【KAC20229】猫の手

井澤文明

猫の手を借りた結果

「猫の手が手に入ったんだ、いるかい?」


 インド旅行から戻ってきた職場の上司が急にそう言うと、えんじ色の質素な細長い箱を僕の机の上に置いた。


「猫の手? 孫の手みたいなものですか?」

「いや、どちらかと言うと、猿の手のパロディみたいなお土産品だと思うよ。持ち主の願いを三つ叶えてくれるんだ」


 『猿の手』───童話のパロディホラー短編で、魔力のこもった猿の手という持ち主の願いをなんでも三つ叶えるが、願ったものの望まぬ形で叶うと言われる呪いのアイテム。


「なんで猿じゃなくて猫なんですか?」

「さあ、それは私も分からない」


 上司は肩をすくめる。


「でも、お土産ありがとうございます。怖いので願い事は頼まないでしょうけど」

「ははは、だよねー。私もちょっと怖いよ」


 上司はきっと、僕が大の猫好きだと知っていて、このお土産を選んだのだろう。他にもっとなかったのかとツッコミたくなるが、頂いたものなので文句は言えない。僕は箱を開ける。

 ホラー短編『猿の手』に登場した猿の手は、ミイラ化した猿の手が描かれていたが、僕がもらった猫の手も同様に、スフィンクスのような毛の生えていない乾涸びた、ミイラ化した猫の足のような物だった。だが、本物の猫のミイラは見たことがないため、本物かどうかの判断はできない。


「うわ、それ松田さんのインド土産? 気味悪いなー」


 猫の手を眺めていると、後ろから同僚の上野が覗いてきた。


「猿の手のパロディらしいよ」

「猿の手? ああ、あの願いを叶えるアイテムだっけ」

「そうそう、これも持ち主の願いを三つ叶えてくれるんだってさ」


 僕がそう説明するや否や、同僚の目が輝き始めた。


「それさ、借りていい?」

「は?」


 同僚は箱に収められた猫の手を指差す。

 猿の手の話を知っているのに、なぜ借りようとするのだろう。


「今月、ちょっと金がヤバくてさー。彼女とのデートが多くって」

「自業自得だろ」

「彼女と別れるかも危機があったんだよ。仕方ないだろ。なあ、ちょっとだけでいいから」


 同僚は腰を低くし、両手を顔の前で合わせて懇願した。情に弱い僕は、少し躊躇ったものの、結局それを同僚に貸してしまった。


「本当に願いが叶うとは限らないからな!」

「分かってるって。ありがとうなー」


 同僚は嬉しそうに箱を抱え、そのまま去っていった。僕は何事も起きずに事が終わるのを願うしかできなかった。

 だが、嫌な予感は当たってしまったらしい。

 彼はその後、しばらくして姿を眩ましてしまったのだ。なんでも金銭トラブルを抱えていたようで、その上ギャンブルにハマっていたらしい。

 猫の手を借りたのは、ラッキーアイテムとして使うためだったのかもしれない。本人から直接答えは返ってこないので、憶測でしかないが。


「災難だよねー。上野くんが失踪したおかげで、こっちは最近ずっと休みはないよ。それに、君は結局返してもらってないんでしょ? お土産の猫の手」

「ええ、まあ、でも渡してしまった自分にも責任はあるので……」


 頭を掻く僕に、上司は年々皺が深くなる顔を歪める。


「上野くんにも、君から借りた物を返す責任があるよ。それに、自分の問題をジョークグッズで、しかも上司からのお土産で解決しようと一瞬でも思って実行した彼の方が余程悪い。君は何も悪くない」


 そして上司は、にこりと微笑む。

 上司の松田さんは、いつもこんな感じで温かくて、優しくて、本当に理想の上司だなと改めて思わされる。お土産選びのセンスが壊滅的なのが欠点だが。


「ありがとうございます」


 上司はチャイを啜り、言葉を続けた。


「『猿の手』の教訓が何にかは忘れちゃったけど、今回の猫の手事件の教訓は、物や他人に頼るだけで問題は解決しない。自力で行動しないといけないよ、って所かなー」

「そうですね。猫の手が本物だったとしても、代償なしで願いを叶えられるほど、世の中甘くないですし」

「ははは、その通りだね」


 僕は上司と一緒にインド土産のチャイを啜り、行方知れずの同僚少しだけ想いを馳せたのだった。

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