Part 14(End of chapter)
窪原は部屋の地面に寝転がった。すぐ側には、自分の未完成の体が置いてある。決して気分は良くなかったが、眠気の方が勝っていた。彼は今夜最後の夢を見始めた。……
……包丁を持った頼子がいる。白く能面のように固まった形相。震えている。紺色のワンピース。島の世界の服装と同じだ。
周りには見覚えのある調度類。自分のマンションのキッチンにいる。
包丁の切っ先が、飛んでくる。二度、三度。
「危ないじゃないか。やめろよ」
頼子が本気なのが判る。覚悟を決めているらしく、目がすわっている。
本気で頼子の攻撃を回避しようとした矢先。
腹部に強烈な痛み。
血が吹き出す。
頼子の方が悲鳴をあげる。包丁が彼女の手から落ちる。
彼女の膝が折れ、頭を抱えて左右に激しく振り始める。
痛い。なんてことだ。……どうなる? とにかく逃げなければ。
腹を押さえながら、玄関のドアを何とか開けて、そのまま外に出る。漆黒の闇をバックに点在する人工の光。静けさが、あたりを支配している。
背後から、自分の名前を呼ぶ頼子の声。「行かないで」かすれていて、弱々しい。
歩いていくとコンクリートの通路に、血が滴り落ちる。
本当に自分の血? 嘘だろ。
頭が痺れて、くらくらする。
エレベーターで、いっしょになったら最後だ。非常階段の方が。階段へのガラスの扉を、力を振り絞って押す。
回り階段を下る。気を失いそうになる。
地上が、少しずつ近付いてくる。
しばらく降りて、息が切れる。踊り場で、ひといきつく。
ふと、人影が目の前をよぎる。直後にどさっという嫌な音。
思わず下の方を覗き込む。
常夜灯の光の中に頼子。飛び降りたらしい。うつ伏せだ。痙攣しているように見える。
救急車を呼ばなければ。携帯電話――。
血濡れた手でジャケットから、携帯を取り出す。
しかし。血糊で滑る。足元の踊り場にぶつかり、吸い込まれるように闇に落ちてゆく。
公衆電話――。どこにあったっけ。
また階段を降りる。ふらつく。
暗闇。
頭を振って、また降りる。
しっかりしなければ、二人とも終わりだ。
何とか地上に着く。体を折りながら、頼子の側に行く。
暗闇。
頼子。頼子。頭の周りに血が広がっている。
ふらふらしながら、また歩き出す。
暗闇。暗闇。暗闇。
道路に出てしまっている。公衆電話はどこだ? 早くしなければ頼子が。
車のクラクションの音。
ヘッドライトの光が迫る。
よけるだけの力が残っていない。車の急ブレーキの音。
はねられて、宙に浮く。
走馬灯のように記憶が脳髄から流出する。母父三輪自転車水色の小さな靴お寺の中にある幼稚園古い木造の小学校鉄棒運動会騎馬戦転校生初恋美術館のようにモダンな建物の中学校野球ショートカットのかわいいマネージャー成績表逆転負けの試合松瀬バスで通った都会の高校真夏の天体観測文化祭初めて付き合った隣りの高校の女受験勉強の日々女との別れ卒業式私立大学バイトとコンパ亜矢香就職活動離島への卒業旅行就職短期研修営業への配属つまらぬ毎日深夜に及ぶ接待頼子結婚亜矢香心中。
肉体が反応して、何とか受け身をとる。
左肩に全体重が掛かった痛み。
さらに遠くから、もう一台のヘッドライトの光。やけに眩しい。
意識が消えてゆく。……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます