第58話 最弱悪役令嬢に捧ぐ

 アルカ王国への帰路は、メテオラ率いるグラキエス騎士団も同行することになった。


 理由は二つあって、魔界から溢れた魔物たちが魔王の指示に従いアルカ王国へ進軍し、グラキエス王国に被害はなかったことが一つ。

 もう一つの理由が切実で、両国騎士団が分散しての帰還の方が危険を伴うからだ。


 魔界に戻れなくなった魔物たちは、一旦は散り散りに逃げたかに見えた。

 しかし後日、奴らは集団になって俺たちに襲いかかって来た。

 結界が破れた直後より少ないが、その数は初日から有に百は超えていた。

 騎士団員たちに敵わないと見るや魔物たちは逃げ去るが、後日、規模を大きくして再度襲撃しに来る。それが厄介なところだ。


 両国の話し合いの結果、下手に戦力分散させるより、グラキエス騎士団員たちも一旦アルカ王国に入国した後、祖国へ戻るルートを取る事となった。



 ———そして一月後。


「見てみろ、フィリア。壁門が見えてきたぞ!」


 外で警護に当たっていたカロルが、幌馬車の中の俺に声を掛けてきた。

 俺の役目は往路同様、負傷者を治癒魔法で治すことだ。

 ラティオ先生の功績が大きいが、幸いな事に復路で死者は出ていない。


「はー、おっきいねー。来る時は飛行船だったから、上からしか見られなかったんだよね。へえ……こうなってたんだ」


 往路との明確な違いは、ササP——クレアの存在だ。

 馬を幌馬車と並走させながら、巨大な壁門を興味深げに見上げている。


 魔力を俺レベルまで吸われたのに三日と経たず回復し、以降は騎士団員に混じって一騎当千の活躍を見せている。さすが乙女ゲーヒロインであり主人公だ。

 ざっくりナイフで切った髪は、ラティオ先生の手によって短く切り揃えられ、クレアの新たな魅力を引き出している。

 最初は「ロングの方が良かったー」とかブー垂れてたササPだが、女子からの評判がすこぶる良かったらしく、今では満更でもなさそうだ。

 外見は完璧美少女だが、やっぱり中身はチョロいオッサンである。


「やはりここも無傷ではいられませんでしたね……」


 カロルやササPと同じく、並走していたグランスが痛ましそうな視線を向ける。

 そうなのだ。

 壁門の圧倒される佇まいは変わらないが、その壁には魔物との激しい戦闘の跡が至る所に残っている。


 壁に飛び散った、人か魔物のものか分からない血痕。攻撃による壁の一部損壊。今すぐ崩壊する心配はないだろうが、この分厚い壁にもヒビが入っている。


 ———と、前方で歓声が沸き起こった。

 前衛の部隊——ディエスやメテオラ、ノクスたちが壁門を越え、アルカ王国に到着したのだ。

 歓声は徐々に俺たちのいる後方まで聞こえてきた。


「お帰りなさい!」

「我らが英雄の帰還だ!」

「あなた達はアルカ王国の誇りだよ!」

「良かった、無事に帰ってきてくれて、本当に良かった!」


 迎えてくれた人々の中には、騎士団員の家族もいるのだろう。

 歓声の中に時折啜り泣く声が聞こえてきた。


 人々の列と喜びの声は王都に入っても長く続き、俺たちが王城に到着するまで途切れることはなかった。



 パルマ王城に到着してからも、深夜まで俺たちに休む暇はなかった。

 まずモーレス王に、王弟のノクスが代表して『アンゴル大峡谷遠征』の成果を報告した。


 結果は、当初の目的どおり魔界の入り口の封鎖に成功した。

 一部結界を含むが『ノーティオの遺物』の魔剣——つまり俺を使用した完全なる封鎖で、しばらくは低級の魔物すら地上に上がって来る心配はないだろう。


 しかし、その途上で遠征部隊に五十人以上の死者を出し、封鎖直前に魔界から大量の魔物の侵入を許した。


 メンブルム領から『ノーティオの遺物』と思しき巨大な蜘蛛状の魔具が、侵攻してきた魔物を次々と撃退したが、それでも現在分かっているだけで王国全土で数百人規模の犠牲者が出ている。

 建物の被害も甚大で復興が急がれるし、大陸全土に散らばった魔物の討伐も喫緊の課題だ。


 成果は上げたが、大きな犠牲も伴った———

 ノクスは『アンゴル大峡谷遠征』を、そう総括した。


 俺——魔剣が一時的にでも魔王の手に渡った事を責められるかと思ったが、モーレス王はその点を不問に付し、遠征部隊に対する称賛と労いだけに終始した。

「後日改めて大規模な祝宴を開催する予定であるが、ひとまず、其方らの労をねぎらう酒宴を用意した。ささやかではあるが、大いに飲んで食べて疲れを癒して欲しい」


 こうして国王直々の無礼講許可を得て始まった宴の灯は、日を跨いでも消えることはなかった。



「ディエス殿下、少し宜しいですか?」


 俺がディエスに声を掛けたのは、宴もたけなわを過ぎ、酒に呑まれなかった者達が用意された宿舎へ帰った頃だ。


 この世界では、俺も殿下も飲酒しても大丈夫な年齢だ。

 ただ俺は素面でいたいから飲まなかったし、ディエスも付き合いで口にしただけで、酔っている様子はなかった。


「ああ、問題ない」


 隣席の酔い潰れた叔父の肩に、メイドに持ってきてもらった毛布をそっと掛けてから、ディエスが答えた。

 ノクス先生は早々に酔い潰れた口だが、酒宴会場の各所で同じように潰れた騎士団員たちが転がっている。


 まだまだ元気なのは何故かグランス相手に、魔石を使った魔具の開発と流通の未来を滔々と語るメテオラ王太子殿下だ。

 まあ顔は真っ赤だし、目が据わっているから酔っ払っているのは間違い無いだろうが……。

 ウンザリとした顔でそれに相槌を打つグランスは、本当に御愁傷様である。


 俺とディエスは会場から抜け出し、城のバルコニーで話す事にした。

 夜明け前の空の下、影絵のような街並みが沈んでいる。

 今は黒一色に塗り潰されているが、昼間に見た王都も魔物の蹂躙は避けられず、所々商店や家が破壊されていた。


「殿下。既にお気づきの事と思いますが、私、フィリア・メンブルムの中身は、別の人間ですの」


 単刀直入に切り出す。

 魔剣になった俺に触れた時点でディエスには分かっていた事だろうが、アンゴル大峡谷遠征からの帰還中は前衛と後衛で接触がなかった。

 今更感はあるが、ディエスにはちゃんと言っておかなくてはならない。

 何より、俺は彼に伝えたいことがある———


「ああ。その髪飾りを贈った時から、何となくそんな気はしていた」

「そんな前から!?」


 逆に衝撃の告白をされてしまった。

 確かに、あの時ディエスは何かを探るように俺の顔を見つめていた。


「そして魔剣になったフィリアに触れた時、合点がいった。君の言動に感じていた違和感の正体が、やっと分かった」

「申し訳ありませんわね。中身が可憐な少女じゃなくて」

 心の声だけじゃ元の容姿まで分からないだろうけど、男でオッサンだということは十分伝わっただろう。


「いや。ただ内と外で言葉遣いが大きく異なるから、何故だろうと不思議だっただけだ」

「あー、それは仕様と言うか、縛りと申しますか……元の持ち主の身体の記憶に従って、どうしてもこのような喋り方になってしまうのですわ。でもお陰で殿下以外には、中身の入れ替わりに気付かれませんでした」

「そうか」


 しばし無言が続いた。

 ディエスと会話する時は、こういう間が度々訪れる。

 最初はその沈黙が苦痛だったが、さすがにもう慣れた。

 ディエスという人間の人となりを、俺自身が理解し始めたからだ。


 けれど今の俺には、その沈黙に緊張が伴う。


「ディエス殿下」

 俺は真っ直ぐにディエスを見る。


「何だ」

 ディエスも左右色の違う瞳に俺を映している。


「この身体の元の持ち主、フィリア・メンブルムは……彼女の心はもうどこにも存在しません」


 彼の反応はない。

 ただ、その長い耳をジッとこちらに傾けていた。


「彼女の心はありませんが、記憶はこの身体に残っています。フィリアは魔物に——コスタに唆されて自ら魔力を取り込み、魔剣へと変わりました。その時、彼女の心は壊れたのです」


「……フィリアは何故そんなことを?」

 ディエスの声が次第に小さくなる。

 おそらく彼は、その理由にもう気付いているのだろう。


「あなたのためですわ、ディエス殿下。非力なフィリアは魔物の甘言に乗せられて、力を求めました。それが己の破滅に繋がるとも知らずに」

「私はフィリアに力など求めていない……」

 ディエスの語尾は震えていた。

「ええ。今の私なら分かりますわ。でもフィリアには分からなかった。あなたに頼られたかった、助けたかった、彼女の願いはそれだけです」


「最期に、フィリアは何と……」

「最期まで、あなたに助けを求めたまま、彼女の自我は崩壊していきました」

「ああ……」


 俺は言葉を濁さず、ディエスにフィリアの最期を伝えた。

 彼女の身体の中で目覚めた時、既にこの世界のどこにもフィリアの心は存在しなかった———


 だから、これは俺の自己満足だ。


 ゲームの推しキャラであった彼女のために、俺が良かれと思ってやっている気持ちの押し付けだ。

 ディエスに伝えたところで、フィリアはもう喜ばないし、大好きな彼の声だって彼女には永遠に届かない———



 いつの間にか空が白み始めていた。

 徐々に降り注ぐ光に、家々がただのシルエットから輪郭を取り戻していく。

 こうしてまた日常は循環し、悲劇喜劇に関わり無く人々の生活が始まって続いて行く。


 ディエスの頬から伝った滴を、朝の光が照らしている。

 彼は静かに涙をこぼしていた。


「……私は、彼女が、フィリアが生きていて、たまに顔を見られたら、それで良かった」

「今更遅いですわ、殿下。それにフィリアは殿下にもっと多くを望んでいたので、今の発言は怒られますわよ」


 幼い頃から王子という裕福な環境下にありながら、一番欲しいものが与えられなかった男の望みは細やか過ぎて、多くを与えたいフィリアにとって埋めがたい認識の違いがある。


 要は、フィリアとディエスは最初から両片想いだったわけだ。


「本当に……今更ですが、フィリアがあなたを心から愛していた事実だけは、忘れないでくださいませ。彼女の身体を乗っ取った私が言うのも変な話ですけれど」

「全くだ」

 ディエスが涙目のまま薄く笑った。


 俺の記憶の中に、彼の笑顔がまた一つ溜まっていく。

 思い出が地層のようなものならば、これからもっと彼の笑顔が増えると良い。

 フィリアもきっと、それを一番望んでいた筈だ。


「今後、君——いや、貴方のことは何と呼べば良い?」

「『フィリア』のままで構いませんわ、殿下。それにしても、あの時は驚きましたわ」

「? 何の話だ」

「アンゴル大峡谷遠征で魔王と対峙した時ですわ。まさかディエス殿下に翼があるとは思いませんもの!」

 城のバルコニーからは、ディエスの母親カテナが一時居住していた塔が見えた。それを目にして彼の翼を思い出したのだ。


「エルフ耳にオッドアイだし、翼まで装備しているなんて、こういうのって………あれ?」

「? 何を言ってるんだ」

「ああ、こっち? いえ、あっちの世界の話ですわ」

「?」


 何だろう。単語が出てこない。

 こういう属性モリモリの設定をノートに書き綴ったり、言動に反映させたりする症状を表す言葉があった筈なのに、頭に浮かんで来ない。

 まあいいか、多分ど忘れだろう。



 朝日が完全に昇る頃、ディエスの涙は乾いていた。


「私はフィリアではありませんし、彼女にはなり得ません。でも、いつかも言ったように殿下の味方ではありますわ」


 俺は、あの時と同じように彼に手を差し出した。

 ディエスは穏やかな笑みをたたえたまま、俺の手を握り返す。


「ああ。私もだ」


 意味合いは異なるが同じ『フィリア・メンブルム』を好きだった者同士、俺たちはこれから良い関係を築いていけるだろう。


 乙女ゲーム『空の彼方、刻の狭間でキミと…』に一枚だけ存在する、フィリアの笑顔のスチルを俺は思い浮かべた。

 ヒロイン『クレア』と親友になったシーンだ。

 初めて出来た友達に、高飛車で捻くれ者のフィリアが浮かべた素直な笑顔が可愛くて、それを見た瞬間に俺の中で彼女は『推し』になった。


 もうどこにもいない彼女の記憶を抱いたまま、俺はこの世界で生きていくんだ———



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