猫獣人少女は猫の手を借りてみたい

ちかえ

猫獣人の手&猫の手は最強?

 ミーアはステーキ肉の筋に丁寧に包丁を入れていく。よくやっているので慣れているが、油断すると手袋どころか肉球まで切ってしまう危険性がある。何しろ持っているものは刃物なのだ。


 きちんと手を切る事もなく無事に出来た。ほっと息を吐く。と、同時にリビングの方からも気を抜く声が聞こえる。どうやらそちらの方にもミーアの緊張は伝わってしまっていたようだ。


「お姉ちゃん、本当にお手伝いが好きだね」


 手袋を外し、手を洗っていると、妹が話しかけて来た。


「まあね」


 タオルでしっかり手を拭いて、ミーアは妹のいるリビングに向かった。

 妹の前には算術の教科書とノートがある。きちんと宿題をしていたのだろう。


「お姉ちゃんがお手伝い好きなのって猫の習性なのかな?」


 そうではなかった。宿題がしたくなくて雑談を始めたのだ。手で教科書を押しのけている事でそうだと分かる。


 ミーアとリルは猫獣人の母と犬獣人の父から生まれた双子の姉妹だ。ミーアは猫の、リルは犬の特徴を持って生まれて来た。


「どうなんだろうね。お母さんは働き者だけど……」

「パパも結構働くもんね」


 うーん、と二人で考え込む。


「まあ、『猫の手も借りたい』という慣用句が存在するからなぁ……」


 リルの側で本を読んでいたクレオパスがぽつりとつぶやく。


 クレオパスは獣人ではなく人間の男の子だ。姿形は獣人に似ているが、尻尾はないし、耳や手足は変わった形をしていて、動物の特徴がない。不思議な生き物なのだ。


 本来獣人の土地に人間がいる事はないが、ひょんな事からミーア達の街に迷い込んだ彼に同情した両親が、家業を手伝うなら、と同居を申し出たのだ。


「そんな慣用句聞いた事もないよ」


 リルが言う。確かにミーアも聞いた事がない。人間の土地の慣用句なのだろう。


「まあ、そうだろうね。元々は異世界の慣用句らしいから」


 急にわけのわからない事を言い出した。『異世界』とは何だろう。ここと違う世界があるとでも言いたいのだろうか。クレオパスは『魔術』という不思議な力を使えるからそういう事にも詳しいのかもしれない。


 でも、ここで説明を求めてたら時間がかかってしまう。とりあえず問題はその慣用句だ。


「その地域の人は猫が好きなの?」

「さあ? おれもそこまでは分からないけどさ」


 クレオパスの説明によると、彼の国の偉い家の娘さんが異世界に嫁いだ事で、いろんな文化がこちらに入ってきたそうだ。猫の慣用句もその一つらしい。


 それにしても、その地域の人間が借りたいと思うほど、猫というのは役に立つ生き物なのだ。猫獣人としてとても誇らしい。


「お姉ちゃん、ちょっと借りてみたら? 猫の手」


 リルが提案して来る。何だか面白そうだとミーアも感じた。試してみても損はないかもしれない。


 なのにその話題を出したはずのクレオパスが苦々しい顔をしている。


「それただの慣用句だからな。実際どうだかは分からないよ」

「やってみなきゃ分からないでしょ。あたしなら言葉通じるし」


 ミーアは得意そうにそう言う。実際、猫獣人の基本言語は猫語なので普通の猫とも意思疎通が出来るのだ。


 ちゃんと会話が出来るのなら、お願いごとだって出来るはずだ。


 もしかしたら、普通の猫は猫獣人ほど手先が器用ではないかもしれないが、洗濯物を押さえてくれるくらいは出来るだろう。


「……言葉通じればいいってもんじゃないと思うけど」


 クレオパスはまだぶつぶつ文句を言っていた。


***


 両親の許可も取り、ミーアは『猫の手を借りてみよう作戦』を実行する事になった。


 何故か監視役としてクレオパスをつけられてしまったが、興味を持ったリルも一緒なので問題はない。今は、影でミーアを見守ってくれている。


 幸い猫がいる所は知っている。市場だ。余った食べ物を求めて野良猫がうろちょろしているのだ。


 ミーアは慣れた道を進み—―おつかいでよく行っている——市場の裏側に出た。


「あそこのお魚がたくさんある所の猫獣人は切れ端くれるわよ」

「いいわねえ。あそこのお魚美味しいのよ」

「でもたまーにイジワルする人もいるわ」

「美味しいものゲット出来なかったらネズミを取るしかないわねえ」


 予想通り、そこにはたくさんの猫がいた。きっと主婦だ。楽しそうにおしゃべりしている。


「あの、こんにちは」


 ミーアは思い切って声をかけた。たくさんの猫の視線が彼女に集まる。


「何?」


 猫の女性がうさんくさげにミーアを見ている。少し唐突すぎただろうか。


「あの……ちょっと手伝って欲しい事があって……」

「嫌だよ、面倒くさい」

「え……?」


 いきなり断られた。まさか最初からこんな反応をされるとは思わなかった。


「今はここでたくさんの食べ物が出るんだよ。あんたに着いていって食いっぱぐれたら私達の夕飯どうしてくれるんだい」

「そ、それは……」

「シャー!」


 威嚇までされてしまった。仕方なく、ミーアはその場を離れる事にする。


 とぼとぼと歩く。張り切ってたが、肝心の手を貸してくれる猫がいなければどうしようもない。


 あれからも何どか声をかけたが、似たり寄ったりの反応をされた。当たり前だ。あの猫達は食料の調達に来てるのだ。あれは猫の大事な仕事なので邪魔してはいけなかったのだ。


 ため息を吐いていると下から猫の鳴き声がした。

 目線を下に下げる。そこには可愛い茶色と黒と白の柄をしたかわいい女の子猫がちょこんと立っていた。三ヶ月くらいだろうか。


「猫ちゃん」


 つい声をかける。


「おねーちゃん何してるの?」

「あたしのお手伝いをしてくれる猫を探してるのよ」

「おてつだい? あたち、おてつだいすきだよ!」


 子猫は嬉しそうにそう言う。ミーアも嬉しかった。やっと手を貸してくれそうな猫が見つかったのだ。


「本当? 本当にお手伝いしてくれるの? でも、お母さんは?」


 それだけが心配だ。母猫がこんな所を見たら『誘拐!』と騒がれてしまうかもしれない。


「最近、ままよくシャーっておこるの……むこうであそんでなさいって……」


 寂しそうな声で言う。なんて酷い親だろう。ミーアは子猫に同情した。


「で、おてつだいって何するの? あたちネズミをとるのとくいだよ!」


 子猫の言葉にミーアの顔が引きつる。


 ネズミ自体は問題はない。猫獣人だってネズミを食べる事はある。タレをつけて焼くとほっぺたが落ちるほど美味しい料理になるのだ。


 でも、それは市場で売られている食べるために育てられた綺麗なネズミであって、野生のそれではない。


「……そ、それはちょっといいかな」


 必死に遠慮する。ミーアも汚いネズミは食べたくない。


「そっか。じゃあどうすればいいの?」

「布を押さえて欲しいの」

「上にのればいいの? かんたんだね」

「うん。簡単よ!」


 理解もはやい。これならきっとしっかりお手伝いをしてくれるだろう。


 ほら、見なさい、と木の陰から心配そうに見守ってる——ミーアが出て来るなと言ったのだ——クレオパスにそっと得意げな顔をしてみせる。


 おねーちゃんの家は遠いの? と不安そうな顔で聞く子猫がかわいくて、ミーアは家まで抱き上げて連れて行ってあげる事にした。これからお手伝いをしてもらうのだ。これくらいはするべきだ。


「おねーちゃんやさしい。ままもやさしかったのに……」


 寂しそうに鳴く子猫が可哀想だ。お手伝いが終わったらいっぱい甘やかしてあげようと決める。


 それにしてもこの子猫は足の裏が汚い。猫は靴を履かないので仕方が無いが、これでは洗濯物が泥だらけになってしまう。


「先におててを洗わないとね」


 ぽつりとつぶやく。子猫は不思議そうな顔をしたが、すぐに嬉しそうに笑った。


「うん。あらう!」

「いい子ね」


 ミーアは優しく子猫の頭を撫でた。


***


「ミーアさん、子猫はおれが魔術で綺麗にするから!」


 家に戻ってぬるま湯の用意をしていると、何故かクレオパスが慌てた様子で側に寄って来た。


 子猫には庭で待ってもらってる。退屈しないようにリルに話し相手をして貰ってる。犬獣人を怖がらない猫でよかった。


 何も問題はない。なのに、この人間はまだ何やら心配しているのだ。


「大丈夫よ。あの子にも聞いたらちゃんと洗うって言ったから」

「でも、ミーアさん、猫って確か湯浴みは……」

「だいじょーぶ!」


 ミーアはクレオパスの言葉を遮ってさっさとぬるま湯で満たされた桶と石けんを持って庭に歩いて行った。


***


「にゃああああーーーー! たすけてーーー!」


 全然大丈夫ではなかった。


 了承したはずの子猫は、水に入れるとすぐに悲鳴を上げた。水が怖いのだろうか。


「大丈夫よ。何も怖くないからね」

「こわいよーー! ひどいよー! たすけてーーーー!」

「ただ綺麗にするだけよ」

「やだぁぁぁ! うああああああーーーーーん!」


 何でこんな事になったのだろう。ミーアにはさっぱり意味が分からなかった。まだ石けんもつけてないうちからこんな調子で大丈夫だろうか。


 途方に暮れていると、庭に子猫と同じような模様の猫が飛び込んで来た。


「うちの子に何してるんですか!?」


 子猫のお母さんらしいメス猫は厳しい目でミーアを睨む。子猫はすぐに母猫に飛びついた。


「まま、このおねーちゃんがあたちをびしょぬれに……」

「可哀想に、私の可愛い子。親離れにはまだ早かったのね。目を離してごめんね」

「ままー」


 泣きながら母親に甘える子猫を見ると罪悪感が湧いてくる。きっとミーアはとても悪い事をしたのだ。


 母猫に事のあらましを説明する。


「うちの子を実験台にしたのね!?」


 母猫が怒るが、その通りである。


 ミーアはごめんなさい、と謝り続けることしか出来なかった。


***


 結局クレオパスが魔術で子猫を乾かし、母がお詫びの今日の夕食用のネズミ——こうなる事を見越してたくさん買っていたらしい——を差し出す事で母猫には許してもらった。


「猫って、湯浴みは苦手なんだよ」


 先ほど遮った言葉を教えてくれるクレオパスに、ミーアは疲れた笑いを向ける事しか出来なかった。

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猫獣人少女は猫の手を借りてみたい ちかえ @ChikaeK

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