五日目

Part 1

 またも朝の光が、窓から射し込んでいる。昨日と全く同じ光量。凝固した朝。それは明日も、その次の日も変わらない。この島の朝は、永遠にこのままなのだ。


 窪原は生きた心地がしないまま、ぼんやりと天井に漂っている皮膜を眺めていた。この気味の悪い動きも随分と見慣れた。

 この島は、実は死の世界だったのではないか――彼にそんな妄想が沸き起こっていた。腹部の傷からの出血は、かなり多かったはずである。死んでいても、おかしくはない。まだ命が繋がっていること自体、窪原には奇跡のように思われて、しかたがなかった。


 先ほどから、頼子の狂ったような笑い声が聞こえていた。彼女もまた危篤に至る夢を見たらしい。笑ってでもいなければ耐えられないのだろう。

 窪原はベッドにいる頼子を正視できないでいた。彼女が窪原を、この島に連れて来たのである。昨日までの印象とは違った頼子が、そこにいた。


 彼女の笑い声が止んだ。

「秀弘って、嘘つきよね」

 その声で窪原は、ようやく彼女の方に顔を向けることができた。

 頼子は探るような眼差しで彼を凝視していた。

 窪原もまた、彼女の言葉の意味が分からず、見つめる。


 やがて頼子は微笑んで、ベッドから降りた。

「もうわたしといっしょに体さがしは、してくれないんでしょうね」

「……悪いが、今はとりあえず、そんな気になれない」

「そうだと思った」

「なあ、どうして君は俺を刺したんだ? 俺たちに何があった」

「……さあね。わたし、もう行くわ」

 彼女は不自然なほど、よそよそしい態度になった。

 窪原が次の言葉を探しているうちに、頼子は小屋を出て行ってしまった。


 独りになった彼は、しばし呆然とした後、彼女の妙な行動について考え始めた。

 頼子は何か重大な隠し事をしているような気がする。窪原を刺しておきながら、それに対する詫びの一言も無かった。つまり、刺すだけの理由が彼女にはあったのだ。その理由とは何か。どうして頼子だけが知り得たのか。

 窪原は最後に見た夢を反芻した。きっと頼子も同じ夢を見たのだろう。が、彼女は窪原より先に眠りに落ちていた。どうも窪原が見た場面よりも前のところに、頼子をして、あの態度に走らせた原因があるようだった。


 考え続けるうちに窪原は、ひとつの結論に達した。

 ――亜矢香は生きている。

 そう考えれば、さっきの頼子の行動の全てが説明つく。

 この島の夢の構造からすると、生へと向かうような情報を窪原に見せるわけがない。しかし頼子にとってそれは、死の谷に叩き落とされるほどの恐ろしい情報だったに違いない。


 彼の胸に希望が再び帰ってきた。彼は体さがしをしなければならなかった。それも必死になって。

 窪原はジャケットを、はおった。いつもと胸の感触が違う。彼は内ポケットをさぐった。あるはずのライターと煙草が無くなっていた。

 頼子が盗んでいったのだ、窪原は直感した。最後の夢では、頼子の方が先に意識を失っていた。だから窪原より先に目覚めたはずである。おそらく彼が夢から覚める前に、とっさに盗んだのだろう。


 間違いない。亜矢香は生きている。彼は確信した。

 ライターが、亜矢香の持ち物であることを頼子は知らない。話した覚えは無かった。頼子が何を考えて、ライターと煙草を持ち去ったのかは分からないが、窪原には、その行為が自分に対する宣戦布告のような気がした。

 頼子はもう一度、俺を殺そうとしている、彼は思った。まず、最も気分の落ち着くものを取り去って、いらつかせるようとする算段なのかもしれない。


 いざ無いとなると、窪原はやたらに煙草が吸いたくなった。

 しかし、それで頼子を責める気にはなれなかった。亜矢香が死んでいると言って、彼女をぬか喜びさせ、結果的に騙した格好になってしまったのも事実だからだ。頼子が受けたショックは、相当なものだったはずである。


 頼子との混乱はさておき、彼はとにかく体をさがさなければならなかった。

 窪原は帰ってきた希望を胸に、扉を勢い良く開けて島に出て行った。



          *



 人は、ひとつの事に囚われると、なかなかそれから抜け出せないものである。美咲もまた、頭部が見つからない事が、気になってしょうがなくなっていた。

 少女は、朝から海岸の洞窟に来てしまっていた。まだ胴体もさがさなければならないのだが、不安が先に立って、そうする気分になれないでいた。


 人々が洞窟の中を行き来する間を縫うようにして、朝早くから歩き回っているが、当然のことながら頭部は見つからない。

 美咲に絶望的な予感が襲って来た。あの北の海の影が鮮やかになる。

 洞窟の外の規則的な潮騒が、彼女のいらいらを、さらに増大させる。


 すぐ隣にいた長い白髪の男が歓喜の声を上げて、地面にスコップを突き立てた。その男の表情を眺めているうちに、美咲は徐々に錯乱してきた。

 アルワ、アルハズヨ。ダッテ、ココハアタマガミツカルトコロナンダモン。

 美咲は座り込んで、狂ったようにスコップで土を掻き始めた。

 ワタシハイマ、アタマガイタイ、アタマガイタイ、アタマガイタイ……。


 やがてスコップは、こつんと音を立てて、その動きを止めた。少女は手を使って土を取り払う。白い顔らしきものが、あらわになった。

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