第20話 時坂杏奈と魔神の誘い
【登場人物】
ジン=レイ……二十四歳。ユーレリア神教ワルダラット支部所属の
ピーちゃん……巨大ヒヨコ。パルフェという、馬に並ぶポピュラーな乗り物。
「指笛? 来なかったわよ、ピーちゃん。もっとよく仕込まなきゃダメね」
杏奈は何も無い空を見ながら、トレーニング法について考えを巡らせた。
ワルダラット城を出てすでに、三時間。
東の四天王の塔『ティアズの塔』はまだ見えない。
途中、何度か休憩を挟んで進むも、一向に塔は見えてこない。
「ねぇ、道、間違ってるとかいうの無いよね?」
「間違っていないですよ。もう少しこの森を進めば、荒れ地に出ます。その先に目的の塔があります」
「もう少しってどのくらい?」
「あと半日くらいですかね」
「だぁぁぁぁあ! な、ん、で、そんなに、遠いのよ!」
「え? だって近すぎたらすぐ両軍が衝突しちゃうじゃないですか。
ジンが分かったような、分からないようなことを言う。
「滝だ……。ねね、ちょっと休憩しよう。ピーちゃんも結構疲れてきたようだし」
森の中で滝を見つけた杏奈は休憩を提案した。
落差は、二十メートル程度で、それほど大きな滝では無い。
だが、滝壺もあり、パルフェに水を飲ませるのにちょうどいい。
足元が濡れるのも気にせず、二人はパルフェを伴い、滝壺に入った。
一生懸命、水を飲むピーちゃんを見ながら、杏奈はその背中を撫でてやる。
そんなとき、杏奈はふと何かを感じ、振り返った。
ボールを持った子供が二人、楽しそうに話しながら、こちらに向かって駆けてくる。
小さな羽を背中に生やし、額からは小さなツノが伸びている。
二人は楽しそうな表情で杏奈のそばまで来て、そのまま杏奈の体をすり抜けていった。
買い物カゴを持っている。
主婦の……魔族だ。
この女性も、杏奈に全く気付いていない。
土の地面。
空には太陽さえある。
だが、杏奈はすぐ太陽に違和感を感じた。
おそらく何らかの大魔法が働いているのだろう。
空は、天井を塞ぐ大質量の土を透過して見えているようだ。
お陰で明るいが、地上ほどの明るさは得られていない。
二割減といった感じか。
そうだ、ピーちゃんは?
だが、振り返った杏奈の前には、滝壺も、ジンも、パルフェのピーちゃんもいなかった。
代わりに、そこに喫茶店があった。
……喫茶店?
時代掛かった雰囲気の喫茶店が一件建っている。
魔族の街並みにもそぐわない。
こういうお店は、東京の裏路地にこそあるべきものだ。
それが、道路の真ん中に、いきなり出現している。
杏奈は恐る恐るドアの取っ手に手を伸ばした。
……握れる。
カランカラン。
「いらっしゃい」
マスターの低めの渋い声が杏奈を出迎える。
店の中は、思った以上に
濃いめのフローリングに、ナチュラル色の木製テーブルと椅子。
壁には、西洋の白黒写真が飾られ、間接照明が室内を彩る。
微かに流れるジャズが店内に漂う。
夜、こんなお店で口説かれたら、コロっといってしまうかもしれない。
ま、わたしには縁が無いけど。
杏奈は室内を見回し、入り口で突っ立ったままマスターに声を掛けた。
「あのさ、わたし回りくどいの苦手なのよ。察するってことがメチャメチャ苦手でね。見れば分かるでしょ? だから、言いたいことがあるならキチンと言って欲しいのよ。言ってる意味、分かる?」
細マッチョ体型でメガネを掛け、ヒゲを蓄えたダンディなマスターは、一瞬キョトンとし、それから軽く含み笑いをした。
「なかなかどうして面白いお嬢さんだ。女神ユーレリアのお気に入りなだけのことはある。まぁどうぞお好きな席へ。コーヒーでいいですか?」
マスターがサイフォンに火をつける。
杏奈はその動きを見ながら、マスターの正面、カウンター席に座った。
「ここ、どこなの? 魔界?」
「外の風景ですか? えぇ、そうですね。魔界と半分だけ重ねました。今は、どこでも無い空間に繋げてあります。普段は、東京や横浜、神戸とかにもあったりしますよ」
「え? 店ごと移動するの?」
「そうそう。適当な場所を見つけてそこに設置するんです。翌日また来店しようとするも、そこにお店は無い。一夜の幻のような店なんです」
「大神ガリヤードさまと同じね」
「まさにそれ。彼と同じ。この店には、わたしの趣味の
コーヒーのいい香りが漂ってくる。
「さ、どうぞ」
杏奈は出されたコーヒーに口をつけた。
「美味しい!」
「でしょう? 豆から道具から、何から何まで、こだわり抜きましたからね」
「あぁ、でもお支払いどうしよ。わたし、ヴァンダリーアのお金しか持ってないよ」
「いいです、いいです。今回はわたしが招いたんですからね。オゴリです。もしあなたが地球でわたしの店を訪れるようなことがあれば、そのときにでも」
杏奈はジャズに耳を傾けながら、コーヒーの湯気越しにマスターを見る。
「それで? わたしに何の用なの? 魔神アークザインさん」
「……わたしの正体に気付いていましたか。ではお遊びの時間はここまでです。ここで貴女を食べて、この物語を終わりにしましょう!」
マスターの影がどんどん伸びていく。
壁に映った影に、コウモリのような翼と、巨大な一対のツノが生える。
だが、杏奈の顔に動揺の色は全く無い。
「嘘ね」
「嘘?」
「あなたたち神さまは、世界をチェス盤のようにしか見ていない。自分の手駒を導き、それがどう動くかだけを見ている。だから、相手の手駒に直接手出しはしない。 そんなことしたら、あっという間にゲームが終わっちゃうもの。違う?」
魔神アークザインの影が見る間に引っ込む。
マスターが苦笑いを浮かべる。
「思った以上にキレ者のようだ。わたしはね、杏奈さん。貴女に魔界を見ていただきたかった。そこでは、地上の人々と変わらず、魔族による日々の営みが行われている。創世戦争でたまたまわたしが負けたから、ヒトが地上に、魔族が魔界に住むようになった。だが、入れ替わってもそれは全く同じでしょう。さて、そこでわたしは貴女に問いたい。貴女はなぜ、魔族を殺すのです? 姿かたちが違うから? 女神に言われたから? これまでは情報が何も無かったから流されても仕方ないと思う。だが今、貴女は真実を知った。さぁ、どうします? 今まで通り、魔族を殺し続け、魔王『
杏奈は飲み終えたコーヒーカップをゆっくりテーブルに置いた。
「そっか、彼、山本星海っていうんだ。……ね、聞いていい?」
「何なりと」
メガネ越しにマスターの目が光る。
「他の勇者たちは何て? 当然、聞いたのよね?」
「勿論。皆が皆、口を揃えて『だからどうした?』と言いましたよ。まぁ、彼らはヴァンダリーア人でしたからね。ヒトと魔族は敵対する。互いに
杏奈は少し考えながら口を開いた。
「わたしの目的は、身内のしでかした後始末をすること。すなわち、魔王・山本星海を地球に連れ帰って、
「魔王を地球にね……。彼がそれを望めばいいが」
「なに?」
「いえ、何でもありません。回答ありがとう、お嬢さん。そろそろ送りましょう」
杏奈は席を立ち、店の扉を開こうとドアノブに手を伸ばし、そこで振り返った。
「ね、最後に一個だけ質問」
「なんです?」
「割れた
「いえ、あれは自動復活します。
「わたしが首尾よく、魔王・山本星海を地球に連れ帰ったとして、そしたらすぐってことね?」
「そう考えてもらって
「そっか。それ聞いて安心した。じゃ、また。魔王城でお会いしましょ」
「では、また。魔王城でお会いしましょう」
杏奈が喫茶店を出ると、目の前にピーちゃんがいた。
一生懸命、水浴びをしている。
「あれ? 杏奈さん、さっきからそこにいました?」
自分のパルフィに騎乗したジンが、杏奈の姿を見つけ、寄ってくる。
「探しちゃいましたよ。あぁ、でも良かった。そろそろ行きますか」
「そうね。行きましょ」
杏奈は、ピーちゃんに
ワルダラットはどうなっているだろう。
だが、任せるしかない。
杏奈の使命は、四天王の塔にある
そして、魔王城に乗り込み、魔王を倒すこと。
今はそれに専念しよう。
杏奈は、東の四天王の塔『ティアズの塔』に向かって、再びピーちゃんを歩ませ始めた。
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