第57話 決着
「あと少しだ!」
俺とディエスは、アンゴル大峡谷のもう片方の端まで後一歩のところに来ていた。
魔界の入り口はほぼ閉じられ、魔物の流入は食い止められた。
残すはササPの帰還だけだ!
「いや、問題はあと一刺しをどうするかだ」
あ、そうか。
魔界の入り口の大きさは、今ササP——クレアが通れるくらいだ。
それはすなわち、この大きさなら魔王も通れるということだ。
この場合の大きさは結界の時と同様で、通り抜けるもの自体の大きさではなく、保持する魔力の大きさだ。
ササPが魔界から脱出しようとすれば、絶対にヤツは後を追ってくるだろう。
再び魔王を地上に降り立たせるわけにはいかない。
「クレア嬢は、フィリアが通れるくらい入り口を残してくれと言っていた。この場合のフィリアは、今の魔剣の状態ではなく人型のことだろう」
ディエスはそう言いながら、顎に手を当てて思案する。
確かに。
今の魔剣状態の俺の魔力量は、体感としてディエスやクレアに匹敵するだろう。
しかしササPの指示どおり後一刺しして、最弱魔力の人型状態のフィリアが通れる程度に穴を狭めてしまえば、ササPの帰還は難しくなる。
一体どうすれば良いんだ!?
時間は限られているのに、ここに来て俺たちは究極の選択に悩まされている!
まずササPの指示が変じゃないか?
俺——フィリアがこれからずっと今の魔剣状態のままなら、例えとして人型状態を出すのはおかしい。
それだとまるで、剣から人型に戻れるようじゃないか。
———いや、戻れるのか?
フィリアは、どうしてあの時戻れたんだ?
「フィリア?」
ディエスが、彼にしては怪訝な表情で俺を見る。
「フィリアお嬢様ー!」
その時、カロルの馬に同乗して、メイドのリトがこちらに駆けて来るのが見えた。
良かった! 今まで姿が見えなくて心配してたけど、二人とも無事だったんだ。
「先程ノクス殿下に現状をお聞きしました。事が終わりましたら、お嬢様にこれを」
リトはディエスに向かって話し掛けながらも、視線は魔剣の俺に注いでいる。
「これは?」
「お嬢様の魔具の杖です。お嬢様以上の魔力を感知すると、防犯装置が作動して触れたものの魔力を吸います。ディエス殿下は決して触らぬように」
……………………………………そうか。
分かったぞ、そういうことか!
ササPの意図を俺は今、ハッキリと理解した。
俺はササPの作戦を、思考でそのままディエスに伝える。
ディエスは俺の考えを理解すると、
「ノクス先生! 残りの入り口を結界で封じることは可能か?」
と、早速確認を取った。
「ああ、この程度なら容易いことだ。もともとアンゴル大峡谷の結界自体を張り直すつもりだったからな。しかし何故そんなことを聞く?」
「この一刺しを最後に、フィリアを魔剣から元に戻すからだ」
「えっ」
有言実行。
ディエスは最後の一刺しで穴を限界まで閉じ、魔王の侵入の可能性を封じた。
ここから後は時間との勝負だ!
「リト! 杖をフィリアの身体に!」
「はい!」
ディエスの呼びかけにリトがすぐさま応え、魔具の杖を俺の身体に当てる。
すうっと、杖の魔石から魔力が吸い込まれていくのが分かる。
……………………そうだ。この身体が覚えている。
あの時も、こうやって、ウィルガが———
「フィリア!」
「お嬢様!」
———ディエスとリトの声が聞こえた。
ぐらりと視界が揺れ、一瞬、自分がどこにいて何をしていたか分からなくなった。
「お嬢様、私の声が分かりますか? お嬢様!」
誰かに手を握られ、強く身体を揺さぶられている。
頭がグラグラするから、そんなに揺らさないで欲しい。
手だって、あんまり強く握るもんだから、俺の掌に相手の爪が食い込んで痛———ん?
俺は今度こそしっかりと目を見開いた。
視界にはどことなくホッとした顔のディエスと、必死な形相のリトがいる。
「ディエス、殿下……リト………」
声が出た。
やや掠れているけれど俺の、フィリアの声だ。
「どこか痛いところはございませんか? お嬢様。ああ! 急に立ち上がろうとしない!」
「別に……どこも痛くは……リト、私の手を強く握り過ぎですわ」
「あ、失礼しました」
両手を目の前に翳してみる。
まだ少し動きがギクシャクするけれど、苦痛はない。
着ていた服も元のままで、ディエスに貰った髪飾りも、しっかりと頭の上に着いている。
俺は——『ノーティオの遺物』の魔剣から、最弱悪役令嬢フィリア・メンブルムに戻れたんだ!
しかし喜びに浸っている暇はない、俺は二人に向き直る。
「リト、杖を私に。私が上半身だけ魔界に身体を突っ込んで、クレアさんを救出します。殿下は私が落ちないように、後ろから支えて下さいまし」
「分かった。ノクス先生、クレア嬢を救出後、直ぐに穴を結界で封印する準備を!」
「こちらはいつでも大丈夫だ」
これで最後の準備は整った。
俺が緊張で早まる鼓動を落ち着かせようとしていると、そっとリトに手を握られた。
先程握りしめられた時とは違って、それは包み込むような、まるで祈るような仕草だった。
「お気をつけて」
そのたった一言に彼女の祈りが込められている。
「必ずクレアさんを連れてきますわ」
俺も短い言葉でそれに応えた。
「殿下、後ろお願いします」
「ああ、絶対落とさないから安心して良い」
「それは頼もしいことですわ」
俺は強がって笑顔を作ると、今は僅かばかり残った魔界への入り口に、思い切って上半身を突っ込んだ。
同時に背後からディエスが、落っこちないように俺の腰をガッチリ掴むのを感じた。
「クレアさん!!」
俺は魔界の地上に向かって、あらん限りの声で叫んだ。
俺が上半身を出したのは、魔界の上空に当たる部分だ。
魔界の地上から眺めれば、空から上半身だけの俺が浮かんでいるという、奇異な光景に見えるだろう。
如才ないササPのことだから、入り口の消滅と連動して移動しているんじゃないかと思い真下を見れば、果たして交戦中のササPと魔王を見つけた。
ササPも俺にすぐ気が付いて、ニヤリと笑う。
「待ちくたびれたよ、フィリア様!」
言いながらも魔王の攻撃を交わし、拳をヤツの腹に叩き込んだ。
これだけ見るとササPが優勢なようだが、魔王との戦いに無傷というわけにもいかず、腕と腹を爪で抉られたのか痛々しく血が滲み、攻撃も疲労のせいか少し精彩を欠いていた。
「早くこちらに! 脱出します!」
俺が思いっきり手と杖を伸ばすと、ササPも頷いて空中に飛び上がった。
「させるか!!」
当然、激昂し追ってくる魔王。
もう少しで手が届くというところで、容赦のないササPの蹴りが炸裂し、再び魔王を地上に叩き落とした。
「しつこい! こっちはもうお前に用はないんだよ! バーカ!」
よっぽど魔王との戦闘にうんざりしたのか、立てた親指を下に向けて捨て台詞まで吐く様に、ヒロイン要素はカケラもない。
そうこうしているうちに、ササPの手が俺の手を掴んだ!
「早く、クレアさん! この杖に触ってくださいませ!」
「ああ。後は頼んだよ、フィリア様」
「お任せください!」
ササPの手が、杖の魔石に触れる。
魔力を吸われたササPの身体が、ガックリと脱力するのを感じて、俺は彼を掴む手に力を込めた。
「殿下、今です! 早く引き上げてくださいまし!!」
「よし! クレア嬢を落とすなよ!」
「言われなくとも!」
ササP——クレアを魔界に残し、さらに俺まで落っこちるのが最悪のパターンだ。
それだけは何がなんでも避けなくてはならない!
「待て!! 逃さんぞ、お前らぁっ!!」
大きな漆黒の翼を羽ばたかせ、魔王が俺たちに迫り来る。
双眸は怒りのためか赤銅色に輝き、唇は捲れ上がって牙が剥き出しになっている。
その姿はもはや人ではない。人の姿をした魔物だ。
ヤツの手がササPの頭に伸びて、艶やかな黒髪を無造作に掴んだ。
「っ!」
「クレアさん!」
髪を引っ張られる痛みに、ササPの顔が歪む。
俺は魔王を引き剥がそうと、魔具の杖をヤツに突きつけた。
ササP同様魔力を吸ってしまえば弱体化が狙えるかと思ったのだが、俺が甘かった。
「ふんっ!」
「あっ!!」
突きつけた杖を魔王はあっさり払い除け、頼みの綱だった俺の相棒は魔界の底へと落ちて行った。
どうする?
どうしよう。
最後に残った入り口は、俺と力の弱ったササPしか通れない。
ディエスの助けが借りられない以上、俺が何とかするしかない!
———でも、魔王を引き離さない限り、ササPを地上へ引き上げる事は不可能だ。
ドクドクと心臓が早鐘を打ち、眩暈がしそうだ———
「……フィリア様、いや、B君」
こんな時なのに、やけに冷静なササPの声が耳のすぐそばで聞こえた。
「クレア、さん……」
魔王に髪を引きちぎられる痛みに耐えつつも、ササPが内緒話をするように、俺に顔を近づけていた。
「私が一瞬、隙を作る。だから後はB君が何とかして」
「何とかって……」
頼みの杖は落ちてしまった。今の俺は赤子より無力だ。
俺の不安など既にお見通しなように、ササPはいつもより弱々しいが不敵な笑みを浮かべた。
「服が再生してるなら、持ってるはずだよ。君のもう一つの相棒を」
「!!」
そうだ。
今の今まで忘れていた。
あんなにグランスと練習したくせに、馬鹿か俺は!
「よし、じゃあ行けるね。せーのっ!」
掛け声と共に、ササPは片手で俺にしっかり捕まり、もう片方の手でスカートを捲り上げ、太もものベルトに差し込んでいたナイフを取り出した。
そのまま魔王に切りつけるかと思いきや、ヤツに引っ張られていた自分の髪を、ぶつりとナイフで切り落とす!
一瞬、ササPと魔王を繋ぐものが何もなくなった。
同時に、俺は懐から魔銃を取り出し、魔王に狙いを定める。
「今だよ! フィリア様!」
パンッ!! パンッ!! パンッ!!
魔弾は確実に魔王の眉間を撃ち抜いた。
魔王フィデスは驚きの表情を浮かべたまま、地底に落下していく。
「殿下、今です!! 引き上げてくださいませ!!」
「ふんっ!!」
力強い手と腕が、俺とクレアを地上に引き摺り上げてくれた。
「お嬢様! クレアさん!」
すぐさまリトが俺たちに駆け寄り、抱き着いて来た。
それ以上の言葉はなくても、微かに震える彼女の手や潤んだ瞳が、どれだけ俺たちのことを心配してくれていたか伝わる。
俺も、そっとリトの背中を抱きしめた。
「言ったでしょう。必ずクレアさんを連れてくるって」
「はい……はい! お嬢様!」
周りに視線を送ると、ディエスの他にホッとした顔のグランスとメテオラ、涙目のカロル、「良かった、本当に良かった!」と号泣するフェール団長と、彼の涙を拭いてやるノッツェがいた。
「フィリアとクレア嬢の引き上げ時に、彼らも協力してくれたんだ」
ディエスがそう説明してくれる。
成程。ディエスは非力ではないが、行きより帰りの方が力強さと頼もしさを感じていたのは、そういう訳か。
「皆さま、ご協力感謝いたしますわ」
自然と俺の口から感謝の言葉が出た。
和やかな空気が場を包みかけた、その時——
「魔術師を前に! 魔法使いは全員、魔力で結界の強化を! 始めっ!!」
ノクスの号令により、残りの魔界の入り口に結界を張る作業が始まった。
彼らの周りをシルワやラティオが囲い込み、邪魔する魔物を片っ端から片付けている。
そうだ。遠征はまだ終わった訳じゃないんだ。
ゥゴォォォォォォォッッ!!
怒声とも悲鳴ともつかぬ咆哮が、魔界の地の底から聞こえる。
魔王——元賢王フィデス・パルマはノーティオの呪いを抱えたまま、魔物以外は自分しか存在しない世界で生き続ける事になるのだろう。
俺がフィデスに見せられた過去の映像は、あくまで彼の主観だ。
もしノーティオに話を聞けたなら、また別の真実が現れるかもしれない。
親友の恋人を死なせた罪から解放されない限り、フィデスはまた人間たちを呪い、地上に手を伸ばし続けるのか………自業自得ではあるが、俺は少しだけヤツを不憫だと思った。
もちろん、だからと言って魔物の蹂躙を許すつもりはない。
ォォォォォォッッ………ッ………
ノクスの指示の元、結界が形成される。
結界そのものの範囲は小さいが魔力を凝縮した分、分厚く形成されていて、ちょっとやそっとで壊れそうにないほど頑丈だ。
魔界からの怨嗟は小さくなり、やがて風の音に紛れ聞こえなくなった。
「…………やったか」
静寂の中、誰かが呟く。
「……ああ、魔物の侵入はこれで食い止められた」
「そうだ、私たちがやったんだ」
「じゃあ………俺たちの勝利だ!」
呟きは小波のように広がり、それは歓喜の雄叫びに変わる。
「やった! 俺たち勝ったんだ!」
「私たち生きてる……生きて故郷に、アルカ王国に帰ることが出来るんですのね!」
「ああ! 凱旋だ! 胸を張って帰ろう! それだけの偉業を、私たちは成し遂げたんだ!」
「達成感ではしゃぎたくなるのもよく分かる。しかし無事に帰還するまでが遠征だ。皆、気持ちを引き締めて帰るぞ!」
浮き足立つ人々をノクスが先生らしく嗜める。
やっぱりノクス先生は、司令官より教師の方が似合ってるんだよな……。
「私たちも帰ろう。フィリア」
どこからか馬を調達してきたディエスが俺に手を差し伸べる。
周りを見ると既にリトはカロルの馬に、ササPはグランスの馬に同乗して、帰り支度は済ませてあるようだ。
俺はディエスの手を取った。
「殿下がお疲れになったら、手綱は私に任せて下さって構いませんことよ?」
「それは助かる」
彼は口元に笑みを浮かべ、釣られて俺も笑う。
俺の密かな野望——殿下を後ろに乗せて草原を馬で疾走——は、ロケーションこそ思い描いたものと違ったが、意外な所で達成出来そうだ。
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