Part 12

 人影のもうひとつは、若い女だった。髪が肩まで伸びて、うなじを隠している。薄闇の中なので、顔はよく分からないが、どことなく愛らしい印象を置部に与えた。ワインカラーの事務服のようなものを着ている。


「この人のことを、いろいろ面倒みてくれませんか」〈導き〉は言った。

「僕にですか」

「この人は淋しい人なのです。悲しい過去を、お持ちです。毎晩の夢の内容は、それこそ悲惨なものになるでしょう。とても独りで体さがしさせるのは、忍びなくて」

 情感がこもるはずの言葉だったが、〈導き〉の口調は、あくまで平板だった。


「それって、この島のルールに違反してないですか」

「いいえ、だいじょうぶです。時々は、こういうこともするのです。親切な人を選んで頼むのです」

「僕は親切なんですか」

「はい」

「この島に長くいるけど、初めてですよ。こういうふうに頼まれるのは」

「その人に合った性格や相性で選びますから。置部さんに合った人が、今までたまたま、いなかったのでしょう」

「なんか、そう言われても、気乗りしないね」

「お願いします。いっしょに体さがしをしてください」

 〈導き〉はそう言うと、若い女を置部の前に促した。


「それでは、私はこれで」

〈導き〉は、なおもとまどっている置部を後に残し、広場とは逆の方向に歩いて行った。

 若い女は、置部の前で俯いたまま、立っている。


 置部は改めてしげしげと彼女の顔を眺めた。濃やかな黒い瞳に、くっきりとした眉毛が良く合っている。幼な顔だが、唇の下のほくろが、アンバランスな艶やかさを添えていた。置部にとって、魅力的な女であることは間違いなかった。


 彼は、〈導き〉の稀な願いを聞き入れてやることにした。人と相対する時の仮面的な笑顔をつくって、口を開く。

「あなたの名前を、教えていただけますか」

「仲條です。仲條真菜」

「まだ若そうなのに、こんな島に来てしまって大変ですね。おいくつなんですか?」

「十九です」


 置部には、真菜が実際の年齢よりも少し大人びているように思えた。二十一、二ぐらいに見える。その顔は幼さを残してはいるが、全体の印象が大人びているように感じるのである。〈導き〉が言っていた通り、真菜の過去は重いものなのかもしれない。


「今日はもう遅いから、帰りましょう。寝泊まりする場所は決まってるんですか?」

「ええ。あなたの小屋の左隣が空いてるから、そこにしなさいって〈導き〉さんが」

「そうなんですか」

 置部は〈導き〉の何か作為めいたものを感じたが、今さら止めるわけにもいかない。この女の世話を、とりあえず続けることにする。


 二人は歩き出した。歩きながら、置部は自己紹介をした。

 彼は真菜と言葉を交わす都度、彼女に惹かれていくのを感じていた。

「それは、置部さんの、その……」

 真菜は、彼が抱えている持ち物を見て言った。

「あっ。これですか。そうなんです。僕の頭です。幸運にも、今日見つかったんですよ」

「良かったですね」

 真菜は笑顔になった。


 その笑顔が、あまりに自然だったので、置部は彼女に対して嘘をついてしまったことを少し後悔した。それは置部がこの島に来てから、初めて経験する気持ちだった。



          *



 ……見知らぬホテルの一室にいる。革製のソファー、やわらかそうなクッション。広いダブルベッド。天井にはシャンデリア。落ち着く色のカーペット。大きな陶磁器が、部屋の隅に飾られている。


 窓からは、プルシアンブルーの海が垣間見える。

 自分が、こんな部屋に泊まれるはずはない、と思う。


 視線が揺らぐ。したたかに酔っている。身体がだるい。眠ろう。

 ドアに行って、内側から鍵を掛ける。

 ふらつきながら、ベッドに寝転がる。


 意識が途切れそうになったところで、ドアが開く大きな音。

 鍵は掛けたはずなのに。どうして。


 起き上がる。ドアの所に黒い人影。水死体のように全体が爛れている。けれど、どこか見覚えがあるような。

 赤本?

 水死体のようなものは、水滴をたらしながら、ゆらゆら近づいてくる。


 口が開いている。魚が腐ったような臭気。

 ぼろぼろになった両手の指で、首を絞められる。息が詰まる。……




 窪原は目覚めた。彼は結局、まぶたを押さえたまま眠ってしまっていたのだった。

 そして、非現実の悪夢を見せられたのである。


 服が、ぐっしょりと汗で濡れていた。ウイスキーの酔いは、その汗のせいもあって、かなり醒めていた。

 この酔いが消えると同時に、この島にいた赤本の痕跡も無くなってしまう。そう思うと窪原はまた、やり切れなさが胸に広がっていった。


 それから窪原は、さらに三つの非現実の悪夢を見せられた。どれもみな、赤本を思わせる怪物が出てくる夢だった。胸が痛くなるような悲しい夢だった。うなされて目覚めるたび、酔いは醒めていった。三つ目の夢を見て目覚めた時、酔いは全く感じなくなっていた。


 窪原は、現実に戻ったら、赤本の墓に供養に行こうと思い立った。

 しかし……。ある考えが頭をよぎった。この島での記憶は、現実の世界に戻ったら消えてしまうのではないか。その証拠に、窪原はこの島に以前にも来たことがあるようだが、その時の記憶はない。先ほど夢で知ったばかりだ。ということは……。

 生きるにしても死ぬにしても、赤本の記憶は、この島にいる今だけのものということになる。窪原は、改めて赤本が遠い存在になってしまったことを知った。


 赤本への想いに沈むうちに、彼はまた眠りに落ちてゆく。……




 ……広場への道を歩いている。空の東に太陽がある。

 亜矢香がいる。地面を軽く足で蹴っている。考え事をしているのかな、と思う。


 彼女の横顔。ゆっくりと近づきながら眺める。亜矢香は、特に横顔が美しい。輪郭が浮き立って、陰影が深くなる。


「おはよう」亜矢香に声を掛ける。

 彼女は微笑む。

「今日もスコップを持ってないな。体さがしをしないつもりなのか」

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