太宰について

村上 耽美

太宰について

 太宰治は入水で亡くなったと、友達か誰かに昔教えてもらった。愛人と一緒だったというのも後々知った。


 太宰治を最初に読んだのは、確か小学三年か四年生辺りだったような気がする。当時読んだのは『人間失格』と『桜桃』の二作品が入っている文庫本で、『人間失格』は勿論、『桜桃』も、理解できていたかは別としてそれなりに気に入って、今でもたまに読み返して色々と思案を巡らせたりする。


 なかなか動かない脳みそに、ぺトロール代わりのラムネを突っ込まないと本を読むこともできないようになってしまった。それでも太宰の短編を読んでみようと藻掻いたり、気軽に読めそうな「文豪のなんたら」みたいな本を何冊か買って、太宰のところに付箋や紙を挟んで、いつでも読めるようにしてみたりもする。


 太宰の作品は素直に面白いし、最初の一文で心を掴んで最後まで離さない。『走れメロス』は教科書に載る程親しまれていて、読みごたえがあるし、『I can speak』を読んだときには、ぽかぽかと心が温かくなった。その作品の「太宰治」に乗り移ってしまったかのように、生々しさも感じた。ただ『斜陽』はちょっと読むのが大変そうだななんて思って、机の上に置いたり本棚に戻したりを繰り返している。

 また、太宰と関わりがあった文豪の作品等も読むようになった。芥川龍之介・井伏鱒二・佐藤春夫・坂口安吾・中原中也なども、読めそうなものは何作品か読んでみたりした。檀一雄の『熱海行』が乗っている本も、落ち着いたら読むつもりである。彼らの作品もまた素晴らしいものがほとんどだ。佐藤春夫の『飲料のはなし』では思わず吹き出してしまう言葉もあったが、それでも彼の話の進め方等にとても感銘を受けた。


 私は太宰に傾倒しているのではないと、これを書いている今でも、強く感じている。「傾倒」という言葉が嵌っていた空白に、一種の耽溺のようなもの或いは艶羨のようなものを、自分の中に当てはめてしまう。

 

 入水に関して私が感じたこと、考えていることは、私は太宰を追って入水をしたいだとか、「一緒に入水したい」とは思わない。どちらかというと、いろいろな意味で「太宰になってみたい」のほうが近い。どう頑張っても太宰にはなれないが。

 

 太宰の幼少期は、「つらい」や「大変だった」など、わかりやすい言葉や表現ではまとめられないほどのことだったと思う。その他もいろいろとあるが、そのようなことがあったということを前提にして、も太宰に対して憧れだとか、羨ましさを感じてしまう。人間関係(良し悪しは別として)、芥川賞に纏わる話、太宰の文才や、人としての魅力。挙げるとキリがない。


 長々と書いたのはいいが、私は太宰ではないのでオチをつけるのが下手である。無理矢理終わらせる。


 私は、まだまだ死ぬには自分の血肉が少なすぎる。勉強も読書も碌に出来ないし、文章も会話も下手糞であるし、これでは人間と呼べない。私というものに失格を与えられることもできぬから、せめて先ずは人間に成ることに時間を割いていきたい。

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