第7話 ウィルニア

呆れた話である。

ウィルニアはこのとき、トーガを着ていた。

そう、絵姿に登場するあの格好である。


もともと、魔道学院の院生や教授たちがこの時代に好んでしていた格好だった。

ウィルニアは、講義に出席するときも、自分が講師として講壇に立つときも、食事をするときも、研究をするときも、眠るときもぜんぶこれで済ましていた。


もちろん、何着か着替えをもっていて洗濯はしていたが。


「魔素過敏症、魔法陣、迷宮構築、転生、魂縛分離・・・・ああ、やりたいことは山のようにあるのに。」


机の上は、読みかけの本、書きかけのノート。作りかけの魔道具が散らばっている。

頬杖をついたまま、財布代わりの革袋を逆さにすると、金貨と銀貨がこぼれ落ちた。

枚数はあわせて20枚はある。


一家5人が、そこそこの家に住み、一月はらくに暮らせる金額である。


ウィルニアは、住むところは学生寮。食べるだけなら学校の食堂が使えるので、そちらには金はかからない。

それ以外のもの。例えば研究材料にしたいから千年以上の古竜の逆鱗をもってきてくれ、などというと今度は、こんな金額ではとても足りないのだ。


バタバタと階段を駆け上がる音がして、ノックもなく、ドアがバタンと開かれた。


「ウィルニア、助けてほしいの。」


学校を卒業して以来だから、丸一年以上会っていないはずだったが、相変わらずうるさくて、遠慮を知らず、華やかで、ずうずうしく、マルカはちっとも変わっていなった。


「はい」

とウィルニアは頷いて、呪文を唱えた。


マルカの首を巻いていた金属の糸が白く凍りつき、くだけた。


「終わりました。どうぞ」

お帰りください、と言いかけたのだが、マルカはウィルニアの手を握りしめて叫んだ。


「ウィルニア、聞いてるでしょ。わたし、婚約破棄されたの!

家も追い出されて、それで仕返ししようと思って殺し屋を雇ったら、むこうも殺し屋を雇ってて。」


すごく自業自得な話だ。とウィルニアは思った。

うん、これ以上、自業自得な話も珍しい。


「霞刃使いのことでしたら、もう糸は切りましたから。」

熱が出たからもう死んじゃう、と叫ぶ女児に言い聞かせる口調で、ウィルニアは続けた。

「あとは、殺し屋さんに依頼を取り下げてもらって。

それを材料にむこうにも殺し屋を引き下げてもらうように交渉しましょう。」


「そんなこと出来るわけがないじゃないっ!」


「でもまず、あなたの依頼を取り下げないと話の持っていきようがありませんよ、マルカ先輩。」


「だって、だって、だって。」

涙ぐみながら、マルカは唇を尖らせた。

「むこうから、仕掛けてきたのよ。わたし、怖かったんだから。」


「マルカ先輩のやとった殺し屋って?」


「『紅玉の瞳』っていうところよ。最初に雇った人はあっさり返り討ちにあって。

今度は、吸血鬼が担当になったの。とっても怖い。」


「怖いですか?」


「だって、吸血鬼よ、人間じゃないのよ、バケモノなのよっ。」


「髪は黒のショートで、コートにサングラスをが似合うけっこう美人の?」


「・・・え。知ってるの。」


「後ろに立ってる。」


マルカが悲鳴をあげなかったのは、あるいは上げたのだけれど人間の可聴音域をこえていたのかもしれない。


口をパクパクさせたまま、固まったマルカをウィルニアはゆっくりと横にどけた。


マルカはバケモノよばわりしたが、ウィルニアはそうは思わない。

もちろん、飢えていれば話は別だが、目の前の少女は、血色も悪くなく、落ち着いて見えた。

化粧をしていない顔は、中性的にも見えたが、前をはだけたコートの下のニットを膨らみが押し上げている。

全体には、筋肉質でスラリとしている。


「吸血鬼ってのは、招かれなければ入室することができなかったんじゃなかったかな。」


吸血鬼はサングラスをずらして、ウィルニアを見た。

瞳の色は、深い海の色。

笑った口元に牙は見えなかった。


「わたしは真祖なので」


ウィルニアは気を失いかけたマルカを支えて、デスクの隣のベッドに寝かせた。

人間は簡単に死ぬのだ。転んだときに打ちどころが悪かった、それだけでも。


「いま、彼女から相談を受けていたんですが」

話がわからぬ相手ではない、と見て取ったウィルニアは一応、話してみた。


契約は解除してほしい。

もともと、殺すの殺されるのといったあら事とは無縁の生活を送ってきた。

婚約破棄のショックで気が動転していたのだろう。違約金を払ってキャンセルすることは出来ないだろうか。


答えはNoだった。


「我々は、この娘自身を担保に依頼を承知した。

もし、依頼をキャンセルするなら同等以上のものを用意して、まず担保を解除することからはじめるのだな。」

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