Part 6
いつも、にこやかな表情を崩さない置部だが、今の彼は心の闇のヘドロが一気に噴出したかのような、ひどい顔をしていた。
置部は、朝からずっと頼子を探していたのだった。もちろん頼子の体さがしを今日も手伝って、彼女の気を引くためだ。しかし、この島で偶然人に会うということは、それほど簡単なことではない。徒労に終わるのでないかと思い始めた矢先に、ようやく頼子を見つけることができたのだった。
しかし頼子は、置部が最もいっしょにいて欲しくない男と今、話をしている。
終わりだ、置部は思う。あいつに会ってしまった。あの女の頭の中には、もう僕の存在など吹き飛んでいることだろう。あの女とは、しばらく楽しくやれそうだったのに。女が体を全部さがしだす前に、頭部を何とかさがし出せれば、この島に何十年も縛り付けておくことが可能だったはずなのに。……待てよ。今からだって遅くはないぞ。僕が、あの女の頭を見つけ出しさえすれば、二人の関係はやがて壊れていくはずだ。二人がいっしょに死を選びさえしなければ、彼らの別れは確実にやって来る。体が全部そろった者は、すぐさま現実の世界に帰されるはずだからな。そういう奴を何人か見たことがある。あの男だけが現実に戻っていく……そうなったら……きっとあの女は、また僕を思い出すに違いない。
二人がいっしょに北の海に入る可能性より、窪原の体が全部見つかる方に賭けてみる価値は充分にありそうだった。置部は、なんだったら彼の体さがしを手伝ってもいいとさえ思った。
置部は、いじっていた二個のくるみをスーツの左右の内ポケットへ別々に入れると、踵を返した。
瞳が異様なほど耀き、足取りは力に満ちている。彼の行先は一つしかなかった。
*
窪原と頼子は、話し続けていた。
「赤本さんって、いい人みたいね。わたしも会いたいわ」
「でもあいつは、あと頭だけになってたから、今日にも現実の世界に帰っているかもしれないな」
「いいわね。うらやましい。わたしなんか、けっきょくぜんぜん見つかってないんだから。やんなっちゃう」
「次は、どのへんをさがそうか」
「歩きながら考えましょう」
二人は、辺りをうろついている人々の間を歩き始めた。
「ねえ」
「ん?」
「さっきのわたしの質問に答えてくれる?」
答えられるはずはなかった。むしろ頼子に対して、夢での亜矢香のことを聞き出したい衝動に、先ほどから駆られているのである。窪原は、窮してしまって頼子から視線をそらし目を伏せた。
「秀弘は、あやかっていう人が、好きなの?」
「いや……答えたいのは山々なんだが……俺は、その……亜矢香っていう女を、まだよく思い出せないんだ。名前だって昨日の夢の中で確認したばかりなんだよ。もちろん現実の世界では、よく知っているとは思うんだが」
「そう……」
頼子が、窪原のどっちつかずのような答えを信用するとは、とても思えなかった。窪原は、もう頼子といっしょにいることが耐えきれなかった。妻である頼子に対して、嘘をついてしまったことに、罪悪感を覚えた。きっと現実の世界では、もう何十回もこんな嘘を重ねているんだろうな、と思った。
窪原は、この場から逃れるための方便を考えなければならなかった。だがそれは幸運なことに、すぐ思いついた。
「実は俺、これからどうしても行きたい所があるんだけど」
頼子は、やや瞳を大きくして窪原を見たが、返事は無かった。
「今日は体さがしの調子もいいし、何とかなるような気がするんだ」
そう言ってから昨日体験した、広場の真ん中にある地下室の話をした。
「君――いや、頼子はどうする? 女が行っても仕方のない所なんだが」
「そんなに無理して名前を呼ばなくてもいいわよ。……やめておくわ」
「そ、そうした方が賢明だな」
「じゃあ、わたし他をさがすから、また」
「ああ」
「明日の朝、広場で待ってるわ。その……体が全部見つからなかったら、だけど」
頼子は微笑んだ。窪原は、単独行動をあっさり承諾した彼女の心が全く読めなかった。
「判った」
今はこの場から解放されるが、彼は明日以降のことを考えると、早くも憂鬱になった。
窪原と頼子は道を異にした。頼子は東へと歩いてゆく。窪原は考える。ひょっとしたら彼女は、今決定的な諍いを起こして、自分と会えなくなるより明日会える方を選んだのではないかと。
彼は広場の道へと向かった。
しばらく歩いた後、ふと立ち止まって振り返ると、頼子の姿が遠くにあった。佇んで、窪原を見ているようだった。彼は、あわてて前を向き足早に歩き始めた。
*
広場にあるバラック小屋は、人々の体さがしの成果が集積している場所である。その小屋のほとんど全てに、ばらばらの死体のようなものが置いてある。置き方は、人によって様々だ。上半身だけ起こして壁に立て掛けたりする者や、体の部分と部分を付けることをせずに、無造作に散乱させている者。頭だけベッドの下に隠してしまう者。上半身と下半身を分けて、出入り口の両側に置く者。彼らの置き方は、自らの身体に関するコンプレックスを幾分反映していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます