ねこ転生!! にゃん☆にゃん

Aiinegruth

にゃん☆にゃん


 

 雨が降っている。

 トラックの走り去る音だけが、耳に残っている。


 ・・・・・・


 あたしは異世界転生したらしい。というのも、豪華絢爛な中世ヨーロッパ風の城塞都市のど真ん中で倒れていて、こちらを覗き込む、ヘソが出るほど丈の短い上着の銀髪女に、「あなたは異世界転生しました」と言われたからだ。

「いや異世界転生っていきなりなに?」

「ある世界で死んだひとは、別の世界に転生するんです。世界番号08番―完新世地球―出身でしょあなた。同郷が案内するルールだから、三年目になるわたし、アメリア・ローエンバーグが導いてあげます。どうやったか死んだ記憶は?」

「死んだ記憶とか、あるわけ――」

 いや、ある。雨の降る夜の道路、たしか、大学からの帰りが遅くなって疲労で一杯だったときだ。大きいトラックが走ってきて、ドンという衝突音がした気がする。曖昧ながら事情を説明すると、転生から時間が経つに従って記憶は薄れていきますが、とか口に出していたへそ出し銀髪女は、ぶふっと吹き出した。

「あんた笑ったわね」

「いや、ごめんなさい。人の死因を……っ、でも、いまどきっ、トラックに轢かれるとかありますっ? ぶふっ、」

 この野郎。野郎じゃなくてもこのヤロウ。あたしはどうにも死んで異世界に来たらしいのに、悲しみとか絶望とかより先に怒りが勝った。おうおうおう。あたしは目の前の気取った女の貧相な胸倉を掴みかからんという勢いだったがやめた。あたしはもう21歳だ。せいぜい頑張って高校生卒業くらいにしかみえないこの失礼とは余裕が違う。ちょっと似た雰囲気はあるが、容姿なんかもあたしの方が優れている。鏡とかあんまり見ないけどきっと。

「じゃぁステータスオープンっていって、薄く眼前に描画された板に触れましょう。あなたの新しい名前も、魔力ステータスも与えられていますから!」

 とても優しいあたしは、アメリアのいうとおり、いってやった。ステータスオープン。しかし、板に触れるのは待つ。まず、あたしのステータスとやらが描画されて名前とか数値とかおかしなものが出る前に説教してやるべきことがある。

「にゃ」

 足を一歩踏み出した瞬間、その声は足元から聞こえた。猫だ。立ち上がったあたしの脚の間に、何か茶色が濃い猫がいる。反応する間もなかった。奴は、キラキラしたあたしの眼前の空間に飛び上がって猫パンチを食らわせる。すると、どうなるか。


 新名称 パエリア5,000%off

 基礎魔力  120,000


「猫が触れたのでエラーで名前がバグってますね」

「はぁ!???」

「あなたは今日からパエリア5,000%offさんです」

 そんなふざけたことがあるか。トラックに轢かれたってだけでも結構な理不尽になっているのに、めっちゃ安いどころか50倍返金されそうな炊き込み料理にされてたまるか。あたしはもう怒りにまかせて猫を探したが、やつはさっと視線から逃れるばかりで、代わりに別のものが映り込んで来た。チンピラだ。道路脇で、何やら三人くらいのチンピラが、一人の女の子を取り囲んでいる。少なくとも女の子は迷惑している様子だ。

「アメリアとかいう失礼ヤロウ、あたしの基礎魔力は高いのか?」

「魔力値は2,000が平均とされているから、あなたのは異常といえるほど高いです。たまに不幸にも生を全うできなかった人が特別な待遇を受けることもあるけど、5,000%offさん、あなたもかしら」

「せめてパエリアと呼べ」

 ともかく、あたしはここでは優れた力を持つらしい。元の生活の話は、もういまはいい。男どもめ、虫の居場所の悪いあたしに目を付けられたのが運の尽きだ。初歩的な力の使い方は、教えられなくてもすっと頭に入っていた。短い杖を虚空から抜き取る。さあ、常人の60倍の圧倒的魔法を見るがいい。

「おい、お前たち、そこまでだ」

 颯爽と奴らと少女の間に分け入り、手を男どもに向ける。火の魔法で燃やしてやろうか、氷の魔法で彫像にしてやろうか。威容を示すために、山ほどあるらしい魔力を垂れ流す。自慢のポニーテールもくいっと上がっている感覚。あたしの顔面がどれほどおぞましい有り様になっているかは定かではないが、男たちは圧力に負けて舌打ちしながら退散した。ふっ、命拾いしたな。あともう少しで要らぬ暴力を振るうところだった。平和第一。

「あ、無事だった。ごめんなさいパエリアさん、よく見たらあなたの基礎魔力、バグで3進数になってたみたいで、」

 ふっ、命拾いしたな。ふっ、ええと、405。

「ああっ、パエリアさん!? 5,000%offさん!???」

 冴える頭で悟って、常人の五分の1くらいしかない魔力を一瞬で切らしたあたしは倒れた。あと心痛とかも理由だと思う。


「あなたはまだ死んでないみたいですね。だから、魔力が少ないんですよ」

「ああ、何となく分かったよ。猫にもお前にも触れられない」

 翌朝、街のカフェで朝飯を摂っていると、アメリアがいった。あたしに付きまとって来るクソ猫を何回か三味線にしてやろうと試みたが、触れないのでどうしようもない。目の前でパエリアを食っている銀髪女もそうだ。食うな、パエリアを。

「この世界で功績を残したものには特別好きな場所、時代に転生できる権利が与えられるのに、あなたには無意味みたいですね。ステータスにも帰還猶予が出てるみたいですし」

 毎秒5億円欲しいとか、スリーサイズとか、あたしの願望と個人情報をばら撒きながら、穿いているぱんつの色に明滅したり、好きだったタレントのサインを偽表示したり、いまはなき通販サイトの夢のような値引きを描画したり、ステータス画面は常にあたしの想い、もとい願望でクソふざけ散らかしていた。ボブとキャサリンがBL同人誌の品評会を始めたときはこの世の終わりかとさえ思った。そのなかにある唯一のちゃんとした数値が、帰還猶予だった。あと四日ある。

「この猫に芸を仕込んでやる」

 残された短い期間のなか、あたしはやる気だった。このいままでマイナス以外の何ものでもなかったストーカー獣をどうにかこうにかしてやる。実のところ、転生から一〇日くらい女に紹介された店番その他のバイトとかをしていたが、ほとんどコイツのエサ代に消えた。せっかく異世界に来たのだから、そこにしかないレアなものを手に入れないと割に合わない。これでは、死にかけてこき下ろされて帰ってくるだけになってしまう。仮に持って帰れなかったとしても、何かしら手に入れたという意識が大切なのだ。

 この猫の手をもう一回借りた挑戦は、大成功を収めた。この世界では猫自体が珍しく、拍手に合わせてバク転を決める個体などいようはずがなかった。会得したのは二日目、バイト先の洋食屋で披露したのが三日目だ。本気で特訓した甲斐があり、お客さんにはバカ受けだったが、よく考えたら固定給だったので普通に儲けは増えなかった。その代わり、猫とあたしの間には、深い思い出が刻まれた。

 そうしているうちに、あたしはだんだんと思い出してきた。元の世界のことを。あたしがここにきた原因のことを。帰還の日の朝、アメリアも、猫も、何処にもいなくなっていた。頬が冷たいまま、走る。朝がきたばかりの閑散とした街のなか、噴水公園の向かいに一匹と一人の影を見つけると、あたしは、ステータスを開いた。


 パエリア5,000%off 帰還猶予二分

 あんた、もしかして気付いてたんじゃないの?

 何で話してくれなかったの。 


 アメリア・ローエンバーグ

 確信を持ったのは、一日前です。

 あなたのバグにあてられて、偶然はっきり思い出しました。

 最後は会わずにいようと思っていたのに、見つかっては仕方ないですね。


 猫が、彼女のステータス画面を叩き、バグを表示させる。あたしたちは、お互いもう声が出なかった。あたしの頬も、銀色の髪の彼女の頬も、酷く濡れていて、喉は焼け付くように痛い。昨日の夜から、ずっと泣いていたからだ。


 パエ守ア5,of合 帰還猶予一分

 髪を染めるのも、服を選ぶのも、自分で?


 古ア、・陽bーグ

 うん、一回くらいやってみたかったんだよね。

 本当は、色々とお揃いのやつが良かったけど。

 時間もないので、最後に一言くれますか。


 画面には、もはやまともな表記はない。異世界の街が朝の賑やかさを取り戻すなか、小さな文字表記があたしたちをつなぐ。


 古守こもり 小百合さゆり 帰還猶予零分

 またね、彩菜あやな。それと、メカブ。


 古守こもり 彩菜あやな

 ばかお姉ちゃん。  にゃ。


 ・・・・・・

 

 ブレーキ音さえなくて、間に合わなかった。数秒前にトラックに轢かれた三毛猫の亡骸を抱えたあたしは、雨の打ち付ける歩道で泣いていた。この子は、メカブは、彩菜あやなのことが大好きだった。3年前に病気がちでほとんど寝たきりで過ごしていた彼女がなくなってからも、まれにその面影を探しに家を抜け出た。気を付けておくべきだった。新歓で飲み過ぎてフラフラだったあたしは、何もかも遅すぎた。

「トラックに轢かれて異世界転生とか、そんなことあるかよ……」

 笑えない。どうやっても。視界がぐらつくのは、酒のせいではなかった。三月はまだ寒い。冷たく濡れた地面に身体を預け、あたしは嘔吐を繰り返しながら、じっと時が過ぎるのを待った。親と警察が迎えに来るまで、死と雨と夜だけが傍にあった。


 そうしてあたしだけが大人になった。口調を私に変えて、乱暴な言葉遣いは正した。社会人生活は上手くはいかなかったが、致命的な失敗もなかった。少しずつ成長しているはずなのに、逃れられない空虚さが私のなかにあった。卑近の二六歳の誕生日も、500ミリのビールを二本余計に開けただけだ。


 ただ、そんなある日、かかってきた。

 小学校来の友人から、一本の電話が。


「あんたいま実家暮らしだし、昔飼ってたじゃん? この間生まれた子猫たち、どっちかでいいからを引き取ってほしんだよね。片方は大人しい銀色の毛の子なんだけど、もう片方がウケるのよ、何か拍手するとバク転しちゃって――」

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