Part 3

 その底無しの溝を挟むようにして、小さな沼が隣接している。ここは体が、よく見つかる場所なのだ。

 沼の水もまた底無しの溝に向かって流れており、沼に入っていると流れに引き込まれてしまうのではないかという恐怖を、体をさがす者に起こさせる。沼の溝の無い三方の縁から、絶えず水が湧き出ているためだ。


 二人は沼に入り、体をさがしている。水は殊の外生暖かく、とろりとした肌触りである。まるで体液の中を歩いているようだ。発酵しているような臭気も幾分する。

 置部の思惑に反して二人は、なかなか体を見つけ出せないでいる。ここでは、比較的早く体が見つかるはずなのに。予想外の結果に人が歓喜する、そういう場面を置部は何度も目撃してきた。彼自身は、ついぞ見つけるに至らなかったが。


「少し休みますか。仲條さん」

 薄気味悪い水の肌触りと臭いに辟易して、置部は音を上げた。

「そうですね。ちょっと疲れちゃった」


 二人は滝がある方の反対側の水辺に移動した。草むらに腰を下ろす。

 足に付着した液体のぬるみが、手で払っても、なかなか取れない。この気持ちの悪さを我慢しなければ、目指す物を手に入れられないのが、この島のルールなのだろうと、置部は思った。


「もう、お昼を過ぎちゃいましたね。こんなところで時間を取っているわけには、いかないんですが」

 彼は空にある太陽の位置を確かめながら、言った。

「そんな、気にしないでください」

「でも急がないと、今日中に全部見つけられないかもしれません」

「いいんです。そうなってもだいじょうぶです。夜が少し平気になりましたから」

 昨夜の夢に耐えた真菜の姿があった。彼女の苦痛は、あの宗教団体の夢で、だいぶ和らいでいた。


 置部は、何とか今日中に真菜の体を見つけ出してあげたかった。しかし同時にそれは置部にとって真菜との別れを意味している。

 仮に彼の体も全て見つかって、二人同時に生還できたとしても、現実の世界で置部は真菜と再び出会うのは難しいだろう。所詮は夢でしかない、この島での記憶が残っているか疑わしいし、そうだとすると二人は、現実に戻ったら単なる赤の他人だ。もし偶然が重なり再会したとしても、現実の世界での置部は五十近い中年なのだ。歳が離れ過ぎている二人に接点があるとは思えなかった。彼はその事実に驚愕していた。この島で失った時間の意味を、ようやく認識しつつあった。


 作業が順調であればあるほど、その不安は大きくなっていく。置部は、そのジレンマに悩み始めていた。だが、結論は決まっていた。この島での真菜との時間を、大切にするしかないのだ。


「さあ、急ぎましょう」

 置部は、自分の考えに見切りをつけるように立ち上がった。また沼に入ってゆく。

 真菜は黙ってうなずき、足のぬるみを、もう一度拭うと置部の後に従った。

 二人は、不快な感触と臭いの絶えない体さがしを、また始めた。




          *




 窪原は、中央の広場に向かって歩いている。彼の足取りは軽かった。

 亜矢香の残像が、脳裏で踊っていた。今や彼女の表情が、生命力の源になりつつあった。


 今日の窪原は、既に一つ成果が上がっていた。左腕を抱えている。その成果は実に簡単に訪れた。ある大樹の木陰で休息している時に、ふと見つかったのだ。現実に戻りたいという彼の執念が、左腕を呼び寄せたといえる。


 窪原は再び、二日目に挫折した場所に行こうとしていた。男たちのペニスが埋まっている、あの地下室である。

 彼は、やはり広場が近づくにつれ、徐々に足が重くなってきていた。二日目の記憶が蘇ってきたのだ。あのグロテスクな光景を、もう一度目の当たりにしなければならないのは、憂鬱なことだった。

 赤本と別れた三日目の記憶も蘇る。あの時、建物の入口に赤本は泥酔して座っていたのだ。一昨日のことなのに、今はひどく遠いことのように思えた。

 しかしながら窪原は、またも建物の入口に人影を認めた。それは彼の知っている人物だった。――松瀬である。

 松瀬は困惑したような何ともいえない表情で、座っていた。腰が抜けているようにも見えた。

「おう。松瀬じゃないか。どうした」窪原は、わざと明るい調子で話し掛けた。

「なんだ窪原か。お前こそどうした」

「決まってるだろ。ここに来るということは、目的は一つさ」

「まあ、そうだろうな。俺もそうだ。だけど今、気味悪くなって逃げ出して来たところなんだ。あとここだけだというのに」

「ほう。ここだけになったか。……お前が、うらやましいよ」

「おかげさまで、もらった情報が役に立ったんだ。窪原だって悪くなさそうじゃないか」

 松瀬は、胸にある左腕を指差して言った。

「……どうだ。いっしょにさがさないか」窪原は言った。

「いいねえ。そうしよう」松瀬は細い目を、さらに細めた。「ところで美人の奥さんは、どうしたんだ?」

「ここで、いっしょにさがすわけにも、いかないだろ。別の場所をさがしているのさ」

 窪原は、とっさにごまかした。

「それもそうだよな」

 松瀬は、微笑みながら立ち上がった。

「よし、それじゃあ行くぞ」窪原は言った。

 本来なら独りで、さがさなければならないところを、頼もしい相棒ができた感じだった。

 二人はカーテンウォールに囲まれた建物の中に入った。

 地下室へと続く階段を、肩を寄せ合って並びながら降りる。彼らは自らの勇気を、もう一度奮い起こしていた。

 重い空気の中を、一歩一歩階段を下ってゆく。




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