妖怪ノ守り人
コオリノ
第1話 帰省
東京都内の高校に通う高校一年生。
羽山 玲二(ハヤマ レイジ)。
俺は今、母親の梨花と共に電車に揺られていた。
窓から見える田園風景。
青空と夏雲が広がるのどかな景色。
そう、今は夏真っ只中。
高校一年の夏休みと言ったら、遊びまくってなんぼの時期だ。
なのに俺ときたら……。
窓に映り込む自分の顔をちらりと見る。
短めにまとめた髪に目つきの悪い人相。
不機嫌そうな顔。
いや、不機嫌なのは顔のせいではない。
この手紙のせいだ。
俺は手に持っていた皺になった手紙を広げ、視線を手紙に向けた。
──拝啓、羽山玲二殿。
この度……。
今時印刷文字ではなく、達筆な文字で書かれた手紙。
差出人は俺の祖父の顧問弁護士を名乗る男からだった。
内容はこうだ。
少し前に祖父が亡くなった。
その祖父の莫大な遺産が、俺であるとの事だ。
ついては俺が未成年のため、身元引受人として母親と一緒に実家に来いと言う内容だった。
本来なら速攻破り捨てて唾でも吐きか掛けてやりたいところだが、残念だが俺はそれを思い留まり、片道二時間の田舎町にやってきた。
なぜ破り捨ててやりたかったかと言うと、それは俺がまだ、祖父の家で家族三人で暮らしていた頃に遡る。
ある日、俺と梨花を残して突然行方不明になった父親。
残された俺と梨花は、二人で祖父と、その親戚連中と一緒に暮らす事になった。
しかし、元々長男で行く行くは跡取りとなったはずの父親が居なくなり、そのせいもあってか俺と梨花への風当たりは凄まじいものだった。
口を開けば金目当ての結婚だとか、本当に父親との間にできた子供なのかと、元々箱入り娘で世間知らずの梨花にとっては、親父を失ったのもあり相当なものだった。
やがて梨花から笑顔が失われ、俺は何とか一人で母親の梨花を守ろうとしたのだが、残念ながらガキはガキだ。
なんの力もない。
俺は母親一人も守れない弱い生き物だったのだ。
やがて、俺と梨花は父親の帰りを待つ事を諦め、東京へと出てきた。
まともに働いた事もない梨花は俺を食わせる為に、友達の飲み屋で働く事になった。
毎晩酒飲みの相手をしながら、呑みたくない酒を呑み、夜遅くから朝方まで働いた。
それでも俺には泣き言一つ言わず、親父の様に優しい人になってと、俺を気遣いつつここまで育ててくれたのだ。
そこにこの手紙だ。
祖父の遺書には俺に相続させると明記されていたらしい。
もしその遺産とやらが手に入れば、梨花にも辛い思いをさせなくて済む。
楽な人生を送らせてやれるかもしれない。
その為ならば、例え憎かった祖父の遺産でも、俺は手にしてやる。
「れ~いちゃん」
「ん?」
突如呼ばれた声に振り向くと、爪楊枝に刺したたこ焼きを、俺の口に満面の笑みで運ぼうとする梨花の姿があった。
「はいあ~ん」
「おいやめろ梨花!ガキじゃねえんだから、って熱っ!!」
「え~」
梨花が悲しみに打ちひしがれていると、迎えの座席に腰掛ける妙齢の女性が、微笑ましい笑みで、こちらを見てクスクスと笑っていた。
「あらごめんなさい、お似合いのカップルだなって思ってつい」
「そんなお似合いだなんて!」
両手を頬に当てなぜか照れている梨花。
確かに、梨花は見た目だけなら化け物級だ。
未だに夜中警察からおたくの娘さんを保護したと連絡が来る始末。
ゆるふわな髪に綺麗な金髪。
顔は息子の俺が言うのも何だが美人だし可愛い方だとおもう。
だからといって母親とお似合いってどういう事だ……。
俺は溜息をつきながら、再び窓の外に視線を移した。
その後、目的の駅に着いた俺達は、向かいの席の女性に別れを告げ、駅前のロータリーにたむろしていたタクシーに乗り込んだ。
走る事二十分、開発の進んだ駅前の町並みとは違い、辺り一面田んぼだらけの田舎道へと移り代わった。
「ねぇねぇ玲ちゃん?あの山じゃない?」
「ん?ああそうだな、この辺は昔とちっとも変わってねえ……」
「あの山は朧山って呼ばれてるんですよ。この辺りは藤堂家って呼ばれる有名な地主さんの土地でね。あの山もその藤堂家の私有地なんですよ。いやあこんな田舎にも、金持ちってのはいるもんでね~」
運転手がルームミラー越しに話しかけて来た。
「朧山……」
昔住んでいた事があったが、まさかこの辺りとあの山も含めて祖父の土地だったとは……。
「おっあそこだ、着きましたよお客さん」
古びたバス停の前にタクシーが停る。
俺達は荷物を持って外に出ると、梨花が運転手に愛想のいい笑顔で手を振っていた。
水商売の癖が出まくってるなこいつ。
「行くぞ梨花」
「え?あ、うん」
俺は梨花の手を取り、バス停の横にある一本道の脇道を進んだ。
草木が涼やかな風で揺れていた。
近くにある小川は透き通るほど綺麗で、優雅に泳ぐ小魚がよく見える。
「空気が気持ちいいね、玲ちゃん」
弾む様な梨花の声。
確かに、澄んだ空気が辺り一面に満ちているのがよく分かる。
実家に近付くにつれてモヤモヤしていた気持ちも、今は幾分か落ち着いてきた。
「着いたよ玲ちゃん」
梨花の声に振り向くと、見覚えのある大きな日本家屋が見えた。
「懐かしいな……」
あれだけ嫌っていた場所に、俺は帰ってきたんだ。
そう自覚すると、何だがまた少し心にモヤが掛かる。
「ようこそ、羽山 玲二殿」
「えっ?」
突然、物陰から男の声が響いた。
振り向くと、そこには黒いスーツ姿、二十代くらいの若い男性が立っていた。
男は黒縁眼鏡を僅かに持ち上げ、こちらに鋭い視線を投げかけてくる。
「誰?」
キョトンとした顔で梨花が小首を傾げる。
「あれえ?この子誰かにゃ?」
背後から女の声がした。
他にも?
声の方を向くと、そこには帽子を被った赤毛の女が、梨花を見ながらにやにやしている。
鋭い八重歯。ちょっとつり上がった大きな瞳。
何となくだが猫っぽい。
ん?猫?こいつ今語尾ににゃとか言ってなかったか?いや、そんなベタな話……。
「あ、り、梨花って言います。玲ちゃんの母親です」
梨花が慌てて頭を下げる。
「にゃっ?母親?めっちゃ若いにゃ、ねえねえいくつ?」
コロコロとした笑みで赤毛の女が梨花に歩み寄る。
「失礼だぞ小夜(サヤ)」
「えっ?」
まだ他にいるのか?
見ると小夜と呼ばれた女の背後から、白のカットソーを着た青白い短めの髪をした女性が現れた。
スラリとした体に切れ長の目、淡く青い瞳は、氷のような冷たさを感じる。
「孤狼(コロウ)も見てよこれ、母親ってレベルじゃないでしょこれ、よくて女子高、痛たたたたっ!耳!耳ちぎれる!」
「失礼だと言ってるだろ小夜」
孤狼と呼ばれた女性が小夜の耳を強引に引っ張った。
「騒がしいぞ二人とも……」
「うにゃ!」
「はっ……し、失礼しました逢魔(オウマ)様……」
孤狼と小夜が慌てて姿勢を正した。
どうやらこの逢魔ってやつがこいつらの上司のようだ。
たった一言で二人を一瞬で諌めてしまった。
「ご無礼をお許しくださいお二方……改めて名乗らせて頂きます。私、藤堂家専属顧問弁護士を務めています、逢魔といいます、以後、お見知りおきを、羽山 玲二様……」
「じゃ、じゃああんたが俺に手紙を寄越した?」
「ええ……立ち話もなんです、どうぞ此方へ……おい二人とも、」
そう言うと小夜と孤狼は俺達の荷物を勝手に奪い取ると、屋敷の方へと足早に行ってしまった。
「さあ、我々も……」
逢魔が梨花に片手を差し出しエスコートを始めた。
「きゃ~見て玲ちゃん!イケメン執事みたい」
現状を把握していない梨花はイケメン顧問弁護士に夢中のようだ。
「はぁ……人の気も知らないで……」
溜息をつきつつ、俺と梨花は連れられるまま屋敷へと向かった。
広い屋敷に入ると、長い廊下を渡り、俺と梨花はなぜか別々の部屋に通された。
だだっ広い応接間。
中央に敷かれた座布団の上に座らされ、俺に向き合うようにして先程の三人が腰を下ろす。
「お、おい梨花は?」
「あ~梨花ちゃんなら大丈夫、美味しいお茶とお饅頭をだしておいたにゃ、睡眠薬入りだけど」
てへっとイタズラめいた笑みで舌を出す小夜。
「お、おい睡眠薬って!一体何のつもりだ!?」
慌ててその場を立ち上がろうとした瞬間、
「お待ちください……」
逢魔がそれを制するようにして俺に手をかざした。
「な、何だ!?」
体が言う事を効かない。
なんとか動かそうとするも、体は俺の意思に反して再び腰を下ろした。
言う事を効かないというより、体が勝手に動いて……?
一体何が起きたと頭を混乱させていると、再び逢魔が口を開く。
「すみませんが少々大人しく我々の話を聞いて頂きます。大丈夫、梨花様には我々の話が終わるまでの間だけ休んで頂くだけです。危害を加えるつもりなど毛頭もございません」
「ほ、本当だな?……」
口だけは意志通りに動く。確かに危害を加えるつもりはないようだ。
「はい……この身に誓って」
そう言って逢魔は深々と頭を下げてきた。
「わ、分かった……で、話ってのは?」
「はい、貴方の祖父、藤堂 豹馬(トウドウ ヒョウマ)様の事、そして貴方の父藤堂 雅隆(トウドウ マサタカ)様について……」
「親父の?」
「はい……まず貴方の祖父、豹馬様は、表の顔と裏の顔を持っておりました。同様に、そのご子息であられる雅隆様も…… 」
「表と……裏?」
「ええ……表向きはこの土地の名士として、そしてその裏では、この土地の、妖怪ノ守り人として……」
「よ、妖怪?」
何かと思えばいきなり妖怪ときた。
こいつらもしかして盛大なドッキリでもやるつもりか?
一体何の冗談だこれは……。
呆れつつ俺は肩を落として項垂れた。
「お見せした方が早いでしょうかね……」
「お見せするって……あのな、」
──バサッ
「いい加減人……を……ひっ!?」
突然大きな羽音が聞こえ顔を上げると、そこには信じられない光景が、俺の視界に飛び込んできた。
思わず続く言葉を失い、代わりに出たのは俺の小さな悲鳴だった。
スーツ姿の逢魔、その真っ黒なスーツの背後に、巨大な漆黒の翼が広がっていた。
鴉のような羽がヒラヒラと部屋の中を舞い、畳の上にふわりと落ちる。
「朧山、妖怪の代表を務める、八咫烏の逢魔と言います……以後、お見知りおきを……」
「なっ……う、嘘……だろ?」
──パキパキパキ
「氷雪の狼族……孤狼……以後お見知りおきを、玲二様……」
孤狼の左腕が、いつの間にか冷たい氷に覆われている。
耳も人間とは違い、まるで狼の耳のようにピンと尖っている。
「そして万を時してこの私こそが!!」
「あ、いや、お、お前はもういい。化け猫だろ……」
引き攣る顔で小夜の顔を見る。
瞳が大きく見開かれ、猫のような爛々とした瞳、ご丁寧に猫のような長い尻尾まで。
「ななななっ何でにゃあぁぁぁ!!私にも名乗らせるにゃあぉぁ!!」
「そんだけにゃあにゃあ言ってりゃ嫌でも分かるわっ!!」
「にゃんだとおっ!せっかく妖怪アニメで勉強してきたのに!!」
「アホか!むしろ逆効果だそれ!!」
「しゃあぁぉっ!」
鋭くとがった爪を俺に向け小夜が威嚇してくる。
思わずこいつと張り合ったせいか、先程までの緊張は無い。
「はあはあ……で、で?あんたらまじで……?」
「ええ、貴方達人間の言う、妖、妖怪と言われる者です……」
逢魔が抑揚のない冷たい声で返してきた。
まじか……信じられない光景だが……あいや、一部を除いてだが……。
妖怪……そんなの漫画やアニメだけの話だろ……認めたくない気持ちと目の前で見せつけられた現実に、座ったままだというのに目眩を覚える。
「今から千年以上も前の話です……」
そんな俺を置いてけぼりにし、逢魔が話を続ける。
「人と妖は、互いの領域を犯さず、一定の距離をとって共存していました。しかし、人間の間で戦が起こり、その戦に妖が加担するのを恐れた時の帝は、我ら妖を滅しようと目論んだのです」
千年?戦?
昔は妖怪と人間が共に暮らしてたって言うのか?
「戦は妖を交えて更に激化の一途を辿りました。都各地の都は滅び、またそれと同時に妖もその数を減らしていきました。そして世に新しい帝が誕生した時の事です、人間と妖との間に和平が持ち掛けられたのです」
「和平?」
問いかける俺に逢魔が頷き返す。
「はい……人の世に妖が住める場所を提供し、人間との関わりを断ち、互いに干渉せぬように暮らす事。そしてまた、その禁を破らぬよう、帝から命を受けた人間の代表が、その掟を管理し、守る事……そしてそれは今もなお、脈絡と受け継がれ続いているのです」
「管理……守る……そんな人間がいるのか?」
「居ます……それが貴方の祖父、豹馬様、そしてそのご子息だった雅隆様です。それこそが藤堂家の裏の顔……妖怪ノ守り人」
「妖怪ノ……守り人……」
そう呟くように言った俺に、逢魔は眼鏡の付け根をクイと上げながら言った。
「ええ……玲二殿、貴方にはこの妖怪ノ守り人として、この地を収めてもらいます……」
「えっ?えええええっ!?」
額に汗が滲み、頬を伝って畳の上にポタリと落ちた。
──キキキキキキキ
ひぐらしの鳴き声が、まるで今の俺を嘲笑うかのように、何時までも鳴り響いていた。
妖怪ノ守り人 コオリノ @koorino
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