第11話 時坂杏奈とスパリゾートアイランド

【登場人物】

時坂杏奈ときさかあんな……二十三歳。無職。いじめっ子。



「いじめっ子? なんでいじめ……あぁ、セイレーンか。やり口が陰湿? でもあれ魔物よ? あれのせいでみんな大迷惑してたのよ? 少しくらい、痛い目見せてあげないと、ね?」


 杏奈は何も無い空を見、自己弁護をした。



「うぉーーーー。リゾートアイランド、来たーーーー!」


 杏奈は船を降りるなり、両手でバンザイしながら歓喜の雄叫びをあげた。


「グレースちゃん、見ちゃダメよ」


 杏奈の横を、幼児を抱えた若夫婦がそそくさと通り過ぎる。

 

「…………き、気を取り直して行こう、うん」


 ここはグランバート島。

 温泉が湧き出るリゾートアイランドだ。

 フリルギアから中央大陸に渡る船が、途中、寄港地として寄ったのだが、温泉があると聞いて杏奈も降りた。

 別に急ぐ旅でなし、少し遊んでいこう。


 同じようにここで降りた客が大勢いたところを見ると、この辺りでは有名なリゾート地のようだ。

 セイレーンが出てから開店休業状態であったのが、一気に客足が戻ってきたからだろう。

 みな、熱烈歓迎を受けている。


 杏奈も、貰った花冠はなかんむりを頭に乗せ、この島唯一の宿泊施設に入った。


 もちろん、日帰り入浴も出来るのだが、セイレーン退治の報酬で、今、杏奈の懐は温かい。

 ここは泊まる一択でしょう。


 杏奈はあてがわれた部屋で服を着替えた。

 館内着は、カラフルな貫頭衣だ。

 説明書きによると、この辺りの樹木で手染めしたものらしい。

 その為、全てが一点モノとなっている。

 ちなみに、売店で購入可能なようだ。


 買って帰るのもアリだな。

 杏奈はポーチ片手に、温泉に向かった。


「ね、聞いた? 女湯で奇妙なことが起きているらしいわよ」

「どういうこと?」

「視線を感じるらしいの。お客さんに言われて念の為に確認してみたけど、男性が入ったような形跡も無かったわ。何だと思う?」


 杏奈が温泉に向かうべく館内通路を歩いていたとき、布団部屋から妙な会話が聞こえてきた。

 思わず部屋を覗き込む。

 使用人の女性たちが何人か仕事をしながら会話をしているようだ。


「男湯の方は異変は無かったの?」

「女湯だけ。だから、どこぞの出歯亀でも入り込んだかと思ったんだけど」

「怖いわね。じゃ、女湯の清掃するときに、念入りにチェックしましょ」


 杏奈はそこから離れた。

 今はオフだ。

 オフなのに仕事するなんて、冗談じゃない。

 それに、この島には冒険者ギルドは無いから、解決してもお金にはならない。

 よし、聞かなかったことにしよう。

 

 ……もし本当に出歯亀がいたなら、ぶっ殺すけどね。

 杏奈は勇者にあるまじき決意を胸に、再び温泉に向かって歩き出した。


「いぃーーーー、よいしょぉーーーー!」

 

 杏奈はバスタオルを体に巻いたまま、足先からゆっくり湯船に入った。

 程よい熱さだ。 

 

 異世界の特徴、というよりも、この温泉の特徴なのだろう。

 お湯がふんだんに湧き出ているからか、この温泉は、バスタオルや湯浴み着、水着などを着用して入っていいルールになっている。

 お陰で、杏奈の貧弱体型をバスタオルがすっかり隠してくれて、全く恥ずかしくない。

 

 尚、この施設には、杏奈が浸かっていたメインの天然温泉だけでなく、寝湯や壺湯、日替わり風呂など、様々なタイプの露天風呂がある。

 その数、なんと、二十種類以上。

 それらが敷地内に点在していて、それぞれの距離が結構ある。

 だがその分、一日楽しめるようになっている。


「くぁーー、極楽極楽、生き返るーーーー!」


 杏奈は湯船の中で雄叫びをあげつつ、大きくノビをした。

 

「グレースちゃん、見ちゃダメよ」


 幼児を抱えたバスタオル姿の女性が、杏奈の前を通り過ぎる。


「……公共の場だからね。うん、もうちょっと声を控えめにしよう」


 ぶくぶくぶく。


 杏奈はお湯に浸かりながら、前方を見た。

 岩を積み上げて作られた湯船の縁越しに、素晴らしい光景が広がっていた。 


 海だ。 

 海が杏奈のすぐ目の前にある。

 視界全てを海が占めている。

 

 建物が海に面して建てられている上に、大浴場が、一階に配置されている為、実際には、十メートルは湯船と海が離れているのだが、湯船に浸かりながら海を見ると、まるで湯船と海が直結しているかのような錯覚に陥るのだ。

 

 それは、俗に言うインフィニティ温泉だった。

 遥か彼方に、水平線が見える。

 こーりゃ、圧巻だわ。


 景色を存分に楽しんだ杏奈は、横に立っている看板を確認し、次に、近くにある泥風呂に向かった。


 灰白色かいはくしょくの泥風呂も、賑わっていた。

 杏奈も周囲の女性客のやり方を真似て、底に溜まった泥をすくって、存分に顔と体に塗りたくる。

 この泥パックが、肌をスベスベにしてくれるらしい。

 

 ここは異世界だ。

 元いた地球と違って、ここでは化粧水も乳液も手に入らない。

 お肌のケアをする機会がめっきり減ってしまった。

 お陰で、最近、肌がカサついてきた気がする。

 ここらでしっかり保湿しないと。


 杏奈は湯船に浸かったまま、目を閉じた。

 そのとき。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!」


 女性の悲鳴が響き渡る。

 杏奈は反射的に湯船から出て、悲鳴のあがった方に走った。


 杏奈が着いてみると、そこに、湯から出て、固まって震えている若い女性、三人組がいた。

 杏奈だけでなく、他の女性客も、何ごとかと集まってくる。 


「何かいるの! お風呂の中で胸をさわられたわ!」


 一際ひときわ胸の大きい女性が訴える。

 集まった全ての人の視線が湯船に集まる。

 いい匂いだ。

 どうやらここは、ハーブ湯らしい。


 湯の中には、何も見えない。

 湯は、ほんのり緑がかった色をしてるが、底まで見透せる。

 そこに何の姿も無い。

 隠れられる場所も無い。


「何かの間違いなんじゃないの?」


 モデルかと見紛みまごう、スタイルの良い女性が、湯船に入る。

 途端に。


「嫌っ! お尻を触られたわ! 本当に何かいる!」


 杏奈は、慌てて湯船から飛び出る女性を後ろにかばい、ポーチから鉄串を出す。

 本当は愛用のスリングショットを持ってきたかったが、さすがに、あれを付けた状 態でお風呂には入れない。


 と、湯船の表面が、ぬーーっと持ち上がる。

 向こうが透けて見える。 

 透明な体をした魔物だ。 


「何あれ!」


 女性陣の視線が集まる。

 杏奈は鉄串を投げた。

 ヒュンっと水怪が湯船に引っ込む。

 水に紛れ、姿が見えなくなる。


 集まった女性客が一斉に逃げ出す。

 その場に留まるのは、杏奈だけだ。

 だがどうする。

 見えない敵をどうやって倒す。


 出たとこ勝負だ!

 杏奈は湯船に浸かろうとして、動きを止めた。


 やばい、わたし、体中泥だらけだ。

 いそいそとそこを離れ、滝風呂に向かった。

 頭上、五メートルの高さからお湯が落ちてくる。

 直下に行って泥を落とす。

 

 あぁ、ほんとだ。体中、スベスベになってる。

 確か、お土産コーナーに、温泉水のもとが売っていたはず。

 よし、帰りに買っていこう。

 

 杏奈は、すっかり泥を落としてからハーブ湯に戻ったが、誰もいなかった。

 従業員を呼びに行って、まだ帰ってきていないのだろう。

 

 杏奈は、そっと湯船に足を入れた。

 結構熱い。

 ゆっくり肩まで浸かる。

 そのままじっと待つ。


 ……。

 …………。 

 ………………。


「熱いわ!」


 杏奈は湯船から飛び出た。

 おかしい。

 なぜ襲ってこない。

 妙齢の女性が風呂に入っているんだぞ?

 今がチャンスだろうに。


「オレにだって、選ぶ権利はあるわ!」


 杏奈の耳元で、あざけるような笑い声がした。

 杏奈は振り向きざま、拳を思いっきり振るった。


「ぐがっ!」


 何かが床に倒れた音がした。

 素っ裸の男性の姿がゆっくり現れてくる。

 杏奈は、そーっと男性を見る。


 余程いいところにヒットしたのか、男性は泡を吹いて気絶していた。

 特殊能力で水怪に変じていただけで、どうやらこちらが本体らしい。

 

 魔物は人間への性欲など持ち合わせない。

 だから、この手の犯罪を犯すなら、パっと見、魔物に見えても、本体は人間だと杏奈は推察していた。

 だから鉄串は使わなかった。 

 人殺しは、したくないもんね。


 と、先ほどの女性客が、従業員と一緒に駆け戻ってくるのが見えた。

 杏奈は、ホっと息をつき、そちらに向かって手を振った。


 

「え? いいんですか? こんなに豪華な料理、いただいちゃって」

「いいんです、いいんです。存分に食べて、飲んでください」


 杏奈の部屋の机の上が、料理でいっぱいになる。

 島だけあって、魚介系の料理がズラリと並ぶ。


「うっま!」


 杏奈はお酒を浴びるように飲みながら、魚をつまんだ。

 今回の出歯亀退治だが、お金による謝礼は出なかった。

 その代わり、飲食費も含め、宿泊代がタダとなった。

 

 せっかくセイレーンがいなくなり、営業が再開出来たのに、出歯亀が出て、客足が遠のくところを杏奈が救ったのだ。

 それぐらいはしてもらわないと。


 この歓待なら、杏奈としては、収支は大幅黒字だ。

 杏奈は十分満足し、存分に食い、飲み、爆睡した。



 翌日、杏奈は再び船に乗った。

 宿の人には、もう何日か宿泊していかないかと言われたが、丁重に断った。

 さすがに、出歯亀一人捕まえたくらいで連泊するのは図々しすぎる。

 それに、魔王のことも、あまり放っておくわけにもいかない。

 

 杏奈は潮風に当たりながら、前方に見えてきた中央大陸を見つめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る