Part 4

          *


 北西部のとある森には、この島唯一の沼地がある。そこで体さがしをするとなると、当然泥まみれになることは覚悟しなければならない。が、その沼地の近くには、大木の根が縦横に絡み付いた岩があって、そこから清水が湧き出ている。

 その景観は、この地を訪れる者に、ある種の感興を引き起こす。自然物の態を成しながら、何か人工的な配慮が伺えるのである。それは結局この島全体にも云えることなのだが、この地はそれを端的に現しているのであった。


 置部と真菜は、今日三番目の探索の場所として、この沼地にやって来た。二人は朝からずっと共に体さがしをしているのである。

 今、この沼地には、彼らの他にも体をさがしている者が数人いる。


 真菜は、置部が頼子を案内した例の扇形の岩の上で、左腕を見つけていた。彼女は、昨日の打ち解けた態度から一変し、うつむきがちで話もほとんどしない。それは朝、真菜の小屋のドアを置部が叩いた時から、変わることがない。左腕を見つけた時も、笑顔になることはなかった。

 置部は不満を感じていたが、それでも真菜といっしょに時を過ごす楽しさの方が、勝っていた。


「ここも先ほどの岩の上と同じように、よく体が見つかる場所なんですよ。少々汚れるのが難点ですが、まあじっくり泥の中を歩き回ってみてください。体が埋まっている場所が判ったら、あとは僕が掘り出しますから」

 真菜は返事もせず、置部と視線を合わせただけで、靴とソックスを脱いで、沼地に足を踏み入れた。彼女の素足が、泥濘の深さに応じて見え隠れする。


 置部は、くるみを弄りながら、真菜と出会ってから自らの胸の内に生じた不思議な充実感について考えていた。こんな想いは、この島の生活では、終ぞ無かったことであった。見返りもなく、真菜の力になりたいと純粋に思っている自分が、可笑しかった。置部は自分でも、そんな性格ではないことを充分承知していた。

 なのに。真菜が沼地を歩くその姿を眺めているだけで、幸福な気分に満ちてくる。どうなってしまったのか、自分でもよく分からなかった。ひとつ確かなことは、真菜と共にいると、宗教的とも云える清浄な感覚に体が包まれていくような気がすることである。何か今までの島での生活が、全て洗い流されゆくような感覚。もう一度、この島に来た日の無垢な自分に回帰していくような感覚……。


 ふと置部が我に帰ると、真菜はいつの間にか沼地の中に座り込んで泥を掬っていた。置部は慌てて泥濘に入ると、叫んだ。

「仲條さん! 後は僕がやりますから。どうぞ上がってください」

 置部は、泥を掻き分けながら真菜に近づいてゆく。

「いいんです。来ないでください。……だって、恥ずかしいもの」

 そう言われて、置部は立ち止まった。彼女が少しだけ掘り出した箇所には、白い胸のふくらみの一部が露わになっていた。胴体を見つけたらしい。


「――失礼しました」

 置部は、着ていたコートを急いで脱いで、きれいにたたんだ。

「せめてこれを使ってください」

 彼は、コートを真菜に投げた。コートはふわりとして、やや広がったが、無事真菜の腕の中に収まった。


 コートを受け取った真菜は、とうとう自分を抑えきれなくなったように、突然泣き出した。

「……どうして、置部さんは、そんなにやさしいんですか。こんなわたしに」

 置部は自分でも、それが分からないので、黙っているほかなかった。

 真菜は泣きじゃくっている。置部も目頭が熱くなってきた。

「とにかく、その体を掘り出してください。僕は大きな岩の所で、ずっと待ってますから」

 置部はその大きな岩の、清水が湧き出ている場所に向かって、歩き出した。


 そこまでやって来ると、湧き出ている清水を掬って、頭から被った。水は、ことのほか冷たかったが、感情の熱っぽさは、なかなか去らなかった。朝からの真菜の態度は、逆の意味でのよそよそしさだったような気がして、うれしかったのだ。


 置部は、ゆっくりと靴や衣服に付いた泥を落とすと、沼地の方を振り向いた。

 ちょうど真菜が掘り出した胴体を、コートにくるんでいるところだった。

 真菜は、重そうに胴体を抱えながら、岩に近づいてくる。置部は、その荷物を代わりに持ってあげたかったが、真菜に断られるに決まっているので、そのまま眺めていた。


 彼女は岩に着くと、置部の方に顔を向けて、笑顔を見せた。胴体をかたわらに置いて、足や腕にこびりついた泥を、落とし始める。

 真菜がコートを開き、胴体を洗い始めたところで、置部はその場を離れ、彼女の靴とソックスを取りに行った。


 置部が戻ると、真菜は洗い終えて、岩のすぐ側に腰掛けていた。

「さっきは、すいませんでした。取り乱してしまって」

「いや、いいんですよ。どうしたんですか」

「わたし、朝からずっと昨日の夢が気になっていて……ぜんぜん、体さがしに集中していなくて……それでも置部さんが、一生懸命になって面倒みてくれるから……自分のことを放り出してまで……それで、何だか急にうれしくなって……」

「そう言われても、いや困りますね。僕は〈導き〉に頼まれたんで、面倒みてるだけですよ」

 置部は照れて、本心とは別のことを言ってしまった。

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