猫の手だけでもいいから貸してくれ!

2^3

いやほんと、猫の手だけでもいいから貸してくれ!

「なあ、『猫の手も借りたい』ってことわざあるじゃん?」


 仕事の休憩時間、同僚のユウジが俺に話しかけた。


「うん。それで?」


 俺は雑に相槌をうつ。

 なんというか、ユウジはどうでもいいような話をすることが好きなのだ。だから、俺はユウジが唐突に話題を振ったときは、話半分に聞き流す癖がついていた。


「いや、なんで"猫"なんだろうなって思って。」


 知らねーよ!

 俺は心の中でツッコミを入れる。

 ユウジは話し続けた。


「例えばさ、アメリカにも同じような意味の言い回しがあるんだ。」


 ユウジはスマホを取り出し、メモを見せる。


『I’ll take all the help I can get.』


 メモにはそう書かれていた。俺は英語が苦手なので、ユウジが解説してくれた。


「意味は直訳で、『私は得られる助けは全て借りる。』だ。同じ意味合いだけど、こっちには動物がでてこないだろ?なんで日本は、ネズミでも牛でもなく、"猫"なんだろうな?」


「うーん……。」


 俺はちょっと考える。しかし、すぐに考えるのをやめた。どうせ結論なんて出ないんだ。


「まあ、考えた奴が猫アレルギーだったとかじゃないか?」


 俺はテキトーにそう答えた。

 ここでこの話題は終わった。

 その後、この前みた映画の話や、おすすめの漫画の話をして、休憩時間はあっという間に過ぎてしまった。



 俺は再び作業に戻る。

 俺は動物園の飼育員の仕事をしている。

 動物にエサをやったり、排泄物を処理したり、健康を管理したり……まあ、色々だ。

 結構大変な仕事だけど、動物は好きなのでやりがいを感じていた。


 やりたかった仕事にも就くことができ、休日は友人とゲームしたり、彼女とデートしたり、といった一般的で平凡な日々。

 平凡な日々と言っても、俺はこんな日々にこれ以上ない幸せを感じていた。


 そんな俺の幸せな日々に異変が起きたのはこの数日後のことである。



 ◇ ◇ ◇



「うわ。もうこんな時間か……。」


 俺はそう呟いた。

 担当のシフトに手間取ってしまい、俺は定時を超えて作業をしていた。

 しかし、たった今その作業も終わったので、ようやく帰ることができるのだ。

 俺は帰りの支度をそそくさと済ませた。

 通常、動物園の飼育員は定時までに仕事が終わるので、今は動物園に俺ただ1人だ。

 ユウジも先に帰ってしまった。

 はあ……暗い夜に一人で帰るのは寂しいなあ。

 そんなことを俺が考えていると、


「ドシン……バサバサ……ミシミシ……」


 と、外から音が聞こえた。

 おかしいな。動物園には俺一人で、動物たちも寝ているはずなのに……。

 俺は疑問に思い、ドアを開けて外を確認する。


「!!?!?!!???!」


 俺は目の前の光景に愕然とする。

 なんと、動物たちが檻から脱走しているのだ!


「おいおい……嘘だろ……」


 俺は慌てて、走り出す。

 見ただけでも、10種類以上の動物が脱走していた。

 他の動物たちはどうなっているんだ?

 俺は動物園内を駆け回る。

 ダメだ。動物たちはみんな脱走してしまっている。

 俺一人で元に戻すことは不可能だ。

 だれかに連絡するか?

 ダメだ。1番近い人でもここから2時間はかかる。

 いったい、どうしたら。

 状況は誰が見ても絶望的である。

 どうしてこんなことに……。

 俺が諦めかけた、その時。

 ある動物の檻が、俺の視界に入った。


 猫である。


 猫は檻が空いているにも関わらず、檻の中で丸くなってのんびりと、スヤスヤ眠っていた。

 まわりの騒がしさなどにも全く気づかず、ただ眠っていたのだ。

 どうやら脱走していないのは猫だけであるようだった。

 俺はこの幸せそうに眠っている猫を見て、不思議と落ち着きを取り戻し、ユウジとの会話を思い出していた。


『猫の手も借りたい、ってことわざあるじゃん?』


 ユウジの言葉がフラッシュバックする。

 そうか。

 今が、今この時が、猫の手を借りる瞬間なんじゃないか?


『なんで"猫"なんだろうな?』


 心の中でユウジが俺に問いかける。

 その問いに今なら答えられそうだ。

 なぜ、猫なのかって?

 答えは簡単だ。

 借りる相手が猫しかおらん!

 いやほんと、猫の手だけでもいいから貸してくれ!



 俺は猫の手を借りるべくして檻の中へと踏み込んだ。俺は猫を急かすように揺さぶった。

 猫に反応はない。眠ったままだ。

 言葉など通じるはずもないのに俺は猫に助けを求める。


「動物たちが脱走しちまった!助けてくれ!」


 今考えると、この時の俺はどうかしていた。

 全ての動物が逃げ出すというありえない状況のせいで、俺はこの猫が状況を打破してくれるに違いない、というありえない妄想に取り憑かれてしまっていたのだ。

 しかし、今はこの猫に全てがかかっているのだ。

 俺は唾を飲み込み、猫の反応を待った。

 すると……



 猫が目を開けた。


 おおっ!目を開けたぞ!

 さあ!その手を貸してくれ!


 猫は大きく口を開けた。


 おおっ!今度は口を開けた!

 次は何をするんだ!?


 ……猫はそのまま口を閉じて、目も閉じた。


 えっ?

 あれ?

 猫ちゃん?おーい。


 スヤスヤ。

 猫は眠っていた。

 猫はあくびをして、再び眠り始めただけだった。

 檻の外では動物たちがまだ騒がしい音をたてているというのに。


 ……ああ、これは夢なのかな。夢だろうな。

 俺はそんなことを考え始める。


 もう外の光景は俺の目には入ってこなかった。

 外の騒がしさも、遥か遠くから聞こえているような気がした。

 猫はいびきをかきはじめた。

 なんとも幸せそうな顔で。


 二度と猫の手なんぞ借りてたまるか。

 俺は心にそう誓った。



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