地獄から来た女(後)
二人が話しているうちに、ヤマラージャのかたわらへ変わった姿をした一頭の水牛がやってきた。頭に生えた二本の角は、かぎ型に曲がっている。でっぷりと太り、体表は緑。足が極端に短く、長時間の歩行はむずかしそうだ。
「あっ、グウティ。うまく隠れてたのね。せっかく待っててくれて悪いんだけど、自分はこれから山に登らなきゃならないの。また呼んだら、来てくれる?」
グウティと呼ばれた水牛は、彼女が差し出した手をぺろぺろと舐めはじめた。
すると、牛の足もとに水たまりができはじめた。やがて、その水たまりはグウティの体より大きな円をつくった。舌がヤマラージャの手から離れると、グウティはすぐに水たまりの中へ落ちるように没してしまった。
「今のはいったい」
「グウティは、わたくしを地下から運んでくれたのです。地上との行き来は、いつもあの動物を使うんですよ。今回は出るところを間違えましたね。もっと山のふもとの近くに出て欲しかったんだけど。それとも、ひらたい場所はここが最後なのかな」
「いっそ山の頂上というわけには、いかなかったのか」
「地面の高さをこえると、なぜか上には進めないの。グウティの周りにあった、あの水が地上では昇れないからかも。あと今回みたいに森や林がある場所とかも、だめみたい。湖や沼とかなら出れるんですけど」
ふと、持国の尻を叩く者がいた。ピシャーチャだった。
「あのさ。これからどうすんの」
「どうするって。また山に向かって行くだけだが」
「ちょっと遅れてもいいかな。腹ごしらえしたい」
小鬼の身体能力を持ってすれば我々に追いつくことは造作もないだろう、持国は思う。
「許そう。もし、はぐれたらガンダルヴァに捜してもらうか」
ピシャーチャは小おどりしながら、積み上がっている肉の丸太を物色しはじめた。早くも口から、よだれがしたたっている。
「私に捜させるとは何ですか。そんな下働きはしないですよ。宮廷の楽士なのですから」
ガンダルヴァが持国に近づきながら言った。今の言葉が、聞こえたらしい。
「そうか。しかたないな。では、もしもの時は我が捜すことにしよう」
「そうならないことを願っております。さて。羽が乾いたので、私はこの先で寝られる場所を見つけてきます。もう日暮れが近い。夜は動かないほうがいいと思いますので」
そう言ってガンダルヴァは、翼を広げると、黒い山の方角へ飛び立った。
持国と女剣士も、その方角に向かって歩を進めた。すぐに、黒い林に入り込む。持国は、ヤマラージャの前に立ち、木々を分け入りながら、地を踏みしめながら進んだ。
「あの小鬼は、《魔》を食すのですか」
背後から、声がした。
「まあ、食べるというか……食べる」
「どういうこと」
「法力で人の姿に変えてから、食べる。ピシャーチャは、《魔》だけでなくあらゆる屍体を人の姿に変えることができるのだ」
「変わった法力ね。でもなぜ、わざわざ人の姿に」
「ピシャーチャは、昔、人の屍肉を喰らう者だったのだ。人のしかばねを求めさまよい、時には殺したりもした。我の従者になるにあたり、そのままでは人との間にいさかいを起こしかねないので、千手様からその法力を賜った」
「いろんな法力があるものね」
「ヤマラージャも、さまざまな法力が使えるではないか。我は、なかなか身につかない。前々から訊こうと思っていたのだが、いったいどんな修練を積んだのだ?」
「わたくしは……もちろんたくさん修練もしたけど……もとは五人だったから」
持国の足どりが、止まってしまった。後ろを振り向く。
「わたくし……たちは、ある時死に直面して、その危機を乗り切るために、ひとつの身になって力を合わせたのです。わたくしには五人分の法力が宿っているのです」
「もとの姿には戻れないのか」
「戻れないですね。複雑に五つの人格と身体が絡み合っているから。……さあ、行きましょう。わたくしも、あなたも先を急いでいるのですから」
「そうだった。……すまなかった。訊いてはならないことだったな」
ヤマラージャは、黙って首を横に振った。
それから二人は、日が沈むまで歩き続けた。その間、小鬼が追いつくことはなかった。
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