痛み.com

理科 実

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「小杉さんはさぁ、描写が軽いんだよね」


 僕は今説教を受けている。……いや、説教というよりは八つ当たりの方が表現としては近いかもしれない。こいつは自分の日々のストレスを僕にぶつけることで、溜飲を下げようとしているのだ。


「はぁ……軽い、ですか」


「そ、なんていうかなぁ……君さぁ、人生経験が足りないのよ。特にここ、主人公が敵から一撃もらって腕吹っ飛んでんのに痛ッ……で済むわけないでしょ。余裕かよ」


「まぁ確かに……そうかもしれないっすね」


 いや、腕吹っ飛ばされた経験のある奴なんてそうそういないだろ……まあ確かに僕のこれも見返してみるとなかなかひどいかもしれないけれど。


「君のそのうっすい態度が作品にも出てるんじゃない?何かいつも他人事みたいな顔してるけどさぁ……これ、君の小説で、君の人生だからね?とりあえず全部書き直してからまた来なよ。まだやる気があるなら見てあげないこともない」


 そう言い残し、彼は退席した。

 僕はしばらくの間、椅子から立ち上がることができなかった。



 *



「あのクソ編集が……ッッ!!」


 そこそこの精神的ダメージを受けつつ僕はあれから何とか帰宅し、部屋で悪態をついていた。

 わかっていた……あの編集の言葉にムカつく理由はその言葉が図星だったからだ。

 他人と比べ、僕には人生経験と呼べるものが決定的に不足している。

 今年で25にもなるのにまともな就職先にもつけず、恋人はおろか友人すらもういない。学生時代から唯一継続してきた小説執筆で生計を立てることを夢見て、アルバイトの傍らネットに小説を投稿したり、こうして出版社に直接持ち込みをしている日々だった。



 文字数だけ多い駄文

 童貞の妄想

 登場人物の行動原理が分からない

 こんな都合の良いヒロインいるわけないだろ

 1話の時点で痛すぎて即ブラバ



 これらは小説投稿サイトにて僕の読者様からいただいたありがたいコメントの数々だ。よくもまあこれだけ顔も知らない他人に容赦なく言えるよなあと感心しつつ、同時にしっかり凹むことは忘れない。しかしどれだけ悪辣なコメントであろうとも、反応されないよりはマシである。悲しいがこのコメントを読む時間が日課になっていた。


「にしても毎日毎日……こいつら暇人かよ。……ん?」


 相変わらずの辛辣なコメントの数々にうんざりし始めた頃、作家用に作成していたSNSアカウントの方に通知が入る。見知らぬアカウントからDMが来ていた。



 痛みの描写が甘い。それはお前が本物の痛みを知らないからだ。

 →http://www.XXXX.com/download.html



 痛みの描写が甘い。

 それは、あの編集にも指摘されていたことだった。

 確かに幸か不幸か僕はこの歳まで大きな怪我をしたことが無い。せいぜいが包丁で指を切ったとかその程度のことだ。骨折もしたことがない。

 だから僕は創作における痛みの描写が甘いのかもしれない……だけど


「流石にこれは……怪しすぎるだろ」


 このネット社会において他人の貼ったリンクをうかつに踏んではいけないことは言うまでもない。ましてや知り合いですらない赤の他人のものなら尚更だ。こんなものを踏むのは余程の無知か怖いもの知らずの馬鹿のどちらかだろう。

 しかし、この時の僕はあまりに打ちのめされすぎていた。現実でも、ネットの中においても僕は行き詰まり、色々と限界に近かった。


 だからあの日、怖いもの知らずの馬鹿に僕はなった。



 *



 そのリンクを踏んだ瞬間、僕の全身を電流が走った。

 意識は肉体から乖離し、どこか別の場所に連れていかれる。


 気づけば意識はある場所についた。そこはまるで工場のようで、周囲には顔の無い肉体が一列に並んでいる。僕の意識はそのうちの一つに入れられた。

 僕はその時なぜか、自分が死ななければならないような気がした。そのことを知っていて、受け入れているつもりだったが、しかし心の奥底では死ぬのを拒否していた。

 僕たちの前に男が現れる。白いスーツに身を包み、銀の髪を長く伸ばし、長身で筋肉質だった。

 その男は一つ一つの肉体の頭部に順番に手を当て、何かを

 僕の前の肉体には意識が宿っていた。なぜか分からないけれど、僕にはその意識がこれから自身にもたらされる死を心の底から望んでいることが見てとれた。それはまるで死ぬことが当たり前のことで、むしろ死ぬことで極上の幸福が得られ、彼にとっては死こそが最上の名誉であるかの如く。

 僕の番が来た。男が何か言葉を発すると、男の手の中に牛の頭が出現した。男はそのまま牛の頭を僕の頭部に被せる。

 それから大量のリンゴが僕の腹に無理やり詰め込まれる。すでに限界で、これ以上詰め込んだら腹が破裂してしまうのも構わずに、ひたすら、ひたすら詰め込まれる。

 薄れゆく意識の中、僕の頭部に男の手が触れるのを感じる。

 そして僕の意識は分断され、複製されたそれらは他の肉体に入れられる。


 そして僕は

 首を刎ねられた。



 *



「は……っ……はっ……ぅ……ぁ……ぇ……?」


 時刻は午前3時30分を示していた。


「今のは…………いったい……っ」


 喉がひどく渇いた。

 そして頭がすごく痛い。

 痛い……痛い……痛すぎて



 1ヶ月後



「こんにちは小杉さん。編集部の水原と申します。この度は原稿の持ち込み、ありがとうございました」


「あ、はい小杉と言います。初めまして。……あのう、先日は上木さんの方に原稿の方をお送りさせていただいたはずなのですが……?」


「はい、その件でご報告が。……1ヶ月ほど前より、上木は意識不明になっています」


「は……?あの、それって一体」


「不審に思った大家が通報し、警察が駆けつけていた頃には室内で意識を失っていたそうです。そのまま病院に搬送され、何とか一命は取り留めました。先生曰く、あと少し遅かったら命はなかったと。一時ショック状態に陥っていたそうです」


「ショック状態……あの、上木さんって何か持病とかありましたっけ?」


「あの人、荒れた生活はしてましたけど、健康診断の成績はいつも良好で、持病のようなものも無かったと思います。その前日も普通に元気に出社していつもの調子で作家さんをボロクソにしていましたし」


 やっぱり僕以外にもあんな感じなのね……って今はそこはどうでもいいか。


「あの……つまりそれってもしかして僕に関係がある感じですか……?」


「……警察が自宅に駆けつけた時、彼は暗闇で光るモニターの前で意識を失っていたそうです。そして、そこに映っていたのが……あなたの原稿でした」



 あの夢のような出来事に遭遇し、僕はその日のうちにある小説を書き上げていた。とにかくあの時は何かを書きたくてたまらなかった。あの衝撃を、あの感動を、そしてあの……書きたくて、形にしたくて、僕は一心不乱にキーを打ち込んだ。そして出来上がった小説を勢いのまま上木さんにメールで送り、僕はそこで力尽きたのだった。

 メールを送ってから1ヶ月、原稿を受け取ったとの連絡もなかったので今日はその確認の意味も込めて直接伺ったわけであったが……


「あの……水原さん……差し支えなければ教えていただきたいのですが。僕の原稿って、上木さんの他に誰か見ました?」


「小杉さんには大変申し訳なく思っていますが、データはパソコンごと警察の方に没収されてしまいまして……っとすみません、噂をすれば警察からですね。少し席を外します」


「あ、はい。……お構いなく」



 その日はそのまま帰宅することになった。

 そしてそれから間も無く警察が来て、僕も事情聴取されることになる。

 曰く、僕の原稿を読んだ全ての人間がショック症状を呈し、今もなお意識を失っているとのことだった。














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