地獄から来た女(前)

 乱刻山は、黒々とした山である。

 山の表面には黒い樹木が密生し、そのわずかな隙間を玄武岩が埋めている。玄武岩は、かつてこの山が火山であったことを示していた。頂上にあった火口は、いつしか煙も熱をも失って平地に変わってしまった。《魔》の邪念が、地下に溜まった火の霊気をことごとく吸い取り、融合してしまったのかもしれなかった。


 黒い樹木は、乱刻山のふもとまでひろがり、仄暗い森を形成していた。

 その陰鬱とした森の中を、持国と従者たちは頂上を目指して、道なき道を歩んでいる。


 むわっとした熱が木々の黒い幹からからただよい、それと共に硫黄に似た臭気。

 一行の足どりは重かった。とりわけガンダルヴァは、鼻を両手でふさぎながら歩いている。木々から放たれる湿り気を帯びた熱は、かなり不快なものだ。鈍い赤色をしている彼の顔は、持国の肌の色に近づきつつあった。


「去りなさい! 汚らわしい者ども」

 突然、女の叫び声がした。かなり近い。持国と従者たちは視線を合わせてうなずくと、声がした方向に走り出した。


 密集した木々をかき分け進むと、だしぬけにぽっかりとした平地があらわれた。


 背高い化け物たちが何者かを取り囲んでいるらしい。肉を切り裂いているような、くぐもった音がしている。


 化け物たちは、圧死固棒あっしこぼう――ごつごつとした石のような皮膚をもち、集団で相手を取り囲み、強い圧力によってつぶしてしまう《魔》。


 ピシャーチャは膝を落として身構えた。

 持国は背中の左にある鞘から、左手で剣を抜いた。

 ガンダルヴァは神経を集中して、金色の長い笛を空間に現出させ、それを手にした。


「行くぞ」

 持国が言ったその刹那――。

 圧死固棒あっしこぼうの群れが取り囲んでいる輪の中から、上へ抜け出すように跳躍した者がいた。


 剣を持った両手を羽のようにひろげ、宙返りをして着地する。すぐさま、化け物の群れにおどりかかった。


「あれはヤマラージャではないか。なぜこんなところに」

「持国様。私にも分からないことはあります」


 女剣士。甲冑で身を守り、しなやかな動きで双剣を操っている。兜の下からは長い黒髪が腰まで伸び、敵を切り刻むつど、乱れ踊る。


 ピシャーチャが先陣を切って、《魔》の一体に襲いかかった。小鬼は、圧死固棒あっしこぼうの黒い穴のような目がある頭を狙い、跳ね上がって噛みつく。

 ごぼり。血しぶきが上がって棒状の体が倒れた。石をも噛み砕く、ピシャーチャの強靭なあご。小鬼は次の標的を定めて、また跳ねた。


 持国と鳥人も、輪の陣形がくずれた中にとびこんでゆく。


 ガンダルヴァは、現出させた金剛の笛を剣のように振り回し、圧死固棒あっしこぼうを打ち倒していく。笛の穴からは金色の液体が飛び出し、石の肌を焼いて、絶命させてゆく。


 持国は印を結んで〈離空剣〉を発動し、剣を飛ばした。幅広の剣は、まだ動きがぎこちないものの、次々に化け物を切り倒す。持国の肉体自身は、回し蹴りをくらわしたり、拳の連打で異形の者を一体一体、ぶち倒していった。


 輪の陣形を解かれた圧死固棒あっしこぼうの群れは、こうしてひとたまりもなく殲滅の運命をたどった。あとには丸太のような血まみれの死体が、あちらこちらに積み重なっているばかりである。


 さっきまでの騒乱が幻であったかのように、あたりは静けさに満ちた。


 持国は、たたずんでいる女剣士のそばに歩み寄った。

「会うのは久しぶりだな、ヤマラージャ。元気そうで」

「そちらさまも。わたくし、がらにもなく地下の国から出てまいりました」


 ヤマラージャは、地獄世界を管理する者なのであった。罪人を裁判にかけ、どの地獄に入れるか振り分けたり、逃げ出す者がいないか見張ったりしている。


「不躾なようだが、あなたがここにいる訳を訊いてもよいか」

「いいですよ。目指す場所は、あなたたちと同じようだし。ちょうど独りで来てしまったことを後悔してたところだったから」


「やはりバスウのことで――」

「そうです。昔、地獄にいた者が、また暴れだそうとしているようなので」

「とらえに来たと」

「まさか。まだ何もしていないうちから、そんなことはできません」

「では、暴れだすのを止めにきたと」

「そんなところです」

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