小鬼の報告

 持国は、両腕で抱えこんでいた十個ほどのしなびた果実を、みがかれた石の表面にそっと置いた。昼間、ガンダルヴァが香りを吸ってしまった木の果実を、収穫したものだった。


 彼の前には、腰の高さぐらいの大理石の台座があった。中央に拳ぐらいの大きさの穴が開いている。穴は地中の奥底まで続いているため、闇以外、見えるものはない。


「ここにいたんだ。ピシだよ」

 その声に、持国は振り返った。


 小鬼。くりっとした大きな瞳に似合わず、口からは牙が伸びている。手足の爪は鋭くとがり、それ自体が強力な武器であることを示している。


 ピシャーチャは、夕暮れの光に照らされて赤みを帯びていた。

 その背後には、賢上城と云う名の城が、そびえ立っている。持国の肌の色と同じ落ち着いた青に塗られているが、今は小鬼と同じように全体が赤みを帯びていた。


 賢上城は、須弥山と云う巨大な山の中腹に建てられた城である。持国は、その城に住んで、東の方角の領域を守っているのであった。


「ごくろうさま。疲れただろう」

「だいじょうぶだよ。ひとばん寝れば、もとどおり」

「そうか。そうだったな。報告を聞こうか」

「いつものように絵を送るよ。話はにがて」


 しばらくすると持国の脳髄に、細密に描写された絵があらわれた。ピシャーチャの法力だった。


 その絵には、岩山のひらたい頂上が描かれていた。厚い雲におおわれた灰色の背景。人間の背よりも高い円錐状の黒い岩が立ち並び、その間には変わったなりをした生きものたちが群れ集っている。


 頭が燃えあがっているのに踊っている者たち、全身が鈍色の小剣でおおわれている猿、二の腕と太ももの筋肉だけが異様にふくらんでいる巨人、色とりどりの玉が紐で結ばれ空中に浮かんでいる物体の集団、青みがかった緑色の髪の間に枯葉をはさみ込んでいる老婆、体中のひび割れた皮膚から鮮紅色の光が漏れている肉のかたまり、など……。


 画面の奥には、一段高くなっている場所があって、そこには粗末な衣を着ているやせ細った老人が、右手で杖を高く掲げて立っていた。目が不自然なほど、いっぱいに開かれている。


「このご老人は、やはりバスウなのか」

 ピシャーチャは、こくりとうなずいた。

「あの人、法力を使って大きな岩を飛ばしてた」

「我が知っているバスウとは別人のようだが。もっと落ち着いている感じだった。……ご老人の周りにいるやつらは、当然のことながら《魔》と呼ばれている者たちなのだろうな」

「そうだと思う。見つからないように逃げてきた」


 持国は、ため息をついた。バスウが《魔》にとらわれたとなると、救出に向かわなければならないだろう。

 しかし、なぜバスウがこんなことに、持国は思った。バスウは自らの肉体を死の間際までいたぶり続ける苦行を重ねに重ねた果てに、法力を獲得した高名な仙人であった。尊敬している者も多い。持国と同じ千手観音に仕える身である。


 バスウが何らかの苦境に陥り、その解決のために高い山に入って行方不明になったという噂を、持国は東の勝身州と云う大陸を旅してきた者から聞いた。約一月前のことである。


 そこで持国はピシャーチャに、大陸にある山の探索をするように命じた。小鬼なら、大陸のあちこちに散らばっている同じ種族の仲間から、情報を集めやすいだろうと思ったからである。


「この岩山は、どこにある」

「大陸の南の内側。南の海岸から山のてっぺんまで三日かかる」

「乱刻山か。死火山だな。あそこは《魔》をつくりだす邪念が溜まりやすい山と聞く」

「よく知らないけど、気持ちがどんどん重くなる山だった」

「頂上まで三日となると、往復で六日か。それなりの支度がいるが、整いしだい出発するぞ」

「えっ。ピシ、また行くの」

 小鬼の顔がにわかにくもり、大きな瞳に、みるみる涙が溜まってきた。


「いや……無理にとは言わないが。明日には元気になるんだろう」

 ピシャーチャは、下を向き涙をこぼした。少し震えている。

「わかった。ピシ、従者だ。行くよ……」

 小鬼はこうべを垂れたまま、ぽつりとそう言って、すごすごと踵を返した。


「あっ、待ってくれ、ピシャーチャ。教えて欲しいことがあるんだった」

 小鬼は、振り返った。こんどは瞳が、いきいきとしている。

「ピシに?」

「たしか分身の法力を使えたと思うが……その……うまく分身を操るコツってあるのか」

「あやつるんじゃないんだよ。乗りうつるんだ。パッパッとね」

「なるほど。そういうことか」


 その時、持国は背中にかすかな気配を感じた。

 彼は大理石の台座の方を向き、しなびた果実を手に取って穴のまわりに配置した。


 ほどなく穴から濃密な白い霧が出てきた。霧は穴の上の空間を漂っていたが、やがて意志をもっているかのように果実らに降りてきた。


 この霧は〈よみがえり濃霧〉と呼ばれていた。ひとひの夕暮れ時にだけ、穴から現れる濃く白い霧。さすがに命までは、よみがえらせることはできないが、あらゆる物をもとの状態に戻すことができる霧だった。


「なんで、こんなことしてんの」

 ピシャーチャが、かたわらにきて訊いた。

「準備だよ。これも持っていく。何かの役に立つかもしれない」


 濃霧が、ゆらゆらと漂いながら穴の中に帰っていった。


 持国は紫色の果実を一か所に集め、両腕で抱え込んだ。果実から立ちのぼる酒の芳香に、軽いめまいがして思わずよろける。

 こぼれて地面に落ちた果実を、ピシャーチャがひろい集めた。


「ほおーい」

「ほおーい」

「ほほほおーい」

 持国と小鬼がいる南の方角から、複数の声がわきおこった。


 彼らは、声がした方に顔を向けた。横に流れる小川をはさんで、緑におおわれた放牧場が広がっていた。あちらこちらで草や虫や豆を、はんでいる動物たち。


 漆黒の羽に星座を宿したニワトリ、前足は一本だが器用に体を支える豚、長い耳が透明なうさぎ、まっすぐな毛におおわれた羊、虹の色が全て見出せるまだら模様の牛、など……。


 この賢上城では百匹を超える動物を飼育しているのであった。その動物たちが眠るために、厩舎に入る時間がきたのだった。


 人の声に追い立てながらも、のそのそと動物たちが歩いてゆく。持国とピシャーチャは、その景観を日が沈むまで飽かず眺め続けた。心の中で大きくなった不安を、一時でも忘れるために。


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