Part 2

 ホラ、アッタ。キチントサガセバアルノヨ。

 美咲は空疎な笑みを浮かべて、さらに頭部の周りの土を掘り続けた。


 次第に頭部全体が姿を現してくる。少女と同じ長い髪。ほっそりとした頬。若い女のものだった。それはもちろん美咲とは関係のない他人の頭部ではあったが、今の錯乱を持続させるには、それで充分だった。


 掘り終わると少女は、それがさも自分のものであるかのように胸に抱えた。何食わぬ顔で、洞窟を出ていこうとする。

「おい、君」男の声がした。

 美咲は声の方向に顔を向けた。

「その頭は君のじゃないだろ。だめだよ。人のものを持って行ったりしちゃあ」

 痩せた面長の顔に細い目の男が、きつい眼差しで少女を見ている――彼は松瀬であった。窪原の中学生時代の友人。


「人のものじゃないもん。わたしのだもん。ほら」

 美咲は頭部を自分の顔の隣にもってきて、松瀬に見せた。美咲の瞳に、涙が溜まってきた。少女の幻想は終わりつつあった。

 松瀬は、その異様な光景に一瞬たじろぐ表情をしたが、すぐに真顔になった。

「とにかく、その頭は元の所に戻すんだ。さあ、よこしなさい」

 彼は美咲が両手で持っている頭部を素早くつかんだ。少女は意外にもあっさりと、それを離した。その時はもう、錯乱は去っていたのである。


「……おじさん。ここは頭があるところなんでしょう?」

「そういうふうに聞いているが」

 美咲は、がっくりと肩を落とした。

「もうどうしたらいいか、わからない……」

「分からないって?」

 美咲は松瀬の質問には答えず、とぼとぼと歩いて洞窟を出て行った。

 松瀬は一瞬追いかけようとしたが、手にある頭部を地中に戻すのが先だと思い直して、少女が堀った穴を探し始めた。



          *



 紫煙が、ゆっくりと広がりながら、空間を昇ってゆく。

 頼子は、窪原から盗んだ煙草を吸っていた。彼女は海岸が一望に見渡せる小山に腰掛けている。昨夜最後に見た夢を反芻しながら。

 全くひどい夢だった。それは、この島での窪原との関係を突然断ち切らざるを得ない絶望的な内容だった。


 頼子の夢は、リビングに置いてある電話が鳴るところから始まった。

 彼女が電話に出ると、耳慣れない男の声が窪原を出すように依頼してきた。

 窪原は心中事件のために退院はしたものの、まだ自宅で療養中で、その時パジャマ姿のまま。くつろいでいたのだが、電話を受けて態度が一変した。外出するために、そそくさと着替え始めたのだ。


 ――秀弘、こんな時間にどこに行くの?

 ――病院だ。亜矢香の意識が戻った。

 その言葉と彼の態度が、頼子を衝動的な殺意へと促した。

 何であの女、死ななかったの。もうだめだわ。秀弘は、あの女のもとに行ってしまう。おそらく、二度と戻っては来ない。そうなる前に秀弘を殺して、わたしも死のう、彼女は瞬時にそう決意した。

 頼子は、キッチンに行って包丁を手に取った。……


 その後は、窪原が見た夢と同じ内容である。

 マンションから飛び降りたわたしは、いったいどれくらいの傷を負ったのだろう。頼子は思う。相当深い傷であることは確かだろう。同じ危篤でも、より死に近いものなのかもしれない。


 気が付くと、煙草が短くなっていた。現実の世界で煙草を吸う習慣があるかどうかは、頼子には分からないが、咳き込むことなく吸えることから考えると、多少のたしなみは有るのかもしれなかった。

 頼子は煙草を地面につけて、もみ消した。例によって、それは消失した。


 彼女はライターを眺めた。陽光を反射して、不思議なほど輝いている。それが窪原にとって、どんなに大切なライターなのか、頼子は知らない。

 目覚めた時に、衝動的に盗んでしまった煙草とライター。なぜ急に欲しくなったのか、その時は分からなかったが、今は理解していた。


 頼子は先ほどから、ある計画が浮かんでいた。窪原を、この島よりさらに暗がりの世界へと導く悪魔的な計画が。

 亜矢香が生きていることを、窪原が知っているかどうかは、関係なかった。彼女は、この島に来てから何とか保ってきた精神のバランスが、いよいよ崩れつつあった。自らの体さがしなど、もう念頭になかった。


 今、頼子の頭の中にあるのは、窪原を死に追い遣らねばならないという思いだけだ。現実の世界で、亜矢香に彼を、もう一度会わせたくはなかった。

 夢で見たふたりの幸せそうな姿を、思い浮かべるだけで、虫唾が走る。どうしても、ふたりを引き裂かねばならない。


 頼子は自らの計画を実行に移すために、立ち上がった。多少の準備が必要だった。



          *



 体さがしを諦めた女もいれば、着実にゴールへと向かっている者たちもいる。置部と真菜である。

 彼らは、今日も順調な体さがしを続けていた。真菜は三つ、置部は二つ既に体を見つけている。二人は何度かそれらを小屋に持ち帰り、しばしの休息をしながら、体さがしを続けているところだ。そんな面倒な作業も、成果があがっているので苦にはならない。


 二人が、今いるのは島の南東部、背高い木々に囲まれた奥深い森を抜けたあたりである。訪れる者は、ほとんどいない。今も彼らだけだ。二十年もこの島を歩き回り熟知した置部ならではの、体さがしの盲点となっているポイントであった。


 この場所には、十メートルほどの切り立った崖があって、細い滝が幾筋も頂上から落ちている。

 奇妙なことに、滝が水面にぶつかる時の音は聞こえない。なぜなら、滝の落ちるその先には、何も無いからだ。暗黒に吸い込まれてゆくばかりで、水の行方は、杳として知れない。

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