第36話 悪役令嬢の企み

「街に行ってみませんこと? グランス様」


 魔銃訓練の後、俺はグランスを誘ってみた。

 今回は昼間の訓練だ。メンブルム城下の街に繰り出す時間は充分にある。


「それは……構いませんが、何故僕と? 買い物なら女性同士で行った方が……」

 満更でもなさそうだが、俺の突然のお誘いに困惑を隠せないグランス。

 よしっ、もう一押しだな!


「もちろん、荷物持ちですわ! グランス様が駄目ならディエス殿下をお誘いしますわ!」

「………分かりました、僕が行きます」

 少々複雑な表情でグランスは俺の提案を承諾した。



 ———メンブルム領のいわゆる城下街は、王都のそれに比べて規模はいささか劣るが、人の活気や賑やかさは決して負けていなかった。


「見てってよ、採れたて野菜! ウチのは安くて新鮮だよー!」

「そこのお兄さん! グラキエス王国産の自鳴琴、現品限りで三割引きにしとくから、買っとくれ!」

「冷たーいお飲み物はいかがぁ? 搾りたての果物を氷魔法で冷やしてあるのよぉ❤︎」


 初めて訪れる場所に、グランスは興味深げにキョロキョロと辺りを見回している。

「どうです? 我がメンブルム領の街は。王都も華やかで良いですが、ここも暮らしやすい街ですわよ」

「確かに、活気があって良いですね。王都で見たことがない物もいっぱいある」

「そうでしょうとも、そうでしょうとも! まずは腹ごしらえといきますわよ、グランス様!」

「ちょっと待ってください! フィリア様!」

 グランスの手を引っ張って、俺は目についた屋台に飛び込んだ。



 メンブルム領の主な生産物である野菜や穀物はもちろんだが、街には他にも色んな物が売っていた。

「グランス様、これとこれ、どちらが似合うと思います?」

 花飾りのついたつば広の帽子と、リボンのついたシンプルな帽子を交互に被って、グランスに選択を委ねる。

「ええと……うーん、どちらもお似合いだと思いますけど」

「では両方頂こうかしら」


 今日は俺——フィリアの買い物に付き合ってもらうのだから、グランスにも何かと思って男性物も見る。

 侯爵令嬢の俺にとっては大した金額ではないが、生前のような薄利多売の既製品がない分、この世界の衣類や靴は総じて高い。

 グランスの今着ている服も男爵家の御令息なだけあって、決して安物ではないだろう。

 ただ履いている靴は、修理をした跡が見えるものの、そろそろ限界のようだ。


「グランス様、今日付き合っていただいたお礼に、靴をお贈りしたいのですが」

「え、そんないいですよ。大したことじゃないし……」

「まあ! 断るということは、メンブルム侯爵令嬢の私に恥をかかせるも同然ですわ! ここは私のためを思って、どうか受け取ってくださいませ」

 俺が大仰に悲嘆に暮れて見せると、渋々という感じで「分かりました」と彼は同意した。


「このお店は、メンブルム家御用達の靴職人がいるのですわ」

 賑やかな街の通りから、一本外れた静かな通りにその店はあった。

 何度か父親に連れて来られたフィリアの記憶が、正しく店主の名を導き出す。


「ごめんくださいませ。タルスさん、いらっしゃいますか?」

「おやおやこれは、フィリアお嬢様。お久しぶりでございます」


 俺の呼びかけに答えて、奥から店主の老人——タルスが出て来た。

「以前お会いしたのは、フィリアお嬢様がノーティオ魔法学園にご入学になる前でしたから、もう半年以上になりますか」

 目元に皺を作り、穏やかに微笑む老店主は、俺の隣のグランスに気がついた。

「フィリアお嬢様、そちらの方は?」

「紹介しますわ。学友のブルケル男爵の御令息、グランス・ブルケル様よ。今日は私の買い物に付き合っってもらったお礼に、彼の靴を作って欲しいのですわ。急なお願いだけど引き受けてくれるかしら?」

「もちろんですとも。フィリアお嬢様のお願いでしたら何なりと。しかしすぐにというわけにはいきませんから、今日は採寸と色や形だけ決めていただき、後日出来次第お城へお届けします」

「ええ、それで良くってよ。よろしくお願いしますわ」

 話はまとまり、グランスの足の採寸に移った。


「フィリアお嬢様は学園でどんなご様子ですか?」

 手際良く進む採寸の合間に、タルスは俺の近況をグランスに聞いた。

 俺本人に聞けば良さそうなものだが、タルスとグランスの共通の話題といえば俺——フィリアしかないから仕方がない。

「教室が違いますから、その間のことは知りませんが……僕との魔銃訓練は努力されてますよ。それが少しずつですが、結果にも出ています」

「あらっ、褒めたって何も出ませんわよグランス様。ねえタルスさん、あそこの棚にある鋲の付いた靴、グランス様にお似合いじゃありませんこと? あれを追加で10足頂けないかしら」

「僕は結構ですから! フィリア様!!」


「フィリアお嬢様が魔銃訓練ですか……近々ネブラ王国へ大規模な遠征があると、噂で耳にしたのですが……それと何か関係が?」

 店内には俺たち三人しかいないが、タルスは声を潜めた。


 公の発表はまだ先だが、魔力不問で平民から騎士団員を大々的に募集していれば、自ずと察するか。

「ええ。国内の戦力が手薄になる可能性もあるので、自衛と身近な人たちを守るために、グランス様にご指導いただいているのですわ」

「じゃあ、フィリアお嬢様が遠征に加わるわけでは」

「ありません」

 俺より先にグランスが答えた。

 まあ俺も、騎士団やクレアたちの合同訓練を間近に見て、あのレベルについて行くのは無理だと実感していたところだ。


「それなら良かった。遠征など加わったら、フィリアお嬢様がご無事か気が気ではありませんから」

「させません。そのために僕が教えているんですから」

 キッパリと宣言するグランスに、タルスが微笑みかけ、ついで俺の方を見る。

「良いご学友をお持ちになりましたな、フィリア様」

「ええ、自慢のお友達ですわ」

「!!」

 タルスと二人でグランスに笑いかければ、彼は真っ赤な顔で居心地悪そうにそっぽを向いた。



 タルスの店を出てからも、俺たちは空が夕陽に染まるまで、あちこちの店を見て回った。

「そろそろ城に戻らないと、リトさんが心配するんじゃありませんか」

 両手に荷物を持たされ、さすがにグランスも疲れた様子だ。


 しかし彼にはもう少し付き合ってもらわなければ。

 寧ろこれがメインイベントだ。


「そうですわね。リトやクレアさんにお土産を買わなければいけませんから、あと一軒だけお付き合いくださる?」

「……ふう、参りましょう」

 やれやれとグランスが俺の後をついてくるのを見て、一軒のお菓子屋さんの前で足を止める。


「……ここは……」

 彼が店の外観を凝視する。

 そう、彼の母親であるファロが働く王都の店に、ここは瓜二つだった。

「ええ、王都のお店の焼き菓子が有名になって、メンブルム領でも二号店を出店させたんですのよ。ご存じでした?」

「いいえ、僕は何も……」

 その時、店の扉が開いて、中から一人の女性が顔を出し———


「グランス!」


 彼女——ファロは息子の名前をはっきりと呼んだ。


「かあ……さん———」


 グランスの口から、今まで母親に抱いていた色々な想いが溢れそうになった。

 しかし男爵との「母親に会わない」という約束を思い出したのか、すぐさま踵を返そうとする。

 その前に、俺は手を大きく広げて立ち塞がった。


「フィリア様……?」

「ご安心をグランス様。あなたとブルケル男爵との約束は破棄されました。いいえ、この私が破棄させました!」

「え……?」


 困惑するグランスの背中に、ファロがしがみつく。

「ごめんなさい、グランス。私のせいであなたに寂しい思いをさせてしまったのね」

「母さん……まさか、フィリア様、母さんに全てを喋って——!? そもそもあなたはどこまで知っているんです!?」

「ブルケル男爵がグランス様のお母様の金銭面の——高額な薬代の面倒を見る代わりに、あなたが男爵家に入り、お母様と二度と会わないということまでですわ」

「全部知ってるんじゃないですか……」


 呆然とした彼の表情に、心が少し痛む。

 俺はゲームを通じてグランスの事情を知っただけだ。

 ゲーム内でこの問題が解決しなかったということは、きっと現実でも誰にも知られたくなかったことなんだ。

 俺はそれを無理やり暴いて引き摺り出した。


「おかしいとは感じていたのよ。私とあなたを捨てた男爵が、今になって救いの手を差し伸べてくださるなんて……。男爵家に入って、忙しいのだとばかり思っていたら、私と会うのを禁じられていただなんて、本当に酷いわ———気がつかなくて、本当にごめんなさい、私の可愛いグランス」

「母さん……」

 堪えきれずグランスはファロの正面に立ち、彼女を思い切り抱きしめた。

「ちょっと会わないうちに、大きくなったわねえ……」

「っ………」

 母子の再会に割って入るほど、俺は野暮ではない。

 二人に気付かれぬうちに、そうっとその場を立ち去った。



「フィリア様!! 先程の説明を求めます!!」

 城に戻って一時間もしないうちに、俺はグランスに壁ドンされて問い詰められていた。

 せっかく俺が気を遣って母子二人きりにしてやったのに、もっと感動の対面を堪能してこいよな……。


「最初に申し上げた筈ですわ。全て私の差金です」

「何故です!?」


 フーッと俺は息を吐き、両側から俺を拘束している彼の腕を退かした。

「……グランス様は、学園に入る前の私の噂はご存じ?」

「!? ………それは」

「ご存じなのですね。私が『悪役令嬢』と呼ばれていたことを」

「あなたを妬んだ、ただの悪口でしょう」

「それが全くの事実無根というわけでもないのですわ」

「え」

 俺は思わせ振りに、半眼でグランスの顔を見上げた。


「誰だって悪口を言われれば腹が立つものでしょう? 私はそれを父の権力と財力で黙らせました。今回も似たようなものです。あなたの父親の遣り口に腹が立っただけですわ。それと、先行投資の意味合いもございます」

「先行投資?」

「だってグランス様は今後の遠征を経て、きっと大きな偉業を成し遂げる方ですもの! 今、恩を売っておかない手はありませんわ」

「………」

 グランスは黙り込んで、俯いてしまった。

 彼は俺に落胆しただろうか。

 俺の問題解決のやり口は、彼の嫌う貴族の権力と金を使ったものだ。

 失望されても仕方ない。


 俺が余計なことをしなくても、きっとグランスはこの先の未来で、父親との問題を解決しただろう。

 それだけの実力がグランスにはある。

 そう思いながらも、俺はフィリアの父親——ウィルガに頼んで、グランスとブルケル男爵の約束を反故にしてもらった。ウィルガからブルケル男爵に相当の金が動いたことだろう。


 唐突に人生を終了された俺には、未来は最も信頼ならない。

 一番の理由はきっとそれなんだ。


「今すぐ恩を返せとは言いません。10年後……いえ20年後か、いつか私が困った時に、呼んだら助けに来てくだされば良いですわ」

「———あなたは『悪役令嬢』じゃない、『悪い令嬢』だ」

「え?」

 グランスの言葉の意味を計りかねていると、彼は臣下のようにその場に跪き、俺の手をとった。

 え? 何?? 何で???

「いいでしょう、フィリア様。これから先、あなたが呼べばどこへでも馳せ参じましょう」

「いや、そこまで大袈裟に考えなくても良いんですのよ? グランス様にもご都合がおありでしょうし……」


「例えばディエス殿下との婚約を破棄して、どこか遠くへ逃げてしまいたいとか、そういう時にでも」

「!」

「例えばです」

 彼は苦笑した。少し切ないような笑顔だった。


「グランス様は……私の『自慢のお友達』ですわ」

「分かっています。だから万一の可能性に賭けるのは、僕の勝手です」


 彼が俺の手を離し、立ち上がった。

「僕は戻りますね。フィリア様もリトさんを心配させないように早く行った方がいいですよ。じゃあ、また明日。射撃場でお会いしましょう」

「ええ……」


 グランスの姿が見えなくなっても、俺はその場に立ち尽くしていた。

 ———母子の再会は上手くいった。

 俺の自己満足だから、グランス本人は少しモヤっとしたかもしれないが、結果オーライだと思ってそこは許して欲しい。

 そうだ、全部上手く言った筈だ。

 グランスの俺に対する恋心も、俺——フィリアが現状ディエスの婚約者である以上、ちゃんと線を引かなくてはいけない。


「……引いた当人が感傷的になって、どうするのですわ」


 俺は大きなため息を一つ吐いて、胸に残ったモヤモヤを無理矢理吐き出した。





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