Part3

 ――頼子もまた眠りに落ちていて、先ほどから快楽の代償となる特別にひどい夢を見せられている。……




 ……建ち並ぶビルの合間から見える真っ青な空に入道雲。強烈な光。夏だ。

 視線が上から下に移って、目の前にはビル一棟まるごとゲームセンターの建物がある。

 バッグから花柄のハンケチを取り出して、汗を拭きながら入ってゆく。


 一転、暗い室内。冷房がよく効いている。

 人でごった返している。ところどころで歓声。より分けて進む。


 階段を上る。三階で、窪原の姿を見つける。対面型の格闘ゲームをしている。笑顔で、盛んに指を動かしている。こんな子供っぽいところもあるんだ、と思う。

 距離を取りながら、ゲーム機の裏側の相手方を確認する。亜矢香だ。窪原と同じくらい楽しそうだ。


 窪原の住む会社の独身寮から、ずっと彼の後ろを付けてきた自分を思い出し、ふと嫌になる。

 おまけに今日は日曜日じゃない。何やってるの? まるで、ストーカーだわ。でも、これをやめることなんてできない。


 今年に入って、営業でよく自分の職場にやって来るようになった窪原の姿が、フラッシュバックで蘇る。何度も話をしているうちに、惹かれていく自分。頭の中が、窪原のことでいっぱいになる。


 やがて、ふたりのゲームが終わる。窪原が勝ったようだ。ふたりは立ち上がる。

 あわてて、人の影の群れにまぎれこむ。


 ふたりはゲームセンターを出てゆく。後を追う。

 ビルから出る。むわっとした熱につつまれる。気づかれないように、十メートルぐらい離れて歩く。

 窪原と亜矢香は、道路を渡って行く。その先に、大きなビルの一階にあるタイ料理のレストラン。


 店の前に置かれたスタンドのメニューを、しばらく眺めるふたり。笑いながら話している。

 やがて扉を開けて、店の中に消える。


 間をおいて、自分も入る。冷房が効きすぎて寒いくらいだ。

 休日のお昼時とあって、けっこう混んでいる。ふたりの姿が無い。

 奥の方に階段を見つける。どうやらこの店は二階もあるようだ。移動して階段を上る。


 窓際のテーブルに、窪原と亜矢香がいる。この階は、比較的空いている。

 端の方を歩いて、注意深く移動する。窪原を背にして、テーブルをひとつあけた席に座る。


 タイの正装をした浅黒い肌の男が、水とメニューを持って、注文を取りに来る。たどたどしい日本語。タイ人なのだろう。

 メニューを見て、ガパオライスとミルクティーを小さな声で注文をする。


 タイ人が去ったあと、視線を下方の一点に定め、耳をそばだてる。

 窪原と亜矢香の会話が、あらゆる雑音の中から、浮かび上がってくる。

「こうして、ふたりで食事するのも久しぶりだな」

「あっ、そうかも」

「どうだ? 新しい仕事は?」

「おもしろいよ。まだ雑用ばっかりだけど」

「忙しいんだよな。なかなか会ってくれないもんな」

「……うん」


「俺さ、最近まいってるんだよ。得意先の購入担当の女に言い寄られてさ。この間なんか、映画のチケット渡されたけど、すっぽかしちまった。うちの会社にとっちゃ、大口の取引先だし、あんまり冷たくすると、取引に影響するかもな」

 自分の顔が赤くなるのが判る。

「何? もてるってことが言いたいの?」

「そういうこと。……なあ、おまえさ、俺と結婚しないか?」

「何で急にそんなこと言うのよ」

「急じゃないさ。会えない間、ずっと考えてたんだ」


 気が付くと、目の前の氷の入ったコップがぼやけている。

 すすり泣きそうになるが、必死にこらえる。

 亜矢香の答えはない。ふたりの沈黙が続く。……




 窪原と頼子は、同時に目覚めた。互いに悲痛な表情で目が合う。

 頼子はすぐに、すすり泣きを始めた。

「あの女、まるで亡霊のように、夢に出てきたわ」


 泣きじゃくる彼女のかたわらで、窪原は考えていた。あの日、コンサートに行かなければ、不倫が始まることもなかったし、亜矢香と心中することもなかった。結局、窪原は亜矢香を死に追い遣るように、追い遣るようにと行動を重ねてきたような気がした。最も愛する女を、自らの手で葬ったようなものだ。それは、やはり耐え切れない事実だった。


 普通に考えれば、死を選ぶべきだろう。しかし、頼子の言ったことも一理ある。亜矢香の、この島での最後の意思を尊重したい気持ちもあった。

 どちらにするか、煮え切れないまま、また時が流れてゆく。その迷いの奥底に、死に対する恐怖が横たわっていることも、窪原は感じていた。


 頼子は、ようやく泣き止んだ。彼女は、地面に置いてある窪原の体を眺めた。

「体をさがしに出かけましょう。わたし、秀弘と違って、まだぜんぜん見つかってないし。手伝ってくれるでしょ?」

 軽い問い掛けではあったが、窪原は抗いきれないものを感じた。情欲に走ってしまった後ろめたさが彼の内にあって、頼子を拒絶できる状況ではなかった。この女に流されてみるのもいいかもしれない、彼は思う。頼子と現実の世界に戻り、改めて家庭をつくり直す――それが一番自然なような気がした。今は生命の搾りかすのような存在の窪原だが、子供でも出来れば、また変われるのではないか。その希望と共に、生きていってもいいかもしれない。


「手伝ってくれないの?」

「いや。手伝うよ。俺も体をさがしたいし」

 その言葉を聞いた頼子は、窪原に抱きついてきた。

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