Part 12

 真菜は目覚めるたび、床に置いた体を眺め、十字架を強く握り締めた。そして、隣りの小屋に居る置部のことを思い出して耐え忍んだ。

 彼女の人生もまた重苦しい暗い色に満ちたものではあったが、まだ生への執着の方が勝っていた。こんな嫌な夜は最後にしたいと思いつつ、真菜は目を閉じる。……




 ……目覚まし時計が鳴っている。朝だ。もう起きなければならない。

 でも体が動かない。二時間しか寝ていないのだから当然だ。

 そんな日が一ヶ月以上も続いている。修行は、ほんとに辛い。

 周りのみんなは、ごそごそと起き出している。どこにそんな体力が残っているのだろう。

 わたし、きっと信心が足りないんだわ。


 畳が敷かれた大広間。ここに五十人ほどの信者が寝起きしている。わたしと同じ新米の信者。

 女も男もいっしょになって。

 みんな、粗末なごわごわとした白い服を着ている。作務衣によく似た服だ。わたしもそう。

 自分だけ寝ているわけにもいかない。


 教祖様の顔を思い浮かべる。人に力を与える、やさしさに満ちた笑顔。

 不思議と体が軽くなる。

 ここぞとばかりに、ふとんを蹴って跳ね起きる。でも上半身だけだ。立ち上がれない。


 やっぱり、眠い。眠りたい。

 今日何日目だっけ? ……たしか三十三日目……あと一週間で四十日になる………そうすれば、この第一ステップの修練も終わる…………またバイトさがさなきゃ………………。


 暗闇。

 暗闇。

 ……暗闇が続く。

 突然、頭に衝撃。痛い。


「どうしたの? あなた」

 はっとする。

 視界が戻る。おばさんの姿が目に入る。やはり、作務衣に似た灰色の服を着ている。

「気分でも悪いの?」

「いえ、すいません」

「早くしなさい。もうみなさん、讃美歌を歌ってるわよ」

 首を振り、顔を両手でぴしゃりと叩く。


「今回は見逃してあげるけど、もう一度こんなことがあったら、修練を始めから、やり直してもらいますよ」

「あ、はい」

「信心、信心。いいですね」

 おばさんは、手で胸に十字架を切る。

 自分も同じようにする。

 眠りたいと叫んでいる体を引きずりながら、部屋を出る。……




 真菜は不思議な心持ちのまま、目を覚ました。夢の中の真菜は眠りたがっているのに、ベッドの上にいる彼女は眠りたくないのだ。そのギャップが何だか、おかしかった。


 それにしても今の夢は何だったんだろう、真菜は思う。父に犯される夢以外のものを見たのは、これが初めてだった。どうやら置部が言っていたように、家を出てどこかで暮らしていたらしい。そして、キリスト教系の教団の信者になったことは間違いなさそうだった。


 真菜にとって、今の夢もひどく辛いものではあったが、屈辱的に犯され続ける夢よりは、ずっとましだった。

 彼女は次の夢も教団に関するものであることを願いながら、暗鬱とした眠りの世界に入っていった。……



         *



 頼子は不安だった。今夜はなぜか窪原に冷たくされる夢ばかり見せられる。昼間の彼は亜矢香への想いを断ち切ったような素振りをしていたが、本心からそうであるかは、測りかねた。

 明日、秀弘は北の海に入ってしまうかもしれない。そう思うと頼子は、いてもたってもいられない気持ちになる。


 窪原のこともそうだが、頼子は自分自身に対する不安も少なからずあった。

 彼女はベッドの上に置いた右手を手に取った。それは確かに置部の言ったとおり、帰ってはきた。しかし、それが島に来てからの四日間の成果の全てであることに、頼子は焦燥を感じた。作業の進み具合からすると、彼女の方が窪原よりも、はるかに死に近いといえる。


 窪原は今日体を、いっしょにさがしてはくれたが、これからも本当にそうしてくれるだろうか。なかなか見つからない頼子の体に業を煮やして、単独で作業を進め、頼子を置き去りにして現実の世界に帰ってしまうことはないだろうか。

 考えれば考えるほど、彼女の不安は大きくなるばかりだ。


 窪原は、きっと今夜も亜矢香の夢を見ているに違いない。もう一度、亜矢香の姿を目の当たりにして、彼の気持ちは揺らいでいないだろうか。

 そう考えた時、頼子は右手を置いてベッドから降りた。今から窪原の小屋に行こうと思い立ったのである。行ったとしても、眠っている可能性が高いが、夜明けまでに一度くらいは目覚めるだろう。


 彼女は急いで自分の小屋を出た。走る。次の夢が訪れるまでに、できるだけ彼の小屋に近づいておきたかった。

 頼子が予想したとおり、眠気はすぐに訪れ、足の運びが止まってしまった。

 ほとんど倒れ込むようにして、彼女は地面に横たわった。……




 ……どこか商店街を歩いている。

 抜けるような青空。雲ひとつ無い。

 雑貨屋。本屋。レンタルビデオ店。ラーメン屋。次々に通り過ぎる。

 すれ違う人たちは、みな主婦のような感じだ。時折、小さな子供を連れている人もいる。


 三階建てのビルが見えてくる。

 その屋上を睨む。

 ビルの前で立ち止まる。

 一階は子供専門のファンシーショップ。二階は喫茶店。三階は住居のようだ。

 ファンシーショップには、小さなウィンドウがある。


 視線が下に移る。掌に小さな紙切れ。『虹の羽根』と書かれている。

 店の名前を確認して、中に入る。

 若い女の店員がいる。

「片桐亜矢香さんは、こちらに?」

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