山頂決戦(前)

 ピシャーチャは、バスウのいる正面から左に曲がって走っていった。


 小鬼が走る方向にいたのは、紅足粉固べにそくふんこ――女のすらりとした二本の足の上に、箱が乗っていて黄色い粉を固めた団子が山になっている。


 その団子が、矢継ぎ早にピシャーチャの身体に飛んできて、次々に当たった。黄色い粉が大量に舞い上がる。

 黄色い粉は、ピシャーチャの瞳に入り、視界を失わせた。


 小鬼の顔面に、強烈な蹴りが入った。倒れたところで、紅足粉固べにそくふんこの足に踏まれ、蹴られ、空中で回され、最後は球のように蹴り上げられた。


 しかしピシャーチャは空高くのぼりながら、両手を顔に持っていて粉をはたき、下唇を上に伸ばして、おもいっきり息を吹いた。

 粉は、あらかた飛んで、小鬼の視界が戻る。


 くるっと回って着地し、その衝撃をものともせず、両手の爪を立て、口を開いて紅足粉固べにそくふんこに襲いかかった。《魔》による蹴りの連続攻撃は、ピシャーチャに微かな痛みを感じさせただけで終わっていたのだった。


 ぶにゃら。紅足粉固べにそくふんこの右足の太ももから、鮮血がほとばしった。




 地獄の女剣士は、右に走っていった。長い黒髪が、たてがみのようになびく。

 両手には、既に剣が握られている。


 前には、ならんだ円錐状の黒岩。その左右から、ふらっと二人の老婆が現われた。


 妖葉緑髪ようようりょくはつ――足まで伸びた青緑色の髪の間に、いくつもの腐った枯葉をはさみ込んでいる。


 老婆たちの長い髪が、横へとひろがった。腐った枯葉が空中に舞いあがる。しかしその攻撃はのろく、ヤマラージャの動きを、少しもゆるめるものではなかった。

 ヤマラージャは手をいっぱいに伸ばし、双剣で同時に妖葉緑髪ようようりょくはつたちの首筋を、かき切った。

 さらに右に走ってゆく。




 持国は、剣を抜き、正面からバスウが苦行をしている小高い場所に向かって、突き進んだ。

 走りながら、右手で印を結び〈離空剣〉を発動させる。


 ばらっと、立ちはだかったのは、武装した猿が十匹ほど。


 百剣投猿ひゃっけんとうえん――鈍色の小剣が鎧のように体をおおっている。高速度で両腕を回し、小剣を投げ続ける《魔》。


 早速そやつらは、いっせいに体の小剣に手をかけた。


 持国は、幅広の剣を左から横手投げをし、同時に身をかがめて回転する。数本の小剣が彼の漆黒の鎧をかすめて、地面に突き刺さった。


 放った〈離空剣〉は、猿たちの背後に回り、すーっと頭や首筋に傷を入れる。

 痛みで頭を抱える猿たちの中に、持国は突っ込み、抱えて投げ飛ばしたり、蹴りまくって突き飛ばしたり、顔面に手刀や目つぶしを入れたりしてのけぞらしたりした。


 手元に戻ってきた〈離空剣〉を両手で持ち、そやつらを切り刻む。

 百剣投猿ひゃっけんとうえんどもは次々に地に伏し、持国の視界がひらけた。


 バスウの姿があった。彼は苦行をやめ、いばらの敷物の上に座し、杖を両手で横に持ち瞑想している。

 その前には、さっきまでバスウの体を痛めつけていた鞭が、蛇のように蠢き、空中に浮かんでいた。


 持国は、とっさに右手で印相を作り、青い火の玉を現出させた。

 火の玉を投げ、鞭に当てる。

 鞭はすぐに燃えて灰と化し、地面に落ちた。


 持国は、老人をとらえようとして飛び跳ねる。

 その瞬間、バスウの持っていた杖が縦になり、バスウの眼が開いた。不自然なほど、いっぱいに開かれた灰色の瞳。


 ――そして。

 仙人の背後から、空気が波打っているかのような大きな衝撃波がやってきた。

 バスウの大法力だった。




 ガンダルヴァは、空の上で金剛の笛を右手で持ち、端の一方を口にくわえている。

 鳥人は、もう一方の端から小さな玉を次々に、地上に向かって吹いていた。玉は自動で笛の中に現出する。


 左腕には、透明な法輪を抱えている。使えるようになるには、まだ時間が掛かりそうだ。


 笛から飛び出した玉には細かくびっしりと梵字が書かれている。その玉の行先は――小鬼の周りだった。

 ピシャーチャは、今、紐でがんじがらめにされていた。


 緊縛皮没きんばくひぼつ――色とりどりの玉が紐で結ばれ空中に浮かぶ物体。玉は皮膚に密着すると、溶けて体内に染み込む。


 玉には玉。梵字の玉は、緊縛皮没きんばくひぼつの玉とぶつかり、小さな梵字がふっと浮き出て両方ともに消失してゆく。

 ガンダルヴァの恐るべき〈吹き玉〉の精度と集中力。


 小鬼をしばっていた紐が解かれ、あらかた緊縛皮没きんばくひぼつがいなくなった時――。

 ガンダルヴァのすぐ側に、いつの間にか妙な鳥が現れていた。


 似非鳳凰えせほうおう――羽をぎくしゃくさせながら飛び、口から眠気をもよおす息を浴びせる。


 不完全な鳥が口を開いた刹那、ガンダルヴァは、危険を察知し、笛を八の字に何度も振り回して金色の液を振りかけた。

 焼け焦げる嫌な臭いがして、鳥人は思わず顔をそむける。


「ピャアアアアアア!」

 ぎこちなく飛んでいた似非鳳凰えせほうおうは、墜落していった。

 円錐状の岩の上へ向かって落ちてゆく。この後、岩に突き刺さって絶命するのは、間違いなかった。

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