
「あ、申し遅れました。わたし、時坂杏奈と申します。勇者やってます」
『これはこれはどうもご丁寧に。自分はこのティアズの塔の管理人のユベロスと申します。東の四天王担当です』
「どうもどうも……」
『いや、どうもどうも……』
「四天王!」
『勇者か! えぇい、
「だから、大声出しちゃダメだって! バレたらマズいでしょ?」
『いや、しかし!』
婦人がオロオロしている。
「あの、一つ提案なんですけど……」
ジンが、恐る恐る手をあげる。
勇者・時坂杏奈、東の四天王・ユベロス、その妻ユーリーネ、三人の視線がジンに集まる。
「ここは一つ、杏奈さんが割った、ということにしては
『それは困るわ、ねぇあなた』
『そ、そそそ、そうだな。それは困る』
「でしょう? ですが、勇者と戦って破れて割られた、となれば、まぁ勇者にやられたなら仕方ないね、となりますし、ここで杏奈さんと模擬戦闘を行い、多少の手傷を負えば、傷を癒やす為、という名目で
『上手くすれば、明日の子供の運動会も見ることが出来るということか!』
『あなた!』
二人がヒシっと抱き合う。
東の四天王・ユベロスが杏奈を見て
『ではそれで。とりあえず、お茶でも飲みながら、細かい打ち合わせをしましょう。 ユーリーネ、頼む』
杏奈とジンは応接間に通され、黒の皮ソファに座った。
程なくお茶をお盆に乗せて戻ってきたユーリーネが、お茶を各人の前に置き、自分も、反対側のソファに座っていた亭主ユベロスの隣に座る。
『そういえば、お二人はどうしてここに?』
ユベロスが湯呑を口に運びながら、口を開く。
「あなたの配下、王子に取り憑いてたヤツ、あの人に
『え? あの作戦、成功したんですか? 何も言ってきてないけどなぁ』
「
『いやーー、部下の教育不足で誠にお恥ずかしい。でもそっか。護聖球、一個割れちゃったんですね。参ったな』
「その反応からすると、護聖球が割れるのも歓迎してないの?」
ユベロスが婦人と顔を見合わせる。
『これはここだけの話にしておいて欲しいんですけど。我々魔族は、ヒトとの戦争なんか望んじゃいないんですよ』
「どういうこと?」
杏奈が詰め寄る。
『女神と魔神さまとの間で交わされた条約だか何だか知らないが、五百年に一度、境界線を引き直す、とか言って、お互いの陣営に勇者と魔王が誕生するわけです。最初の創世戦争では、居住エリアを懸けて戦ったわけですから、まぁそれは戦いますよね? でもそれから何千年経ってると思います? 魔族は魔族で、魔界に既に馴染んでいるんですよ? 今更領土交換とか言ったら、双方の陣営に大混乱が起きますって。そう思いません?』
今度は杏奈とジンが顔を見合わせた。
何だか、妙なことになってきたぞ……。
『だから、我々としては、申し訳程度に戦って、体裁を整えて、勇者と魔王さまとの間でこう、なんとなーーく痛み分け的な感じで今代の戦争を終わらせてくれたらなって思うんですよ』
「そういうことか……。でも、そちらの魔王は、かなりキちゃってない?」
『それそれ。もぅ張り切っちゃって、張り切っちゃって。若さゆえか、空気読めないからなぁ、あの人……。あ、魔王さまって、勇者さんと同じ異世界人なんですよね? 何とかなりません?』
「わたしは魔王『
『自分は戦争反対派なので、ここの塔での協力は出来ますが、他の塔の管理人がどう考えているかは……』
「だよね。なるべく血は流したくないんだけどな」
コンコン、コンコン。
ノックの音だ。
全員の視線が扉に集まる。
『なんだ?』
四天王・ユベロスが扉の外に向かって声を掛ける。
『定時連絡です。入ってもよろしいでしょうか』
杏奈とユベロスの視線が絡み合い、どちらからともなく頷く。
二人してリビングに駆け戻る。
ジンは逆に、応接間からベランダに出て、リビングの外側に回る。
割れた護魔球を中心に、杏奈とユベロスが対峙する。
扉の方を見ながら、杏奈がスリングショットをユベロスに向ける。
ユベロスはユベロスで、扉の方を見ながら、剣を構える。
『ユベロスさま、入りますよーー』
ガチャ。
「くらえーーーーーー!」
『うぉぉぉぉぉぉお!』
シュート!
杏奈の放った鉄球がユベロスの右腕に当たる。
ユベロスの剣ごと、その右腕が消失する。
『ぐあぁぁぁぁぁぁあ!』
『あなたぁぁぁぁぁぁ!』
『ユベロスさま! 何が……きさま、勇者か!』
入ってきたのは、ちょっと大柄なオークだ。
慌てて持っていた槍を構える。
『衛兵! 衛兵! ユベロスさまが勇者に襲われている! 集まれ!』
連絡係のオークが外に向かって大声を張り上げる。
杏奈はユベロスを見た。
その腕は、ゆっくりとだが、再生し始めている。
杏奈が頷く。
ユベロスも頷く。
ユベロスに抱きつきながら、ユーリーネも頷く。
ガッシャーーーーン!
「杏奈さん、こっちです!」
ベランダに接した窓ガラスが割れる。
ボス襲撃の報が伝わったか、塔全体が騒がしくなってくる。
杏奈がベランダに出ると、そこにジンが呼んだ二羽のパルフェが待っていた。
すかさず杏奈はピーちゃんに飛び乗る。
「ジン、行くよ!」
「はい、杏奈さん!」
二羽のパルフェは、塔の混乱をよそに、空へと飛び立った。
荒涼たる大地が広がっている。
杏奈とジンは、飛び疲れた二羽のパルフェが回復するのを待って、再び自分のパルフェに乗った。
二羽のパルフェは、だが、別々の方角を向いている。
「杏奈さん、わたしはワルダラットに戻ります。杏奈さんはどうします?」
「わたしはここから、北のヴァッカースを目指すわ。ワルダラットはジンに任せる。次に会うのは、魔王城の前ね」
「必ず駆けつけます」
「頼りにしてるわ」
杏奈は見送るジンに手を振り、ピーちゃんの進路を北へと向かわせた。
向かうは北の大国ヴァッカース。
そこで、何が杏奈を待ち受けているのか。
それはまだ、誰も知らない。
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