Part 7
「違うって?」
「嫌なことも無いかわりに、良いことも無い。平々凡々のつまらん人生やってるんじゃないかな」
「そんなことないだろ。おまえの思い過ごしだ」
「本当は現実に戻らなくても、いいのかもしれない。生きようが死のうが、俺にとっては、どうでもいいことなのかも」
「……考え過ぎだよ」
そうは言ったものの、窪原は松瀬の考えを、完全に否定してしまうことは出来ない気分だった。
窪原は、営業の仕事が憂鬱で会社の夢を見てしまったが、もし仕事に満足していれば、そんな夢など見なかったかもしれない。亜矢香の夢にしてもそうだ。誰もが彼のように三角関係に悩んでいるはずはないのだ。
窪原は改めて自分の事を振り返ってみると、松瀬のような人間がいても、おかしくないような気がしてきた。いやむしろ、案外多いのかもしれない。松瀬に限らず、どうしても生きなければならない事情を抱えて、体さがしをしている人が、いったいどれくらい島にいるというのだろう。
「まあ死ぬのは、やっぱり怖いからな。体は一生懸命さがしてるよ。でも本音は、何となくだな」松瀬は言った。
「みんな、そんなもんじゃないのか」
窪原の気持ちも、それに近かった。亜矢香を失った今となっては……。頼子は、どうなんだろう。彼は頼子の方に顔を向けた。
頼子は、窪原と視線が合うと、微かに笑みを浮かべた。
「松瀬さんのような言い方をしたら、わたしも何となく、かな……」
それが、たぶん本音なのだろう、窪原は思った。夫の身でありながら、他の女と心中しそこねた男と、どうしても人生をやり直したいはずはないのだ。
「でも、そんなこと考えていても、しょうがないわ。体をさがしましょ。今日は、もう残り少ないのよ。夜になったら、また悪夢がやって来るわ」
頼子の言うように、陽は傾きつつあった。
「そうですね。奥さんのおっしゃる通りだ。また、さがしに行きますよ。ところで、おふたりの体さがしの具合はどうなの?」
「まあ、ぼちぼちかな。悪くないよ」
「わたしは全然」頼子は、溜め息まじりに言った。
今日はまだ、ふたりとも体を見つけていなかったのだ。
「俺、けっこう集まってるんだぜ」松瀬は言った。
「へえ。どんな感じなんだ」
「あと頭と、男の大事なとこだけなんだ」
「おお、そうか。そりゃ、いいな。もう全部見つかったも同然だ」
「どういうことだ?」
窪原は、赤本に教えてもらった情報を、松瀬に話した。赤本が窪原に対してした親切が、松瀬につながってゆく。赤本は死んでしまったが、その影響はまだ残っていると感じて、窪原は少しうれしかった。
「じゃあ俺は、その北東の海岸にある洞窟とやらに、頭をさがしに行くよ。ほんと、ありがとう。窪原に声を掛けて、良かったよ」
松瀬は、にこにこしながら、足早に去った。窪原と頼子は、それを見送る。
「ねえ、わたしたちも、その洞窟に行きましょうよ」
松瀬を見送りながら、頼子は言った。
「それは最後にしないか……」
窪原は、昨日赤本の死に直面して、頭さがしについて考えたことを頼子に話した。
「それに、最後にふたりで頭をさがしに行って見つかれば、きっといっしょに現実に帰れるだろ」
彼は、自分でも思ってもいなかった言葉が、口を突いて出て、少々驚いた。
「そうね。それがいいわ。……秀弘が、わたしたちのことを、そんなふうに考えてくれるなんて、うれしいわ」
頼子は満ち足りた表情になった。
ひょっとしたら、この女と生きていけるかもしれない、窪原は思う。
ふたりは手を握り合うと、また体をさがすために、歩き始めた。
*
贋の太陽は、次第にその大きさを増し、空と地の境に近づきつつあった。そろそろ人々が小屋に帰る時間が、訪れようとしている。
置部と真菜は、草むらに腰掛けていた。二人は今、北の海岸付近にいるのである。
二人の後ろには、円柱の形をした巨大な岩がある。太い煙突を想起させるその岩の表面は、まるであつらえたように辛うじて登れる突起が、あちらこちらに出ていた。
巨岩の頂上は、井戸のように上部から、ぽっかりと穴が開いており、その底には紫水晶の粒のような砂が一面、平たく敷き詰められている。まるで誰かの仕業のように。
今は光がほとんど射し込んでいないが、中天に太陽がある時は、砂が光を反射し、岩の内部は紫色の空間に変貌する。
真昼は、その美しさに引き寄せられるように、それほど容易でない岩への登攀を行って、体さがしをする者も多いが、彼らが砂の中から体を手に入れて、その岩の穴を出るのは稀であった。美しさに幻惑されて、体さがしに集中できないのだ。
日暮れ近い今は人影も少なく、置部と真菜は、つい先ほど岩の穴の中で見つけた各々の体の部分を地面に置き、今日一日の事を振り返りながら、それぞれの思いにふけっていた。
……やがて真菜は口を開いた。
「ほんとうにありがとうございました。置部さんの案内で、たくさん体を見つけることができました」
「そんな。こちらの方こそ、お礼を言わせていただきますよ。あなたといっしょに歩き回ったおかげで、一日の間に二つも体が見つかったんですから。明日もいっしょに、体さがしをさせてください。お願いします」
置部の言葉を受けて、真菜の顔が曇った。
「どうしたんですか」
「……ごめんなさい」
「僕といっしょでは、嫌ですか。何か気に障ることでもありましたか」
真菜は、強く首を横に振った。
「……置部さん、北の海に島の影は、まだ映っていますよね?」
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