第3話 見えない刃

「紅玉の瞳」亭のドアをあけると、あたりは濃い霧で閉ざされていた。

この時間に濃霧は珍しい。


「姉御が呼んだんですかい?」


「目くらまし、くらいにはなるだろう。こっちには足手まといもいることだし。」


「紅玉の瞳の殺戮者どもに告げる。」


声は、霧の中を陰々と響いた。

居場所はわからない。


「我々は、おまえたちと敵対するつもりはない。連れている女をおいてここを立ち去れ。」


「残念ながら、本人が自分を我々への報酬にあてたのでな。報酬を持ち去られてしまうわけにはいかないんだ。」


濃い霧がゆっくりとリンドたちをつつむ。

その動きに合わせるようにして、ヤッカが姿を消した。


「その女は、エゼルハセック商会の会頭のご令嬢の命を狙った。

どのような事情があるにせよ、許されるものではない。その身柄はわたしたちが預かり、正当な処罰を受けさせる。」


「“わたしたち”とは、どなたか、な?」


「それを聞いてしまえば、おまえたちを無事に帰すわけにはいかなるなるが。」


「わたしを暴漢どもに襲わせたのはそちらでしょう!」

マルカが奮然として叫んだ。


「証拠があるかね?

・・・よいだろう。法廷でそのように主張したまえ。


うまくすれば、極刑は免れるだろう。うまく立ち回れば記憶消去のうえ、平凡で慎ましやかな人生が送れるかもしれない。」


「・・・ざけるな。」


血を吐くような声で、マルカがつぶやいた。


「ふざけるなあぁあああああっ!

わたしの夢を、わたしの恋を、わたしの人生を奪って、さらに命まで狙い、それを裁判だとっ。

どうせ、裁判官にも商会の金がまわっているんだろうっ。」


「ああ、これはいけない。どうもこのお嬢さんは、精神のバランスを失っているようだ。

こちらで保護し、安静にさせましょう。」


しばらく沈黙が流れ・・・・


「・・・・どうした? マルカを確保しろっ! おい・・・なにをしている?」


「お仲間はあなたを除いて6名。」


リンドは嫌味ったらしく深々と礼をしてみせた。


「無駄話につきあっていただいてありがとう。

あなた以外はすべて処分した。わたしたちは仕事が早いのでね。」


濃霧はリンドが呼んだものだったが、たとえばそれをそのまま己の結界にできるほどの技量は、彼女にはない。

濃い霧は、リンドの視界をも妨げたが、そうでないものもいる。


たとえば、側溝に生息する虫や、壁をつたうヤモリ、地面を駆け回るネズミなど、だ。

そういうものを「魅了」することは、リンドには容易いことだったし、彼らを駆使して隠れた刺客たちの居場所を検知することもできた。

あとは、念話でヤッカに情報を伝えれば。


「おまえひとりを残したのは、おまえたちについての情報を聞き出すためだ。」

リンドは、サングラスを外す。


ネズミたちからも最後のひとりの情報は入ってこない。

リンドもそいつを見つけることができなかった。だが、リンドからそいつが見えなくてもそいつがリンドを見てしまえばそれで充分。


「さあ、話しておくれ。おまえたちは何者だい?

どこから来たなんという組織だい?


厄介な技を使いうやつがいるそうじゃないか? そいつがボスかい?」


「ふ、ふざけるなっ」

街灯の影から痩せた人影がよろよろと現れた。

いくら痩せているといっても街灯に隠れられるわけもないから、なんらかの術師なのだろう。

「我らは、栄光たるランゴバルドの『銀月騎士団』。その誇りにかけて、きさまに話すことなどひとつもない!

きさまも、また我らのリーダー、バルト隊長の霞刃の前に、バラバラに切断されて息絶えるのだ。」


次の瞬間。


なおも語ろうとした男の首が落ちた。


続いて、両手も。足も。胴も。

達人の振るう一刀に立たれたかのような鮮やかな切口。


霧の中に赤いしぶきが踊る。


リンドは顔をしかめた。

血の匂いは・・・嫌いではないが、無駄に流れてしまうのには抵抗を感じる。


霧がわずかにゆらぐ。

リンドは、マルカの肩を抱いて、地に伏せた。


いままで、彼女たちの頭があったあたりを。

なにかが通り抜け。


マルカが、きゃっと声をあげかけた。

目の前に落ちたのは、店の看板だ。


木製の板の周りを青銅の枠で覆ったものだったが、見事に断ち切れている。


マルカを突き飛ばしたリンドの左腕が、切断された。

宙にとんだその腕を右手でキャッチしながら、リンドは立ち上がる。


見えない刃は、今度はリンドの首筋から斜めにはいり、肩甲骨と胸骨、背骨、肺、を切断して、脇腹に抜けた。

ずるり。

と、リンドは体がずれるのを感じる。

残った手をまわして、かろうじて食い止めたため、上半身だけが地面に落ちる、というみっともないことになるのだけはふせいだ。


しかし、脳からの司令を受けることのなくなった下半身は、立っているのも難しく、結局は、地面に転がらざるをえなかったのだったが。

そのまま、リンドは回復を急ぐ。

傷口が鮮やかなのはかえって接合がしやすい。



霧の中を踊る影は、ヤッカだ。

見えない刃物の攻撃を、わずかな空気のゆらぎ、とおそらくはカン、で躱している。


「ちくしょう!」

ヤッカが叫んだ。

「どこから攻撃してやがる!」


かれが振り回したのは、鉄の棒だった。

そこに、見えない斬撃がぶつかり、止まったのは偶然であったのだろう。


「な、なに・・・・こりゃあ・・・糸?」


棒に食い込んだそれを、ながめたのも一瞬。

糸のつながる方向にむけて、目一杯吸い込んだ息を吐き出す。


吐き出した息は、甲冑をつけた武者の姿になり、大太刀を振り上げて、濃霧を割って糸の持ち主に殺到した。


「援護するか。」


自らの流した血溜まりから身を起こしたリンドは、右手を振り上げ・・・振り下ろす。

これは、左手でよく行う技だったのだが、正直、左手の接合具合に自信がなかったのだ。


振り下ろした瞬間に左腕がすっとんでいくカッコ悪さを想像して、リンドは身震いをした。


右手の一閃が生み出したのは、カマの形をした真紅の光弾。

あたれば大型獣でも両断し、倒す力があるが、射出後のコントロールはきかない。


形成後に自らの意思で、判断ができるヤッカの精霊召喚とはわけが違う。


果たして。

真紅の光弾は、街灯の一本をむなしく破損して消滅した。


ヤッカの精霊獣は、霧の中をしばらく敵を探して動き回っていたがそのまま姿を消した。


「姐御! 大丈夫ですか?」


ヤッカは、右側だけが半袖、半ズボンになったスーツで、リンドに駆け寄った。


「もう、ついた。」


こちらは、もとがコートと称するボロ布をひっかけているだけだったから、ヤッカの格好を揶揄することも出来ない。

体が両断されたとき、服だけ例外、というわけにはいかなかったのだ。


ちなみにからだに残った布切れも血まみれである。自分の血なので汚がってもしかたないのだが、これでは人通りの多いところを歩くのは無理だった。


「まずは着替えだ。

情報を整理する必要もある。捕まれ。飛ぶぞ。」


「え、と、飛ぶって。」


「言葉通りの意味だ。手を離すなよ。」

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