第10話 時坂杏奈と海の怪異
【登場人物】
「性悪? 分かってないわねぇ。魅力的な女性は、ミステリアスでちょっと
杏奈は何も無い空を見、フフンっと鼻で笑った。
杏奈は風の中に潮の香りを感じた。
ここフリルギアは、港町だ。
城があるわけではないので、先のエドモントほど大きくはないが、船による交易が盛んなようで、特に市場の辺りは、非常に活気がある。
杏奈は市場を散策しながら、クシに刺さった
やはり、市場で食べる新鮮な魚介は最高だ。
次は何を食べようかと、キョロキョロ辺りを見回していた杏奈の耳に、市場の片隅に集まって話をしている漁師たちの会話が入ってきた。
「やっぱりあの水路、通れないか」
「ああ、ダメだな。何度か試してみたが、どうにも前に進めねぇ。何とかヤツを排除しないと、いつまで経っても大陸には渡れないぞ」
「このままの状態が続くと大陸航路が干上がっちまう。困ったもんだ」
「冒険者ギルドは? 依頼はしたんだろ?」
「もちろん。でも魔物とはいえ相手は女だ。男の冒険者には荷が重くて、引き受け手が現れないらしい」
金の匂いがする……。
杏奈はそっと市場を離れた。
そのまま、冒険者ギルドに向かう。
冒険者ギルドは意外と近く、市場を出てすぐのところにあった。
さっきの話からすると、漁業ギルドが依頼主になっている案件があるはず……あった、これだ。
【E 水路を
北の海に岩礁があって、その真ん中に大型船も通れる水路が存在している。
普段、漁業ギルドの船は、そこを通って北の大陸に交易に向かうのだが、数日前からそこに女怪が現れ、何らかの魔法によって、船を通れなくさせているらしい。
船を止める女怪ねぇ……。
杏奈は壁に貼られた一枚の依頼書を剥がし、カウンターの係員に見せた。
「これ、受けたいんだけど」
「これかい? でもこれE案件だよ? あんた、
「そんなこと言ってられないでしょう。女性冒険者が必要なんでしょ? 女性冒険者、他にいるの?」
「いや、しかし……」
「いいじゃないか、やらせてみても。多少ランクが足りなくても、やる気がそれを補ってくれる場合もある。案外、上手くいくかもしれんぞ?」
杏奈と係員との会話に、第三者が割り込んだ。
身長、二メートル近い、筋骨隆々とした男性だ。
タンクトップに似た、肩を出した服を着、背中に巨大で分厚い鉄の塊、バスターソードを背負っている。
男性は杏奈にウィンクをする。
パっと見、年齢は杏奈より上なようだ。
杏奈は会釈で応える。
杏奈は無遠慮そうに、上から下まで男性をジロジロ見つめた。
と、男性の両肩に、妙なアザを見つけた。
まるで星の形だ。
はて、どっかでこんな話、聞いたような……。
「分かりました。この案件、
「は、はい」
係員の声に我に返った杏奈は、依頼書を手に、ギルドを出た。
「大丈夫ですかね、あの人」
「ま、何とかなるだろ。オレの勘がそう言っている」
「勘……ですか。でも
男性冒険者『スターゲイル・クレイグ』は、係員に向かって、ウィンクをしながら、右手の親指を立ててみせた。
杏奈はチャータ船の
船の左右に岩礁が広がっている。
よくもまぁ、こんな岩礁の、ど真ん中に航路があるものだ。
一応、大型船も通れる幅はあるものの、何かの間違いで岩礁に突っ込んだら、あっという間に船底に穴が開くだろう。
危険な水路だ。
だが、ここは現状、大陸への唯一の道となっている。
この水路が通れなくなるのは貿易関係者にとって、かなりの痛手だろう。
そして、その分、報酬は高くなる。
今回の成功報酬は五十万リン。
大ネズミ退治が十万リンだったから、ざっと五倍だ。
それだけあれば、またしばらく、懐を気にしないでいられる。
とはいえ、まずは乾杯よね。
などと、まだ得てもいない報酬のことを考えていたときだ。
何かが聞こえてきた。
風の音?
いや、人の声だ。
歌声だ。
杏奈は、耳と目をフル動員して、音の発生源を探った。
いた。
二百メートル先の大きな岩の上だ。
青のドレスを着た女性が岩の上に座っている。
と、杏奈の乗っていた船が後ずさりを始めた。
風では無い。
魔力のような、何かしら別の力が船を押し返している。
杏奈は振り返って船頭を見た。
いきなり振り返って自分を見た杏奈に、船頭がキョトン顔を返す。
どうやら何も聞こえていないらしい。
杏奈は市場で事前に聞き込みをしていた。
船が進めなくなるとき、女性の歌声が聞こえたという。
そして、なぜかそこを一刻も早く離れなくてはならない、猛烈な焦燥感に駆られるらしい。
そこで杏奈は、もう引退して久しい元船乗りの老人を船頭として雇った。
老人は、腕はまだ達者だが、耳も目も弱かった。
杏奈の読みは当たり、歌声が流れていても、全く影響していない。
杏奈は船から岩礁に飛び移った。
ちょっと足元が濡れて滑るが、気をつけて行けば歌声の主のところまで行けそうだ。
「ここで待ってて!」
杏奈が岩礁から振り返って、船頭に向かって叫ぶ。
船頭はキョトンとしている。
聞こえていないらしい。
耳に手を当て杏奈を見る。
「ここで、待ってて!」
杏奈は再度、大声を出す。
船頭は首をかしげた。
杏奈はため息を一つつき、船を後にした。
「ちょっとさぁ、そこのあんた。歌、歌うのやめてくんない? 近所迷惑なんだけど」
杏奈はほんの十メートルの距離から、女性に向かって話し掛けた。
思ったより簡単にここまで歩いてこれた。
だが女性は歌うのをやめない。
身振り手振りまで交えて歌っている。
オペラか!
しかし、この距離なら間違いなく聞こえているはずだが……。
「ね、ちょっとあんた。聞こえてんでしょ? 無視しないでよ」
たっぷり歌い終わってから女性が杏奈の方に振り向いた。
「我が名はセイレーン。美しい歌声で船を追い返す、海に棲む怪異。醜い者の姿は、極力視界に入れたくないの」
そして杏奈の存在を一瞬で忘れたかのように、再び朗々と歌い始める。
ブチン。
杏奈の頭のどこかがキレる音がした。
杏奈は無言で左手首を振って、スリングショットをセットした。
同時に、右手で腰に結わえた小袋の中の鉄球を何個かむんずと掴む。
撃つ。
撃ちまくる。
セイレーンの周囲の岩に、鉄球が幾つもめり込んだ。
「わわわわっ! ちょっと! 何してくれてんのよ!」
たまらずセイレーンが叫ぶ。
「やっかまっしゃぁぁぁぁあ! 歌をやめやがれぇぇぇぇぇえ!」
「やめたわよ! これで満足なんでしょ? このチンチクリンが!」
杏奈は再び無言でスリングショットを撃ちまくった。
セイレーンの周囲に、またも鉄球がめり込みまくる。
中には、跳弾と化す鉄球もあって、セイレーンの体をかすめる。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!」
セイレーンが悲鳴をあげる。
杏奈は、わざと外して撃っているが、その目はもはや、人殺しの目だ。
と、杏奈の右手が腰の袋の中を激しくまさぐる。
鉄球が無い。
弾切れだ。
「ちっ」
思わず舌打ちが出る。
小袋の鉄球は、百発入りだ。
怒りの為か、たった、一、二分の間に、百発分、全て撃ち尽くしてしまったようだ。
セイレーンは好機と見たか、右手で杏奈を指さした。
途端に、杏奈の周囲の波が高くなってくる。
魔力で
波に飲まれて岩礁に叩きつけられようものなら、あっという間に即死した挙げ句、体中あちこち無惨に削られることだろう。
ただし、セイレーンは知らないことだが、杏奈は無敵防御のスキルを持っている。
岩礁に叩きつけられた程度で傷を負うかどうか、
「リロードの時間なんか与えないわ! 高波に揉まれて死ぬがいい!」
セイレーンが高らかに叫ぶ。
だが、杏奈はそんなセイレーンを冷たい目で見ながら、右手で腰のベルトを半周させた。
たったそれだけで、杏奈の前に鉄球、百発入りの小袋が現れる。
セイレーンの顎が落ちる。
「そんなこともあろうかと、ベルトの背中側に一袋、鉄球袋をくくり付けておいたのよ。じゃ、お仕置きタイム、再開しよっか」
杏奈が、悪魔の笑みを浮かべる。
セイレーンが、何か恐ろしいモノでも見たような表情で後ずさる。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
セイレーンの悲鳴が、海にこだました。
「
「はい、これでFランクの依頼が受けられるようになります」
杏奈は冒険者ギルドの係員から、新しく刻まれたタグを受け取った。
変更は刻まれた字だけだから、見た目は全く変わっていない。
その場で珊瑚級のタグと付け替える。
杏奈は係員に礼を言って、冒険者ギルドから出た。
背中のリュックがズッシリ重い。
セイレーンを排除した報酬だ。
思わず、頬が緩む。
あの後、セイレーンは泣きながら海に消えていった。
どこに行ったかは分からないが、トラウマをたっぷり植え付けてやったから、しばらくは出てこないだろう。
いい気味だ。
杏奈は市場に併設して作られた船着き場に着いた。
大混雑だ。
セイレーンがいなくなってすぐ営業を再開したのだろう。
ここでずっと足止めを食らっていた人たちが、一斉に動き出した感じだ。
杏奈は係員に、二千リン払って船に乗り込んだ。
定員、百名らしいが、それ以上乗っている気がする。
客席はギュウギュウだ。
客席を諦め、甲板に出る。
風が気持ちいい。
船が動き出す。
次は中央大陸だ。
魔王のアジトがどこにあるのか分からないが、少なくともこの小さな大陸にその痕跡は無かった。
だが、中央大陸になら、ヒントがあるかもしれない。
待ってなさいよ、魔王。
あたしがあんたを、嫌ってほどお仕置きしてやるから。
杏奈は風に吹かれながら、前方、船の行く先を見つめた。
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