Part 5

 あたりが暗くなってきた。窪原と置部は黙ったまま、歩を進めた。周りにいる人々も会話を交わすことなく、道を登っている。置部のクルミをいじる音と、人々の生気のない足音だけが聞こえていた。


「なあ……いったいどれくらいの確率で、現実の世界へ戻ることができるんだ?」

「そうですね……ごく稀でしょう。ほとんどの人は北の島影に入る方を選びますから。選ばざるを得ないんですよ。ここは辛いから。でも中には、半日かそこらで体を全部見つけ出して、現実の世界に戻る人も――」

 その時、窪原は左の太ももからふくらはぎにかけて、ごく軽い痛みが走った。

「ちょっと待ってくれ」 

「どうしたんですか」


 窪原は痛みの走った地点を確かめるために、あたりを二、三度往復したり回ったりした。通る度に、痛みを感じる場所があった。ここだ。間違いない。窪原は確信した。その場所にひざをついて身をかがめ、持っていたスコップで掘り始める。しかし土が固くて、なかなか進まない。


「手伝いましょう」

 置部も窪原のすぐかたわらに来て、スコップで掘り始める。

 十五センチぐらい掘ったところで、まず、膝小僧が顔をのぞかせた。


「やりましたね」

 置部はそう言って、微笑んだ。

 彼らはさらに掘り進めた。太ももやふくらはぎが徐々に現れる。


 その作業の間に、日はすっかり暮れてしまい、人影もなくなった。


 掘り出された体は、左の股関節から下の部分だった。脛の部分には、うっすらと毛が生えている。窪原は、念のためジーンズをめくって見比べてみた。まるで精巧な模造品のようだった。


 窪原は、それを置部にも持ってもらい地中から取り出した。


 さすがに大き過ぎてジャケットにくるむことはできない。窪原はしぶしぶそれを折り曲げて、脛の方を前にして左肩に担いだ。意外に重く、ふらついてしまう。感触の冷たい物体が彼の左半身を覆った。

 気持の悪いことこの上なく、彼はまたも吐きかけた。しかし、現実の世界に戻るためには、耐えなければならない不快感であった。


「一日目で、二つも見つけたんですか」

「ああ。置部君は、今までどのくらい見つけたの?」

「僕ですか。僕はぜんぜんだめですよ。二十年かけて頭だけです」

「頭だけ?」

「窪原さんと比べたら、ひどいもんですよ。僕の頭が見つかったのは、この島に来てから五日目のことでした。後はどういうふうにさがしても、さっぱりなんです。今はただ、この島で無意味に時を過ごしているだけというか――虚しいもんですよ」

 置部の口調は、軽い感じだった。窪原は彼の二十年間という時の重みを慮った。しかしそれは窪原の想像をはるかに超えていて、とても考えの及ぶ事ではなかった。


 地面に投げ出された二つのスコップを置部はひろい、窪原に手渡すと、また歩き始めた。窪原は肩に相当の重みを感じながらも、ついてゆく。


 それからしばらく彼らは急な登り道を喘ぎながら歩いて、ようやく広場に到着した。


 たくさんの小さなバラックの集合体が、窪原の目に入った。

「この掘っ立て小屋のような建物は、円環状に広場を取り囲むようにして立ち並んでいるんです。三重になっていて、目の前の層の内側に、あと二つ層があります」置部は言った。


 正面に並んでいる小屋の間は、二人ぐらいだったら通れる小路になっていて、そこに置部は入って行った。窪原も後に続く。


 層と層の間にも左右に続く路があったが、置部は真っすぐ歩いて行く。小屋の窓と扉は、どれも広場の中心に向かって取り付けられており、いくつかのバラックから明かりが漏れていた。ところどころに外灯も立っていて、ある程度周りを見渡せるようになっている。


「このたくさんある小屋の中の一戸だけ、自由に使ってもいいことになっているんです」

 置部は最も内側の層まで来ると、路を左に折れた。迷う様子もなく、あるバラックの前に立つ。

「鍵がドアのノブに刺さっている家が、誰も使っていない家です。お好きなのを選んでください。じゃあ、僕はこれで。おやすみなさい」

「おやすみ。案内してくれてありがとう。一人では、分からないところだった」


 置部は軽く礼をすると、自らの小屋の中に入って行った。窪原には、彼の顔が一瞬こわばったように見えた。ほどなくして、ゆらゆらとした明かりがともった。


 うんざりするほど荷物は重かったが、窪原はしばし広場を徘徊した。


 広場の中央には、人の大きさくらいの円柱の石製建造物があった。何か入り口のような四角い穴がぽっかりと開いている。その穴の濃い闇の底には階段のようなものがあり、どうやら地下に続いているらしい。とても夜に入る気分にはなれない建物だった。


 広場にあるものといえば、それだけだった。動く人影もない。窪原は立ち止まり、空を見上げた。

 月も星もない、殺風景な夜空だった。真っ黒い大きな紙を貼り付けたような空。現実のようであり、現実でない世界。早く体を全部さがし出し、元の世界に戻らなければ、改めて彼は思った。


 ふと、小さな話し声が、広場の登り道の方角から聞こえてきた。視線をそちらに移すと〈導き〉と二人の少女の歩いている姿が、ちらっと見えて建物の陰に消えた。おそらく広場に案内してくれる人がいない場合は〈導き〉がやるのだろう、窪原は推し量った。


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