第10話 時坂杏奈と海の怪異

【登場人物】

時坂杏奈ときさかあんな……二十三歳。無職。性悪女しょうわるおんな



「性悪? 分かってないわねぇ。魅力的な女性は、ミステリアスでちょっとワルの匂いがするものよ?」


 杏奈は何も無い空を見、フフンっと鼻で笑った。



 杏奈は風の中に潮の香りを感じた。

 ここフリルギアは、港町だ。

 城があるわけではないので、先のエドモントほど大きくはないが、船による交易が盛んなようで、特に市場の辺りは、非常に活気がある。

 

 杏奈は市場を散策しながら、クシに刺さった塩焼しおやざかな焼貝やきがいを頬張った。

 やはり、市場で食べる新鮮な魚介は最高だ。

 

 次は何を食べようかと、キョロキョロ辺りを見回していた杏奈の耳に、市場の片隅に集まって話をしている漁師たちの会話が入ってきた。


「やっぱりあの水路、通れないか」

「ああ、ダメだな。何度か試してみたが、どうにも前に進めねぇ。何とかヤツを排除しないと、いつまで経っても大陸には渡れないぞ」

「このままの状態が続くと大陸航路が干上がっちまう。困ったもんだ」

「冒険者ギルドは? 依頼はしたんだろ?」

「もちろん。でも魔物とはいえ相手は女だ。男の冒険者には荷が重くて、引き受け手が現れないらしい」


 金の匂いがする……。 

 杏奈はそっと市場を離れた。

 そのまま、冒険者ギルドに向かう。

 冒険者ギルドは意外と近く、市場を出てすぐのところにあった。

 

 さっきの話からすると、漁業ギルドが依頼主になっている案件があるはず……あった、これだ。


 【E 水路をき止める女怪 排除】 

 

 北の海に岩礁があって、その真ん中に大型船も通れる水路が存在している。

 普段、漁業ギルドの船は、そこを通って北の大陸に交易に向かうのだが、数日前からそこに女怪が現れ、何らかの魔法によって、船を通れなくさせているらしい。

 

 船を止める女怪ねぇ……。 

 

 杏奈は壁に貼られた一枚の依頼書を剥がし、カウンターの係員に見せた。


「これ、受けたいんだけど」

「これかい? でもこれE案件だよ? あんた、珊瑚級コーラルだろ? Gまでしか受けられないだろう」

「そんなこと言ってられないでしょう。女性冒険者が必要なんでしょ? 女性冒険者、他にいるの?」

「いや、しかし……」

「いいじゃないか、やらせてみても。多少ランクが足りなくても、やる気がそれを補ってくれる場合もある。案外、上手くいくかもしれんぞ?」


 杏奈と係員との会話に、第三者が割り込んだ。

 身長、二メートル近い、筋骨隆々とした男性だ。

 タンクトップに似た、肩を出した服を着、背中に巨大で分厚い鉄の塊、バスターソードを背負っている。

 

 男性は杏奈にウィンクをする。

 パっと見、年齢は杏奈より上なようだ。

 杏奈は会釈で応える。 

 

 杏奈は無遠慮そうに、上から下まで男性をジロジロ見つめた。

 と、男性の両肩に、妙なアザを見つけた。

 まるで星の形だ。

 はて、どっかでこんな話、聞いたような……。


「分かりました。この案件、貴女あなたにお任せします。よろしくお願いします」

「は、はい」


 係員の声に我に返った杏奈は、依頼書を手に、ギルドを出た。

 

「大丈夫ですかね、あの人」

「ま、何とかなるだろ。オレの勘がそう言っている」

「勘……ですか。でも数多あまたの戦場を駆け抜けた『スターゲイル・クレイグ』さんが そう言うのなら、信じていいのかも」


 男性冒険者『スターゲイル・クレイグ』は、係員に向かって、ウィンクをしながら、右手の親指を立ててみせた。



 杏奈はチャータ船の舳先へさきに立ち、前方をにらみつけた。

 船の左右に岩礁が広がっている。

 よくもまぁ、こんな岩礁の、ど真ん中に航路があるものだ。

 

 一応、大型船も通れる幅はあるものの、何かの間違いで岩礁に突っ込んだら、あっという間に船底に穴が開くだろう。

 危険な水路だ。 

 

 だが、ここは現状、大陸への唯一の道となっている。

 この水路が通れなくなるのは貿易関係者にとって、かなりの痛手だろう。

 そして、その分、報酬は高くなる。


 今回の成功報酬は五十万リン。

 大ネズミ退治が十万リンだったから、ざっと五倍だ。 

 それだけあれば、またしばらく、懐を気にしないでいられる。

 とはいえ、まずは乾杯よね。

 などと、まだ得てもいない報酬のことを考えていたときだ。


 何かが聞こえてきた。

 風の音?

 いや、人の声だ。

 歌声だ。

 

 杏奈は、耳と目をフル動員して、音の発生源を探った。

 いた。

 二百メートル先の大きな岩の上だ。

 青のドレスを着た女性が岩の上に座っている。


 と、杏奈の乗っていた船が後ずさりを始めた。

 風では無い。

 魔力のような、何かしら別の力が船を押し返している。


 杏奈は振り返って船頭を見た。

 いきなり振り返って自分を見た杏奈に、船頭がキョトン顔を返す。

 どうやら何も聞こえていないらしい。 


 杏奈は市場で事前に聞き込みをしていた。

 船が進めなくなるとき、女性の歌声が聞こえたという。

 そして、なぜかそこを一刻も早く離れなくてはならない、猛烈な焦燥感に駆られるらしい。


 そこで杏奈は、もう引退して久しい元船乗りの老人を船頭として雇った。

 老人は、腕はまだ達者だが、耳も目も弱かった。

 杏奈の読みは当たり、歌声が流れていても、全く影響していない。

 

 杏奈は船から岩礁に飛び移った。

 ちょっと足元が濡れて滑るが、気をつけて行けば歌声の主のところまで行けそうだ。


「ここで待ってて!」



 杏奈が岩礁から振り返って、船頭に向かって叫ぶ。

 船頭はキョトンとしている。

 聞こえていないらしい。

 耳に手を当て杏奈を見る。


「ここで、待ってて!」


 杏奈は再度、大声を出す。

 船頭は首をかしげた。

 杏奈はため息を一つつき、船を後にした。



「ちょっとさぁ、そこのあんた。歌、歌うのやめてくんない? 近所迷惑なんだけど」


 杏奈はほんの十メートルの距離から、女性に向かって話し掛けた。

 思ったより簡単にここまで歩いてこれた。

 だが女性は歌うのをやめない。

 身振り手振りまで交えて歌っている。

 オペラか!

 しかし、この距離なら間違いなく聞こえているはずだが……。


「ね、ちょっとあんた。聞こえてんでしょ? 無視しないでよ」


 たっぷり歌い終わってから女性が杏奈の方に振り向いた。


「我が名はセイレーン。美しい歌声で船を追い返す、海に棲む怪異。醜い者の姿は、極力視界に入れたくないの」


 そして杏奈の存在を一瞬で忘れたかのように、再び朗々と歌い始める。


 ブチン。


 杏奈の頭のどこかがキレる音がした。

 杏奈は無言で左手首を振って、スリングショットをセットした。

 同時に、右手で腰に結わえた小袋の中の鉄球を何個かむんずと掴む。


 撃つ。

 撃ちまくる。

 セイレーンの周囲の岩に、鉄球が幾つもめり込んだ。 


「わわわわっ! ちょっと! 何してくれてんのよ!」


 たまらずセイレーンが叫ぶ。

 

「やっかまっしゃぁぁぁぁあ! 歌をやめやがれぇぇぇぇぇえ!」

「やめたわよ! これで満足なんでしょ? このチンチクリンが!」


 杏奈は再び無言でスリングショットを撃ちまくった。

 セイレーンの周囲に、またも鉄球がめり込みまくる。

 中には、跳弾と化す鉄球もあって、セイレーンの体をかすめる。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!」 


 セイレーンが悲鳴をあげる。 

 杏奈は、わざと外して撃っているが、その目はもはや、人殺しの目だ。

 と、杏奈の右手が腰の袋の中を激しくまさぐる。

 鉄球が無い。 

 弾切れだ。 


「ちっ」


 思わず舌打ちが出る。

 小袋の鉄球は、百発入りだ。

 怒りの為か、たった、一、二分の間に、百発分、全て撃ち尽くしてしまったようだ。

 

 セイレーンは好機と見たか、右手で杏奈を指さした。

 途端に、杏奈の周囲の波が高くなってくる。

 魔力で高波たかなみを呼んでいるのだろう。

 

 波に飲まれて岩礁に叩きつけられようものなら、あっという間に即死した挙げ句、体中あちこち無惨に削られることだろう。

 ただし、セイレーンは知らないことだが、杏奈は無敵防御のスキルを持っている。

 岩礁に叩きつけられた程度で傷を負うかどうか、はなはだ疑問だ。

 

「リロードの時間なんか与えないわ! 高波に揉まれて死ぬがいい!」


 セイレーンが高らかに叫ぶ。

 だが、杏奈はそんなセイレーンを冷たい目で見ながら、右手で腰のベルトを半周させた。

 たったそれだけで、杏奈の前に鉄球、百発入りの小袋が現れる。

 セイレーンの顎が落ちる。 


「そんなこともあろうかと、ベルトの背中側に一袋、鉄球袋をくくり付けておいたのよ。じゃ、お仕置きタイム、再開しよっか」


 杏奈が、悪魔の笑みを浮かべる。

 セイレーンが、何か恐ろしいモノでも見たような表情で後ずさる。


「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」


 セイレーンの悲鳴が、海にこだました。



水晶級クォーツ?」

「はい、これでFランクの依頼が受けられるようになります」


 杏奈は冒険者ギルドの係員から、新しく刻まれたタグを受け取った。

 変更は刻まれた字だけだから、見た目は全く変わっていない。

 その場で珊瑚級のタグと付け替える。 

 杏奈は係員に礼を言って、冒険者ギルドから出た。

 

 背中のリュックがズッシリ重い。

 セイレーンを排除した報酬だ。

 思わず、頬が緩む。 


 あの後、セイレーンは泣きながら海に消えていった。

 どこに行ったかは分からないが、トラウマをたっぷり植え付けてやったから、しばらくは出てこないだろう。

 いい気味だ。


 杏奈は市場に併設して作られた船着き場に着いた。

 大混雑だ。 

 セイレーンがいなくなってすぐ営業を再開したのだろう。

 ここでずっと足止めを食らっていた人たちが、一斉に動き出した感じだ。

 

 杏奈は係員に、二千リン払って船に乗り込んだ。

 定員、百名らしいが、それ以上乗っている気がする。

 客席はギュウギュウだ。

 客席を諦め、甲板に出る。

 風が気持ちいい。


 船が動き出す。

 次は中央大陸だ。

 魔王のアジトがどこにあるのか分からないが、少なくともこの小さな大陸にその痕跡は無かった。

 だが、中央大陸になら、ヒントがあるかもしれない。

 

 待ってなさいよ、魔王。

 あたしがあんたを、嫌ってほどお仕置きしてやるから。


 杏奈は風に吹かれながら、前方、船の行く先を見つめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る