第35話 記憶

 俺は歩いていた。


 いや、これは俺の意思じゃない。

 フィリアの夢——過去のフィリアの記憶だ。


 何か確かな目的を持ち、早足でコツコツと彼女は城の中を歩いている。

 しんと静まり返った城内は、靴音とフィリアの呼吸音が響いていた。

 早足のせいか別の理由があるのか、彼女の鼓動もかなり速い。


 窓から月明かりが差しているから、時刻は夜だ。

 壁に幾つも並んで飾られている家族の肖像画を、月明かりがぼんやりと照らし出す。


 フィリアはそれらに構うことなく、ただひたすらに真っ直ぐ進む。

 やがて窓からの光が届かない廊下の奥、暗闇の中に辿り着き、そして彼女は——




「はっ!」

 夢から現実に急に引き戻された。

 俺はメンブルム城自室のベッドの中にいる。


「何ですの……今のは……」


 まるで訳の分からない夢——記憶だ。

 夢で見るフィリアの記憶は、ほぼディエスとの思い出だ。

 それが今の夢にはディエスどころか、誰も出てこなかった。


 何でそんな無意味な記憶を俺に見せた?


 嫌な胸騒ぎがする。

 時計を見るとまだ深夜だ。

 二度寝しようとしても、夢の中のフィリアが移ったように、俺までドキドキして眠れない……。


 俺は意を決してベッドから降り、寝巻きの上から薄物の上着を羽織った。


「……ちょっと城の中を歩き回るくらいなら、一人でも平気ですわよね」

 隣室で休んでいるはずのリトに言い訳すると、俺は部屋をそっと出た。




 コツコツコツ……


 昼間の喧騒が嘘のように静まり返った城の中は、まるで別の場所だ。

 夜警を避けて移動してるせいもあるが、生きている人間は俺だけのような錯覚さえ覚える。


 しばらく歩いていると、気づかぬうちに旧館に来てしまった。

 建物が老朽化して危険だからと、普段は父親——ウィルガ・メンブルムからフィリアが出入りを禁止されていた場所だ。


 だとすると、フィリアはここに入ったことはないはずだ。

 でも彼女の記憶の中には、この建物に関する情報がある——どういうことだ?

 俺の足は自然と建物の奥へと進んでいった。



「ここは———夢と同じですわ……」

 やがて辿り着いたその廊下は、さっき見た夢とまったく一緒だった。

 窓から月明かりが差し込んで、壁の肖像画たちを浮き上がらせているところまで一緒だ。

 フィリアが目もくれなかったそれらの絵は、歴代のメンブルム一家のものだろう。

 各世代の婦人や子供に違いはあれど、メンブルム侯爵の容貌は恐ろしいほど似通っている。


「まさか、今は愛らしいリベルもお父様のような姿に……」

 可愛い弟を待ち受ける残酷な運命に、俺は身震いする。


 肖像画を一つ一つ見て、最後の一枚になった。

 そこには明らかにメンブルム家の者ではない、二人の男性が描かれていた。

 古い時代に描かれた物なのか、絵の表面はひび割れ、かつて鮮やかだったと思われる色彩は、酷くぼんやりしている。

 それでも一人の男性の容貌は、俺の知っている人物を思い起こさせた。


「この方……ディエス殿下に似ていますわ」

「そこで何をしている!?」


 鋭い声が静寂を切り裂いた。

 慌てて声のした方を振り返れば———

「お父様!?」

 メンブルム家当主がそこにいた。


 ウィルガは俺を見て、ホッとしたように息を吐く。

「何だ、フィリアか。人影が旧館に入って行くのを見て、私はてっきり、お宝目当ての賊が忍び込んだとばかり……」

「まあ、お父様。勘違いさせて申し訳ありませんわ」

「どうしたんだい? フィリア。こんな時間に、しかもこんな場所で」

「眠れなかったものですから……。お父様こそ、どうしてこんな時間まで起きていらっしゃるの?」

「あー、ちょっと昼間居眠りしてしまって、書類の確認が遅れてしまってな……いや、サボったわけではないんだ、決して!」

 モニョモニョ言い訳を始めるウィルガに、俺は笑った。

「大丈夫、お母様に言いつけたりなんかしませんわ。お仕事いつもお疲れ様ですわ、お父様」

「フィリア………お前はなんて良い子なんだ」


 感涙に咽ぶウィルガを宥めて、俺は気になったさっきの肖像画のことを聞いてみることにした。

「ねえ、お父様。あの一番端の絵に描かれている方はどなたですの?」

「ああ。あれはノーティオと彼の親友であった賢王フィデス・パルマだよ」

「伝説の魔法使いと、ディエス殿下のご先祖様ですのね」

 どおりでディエスに似ているわけだ。

 ノーティオの方は絵が劣化して、その容貌は判然としないけれど。


「ネブラ王国に魔界の入り口が出現し、魔物が跋扈する以前、この大陸では三国が覇権を得るため戦争してたんだ。そしてアルカ王国を他国の侵攻から守り、後にアンゴル大峡谷に広大な結界を張るために尽力したのがノーティオだ」

「偉大な方でしたのね」

 それは御伽話になるくらい、遥か昔の出来事だ。

「ああ。彼は魔物から世界を救った英雄だ。ノーティオの親友であるフィデス・パルマは、その途上で命を落としたと言われている」

「まあ……」

「ノーティオの功績は他にもあるぞ。多数の魔具を発明し、さらにその存在は不明だが、世界すら裁ち切る魔剣を残したと言われているんだ」

「本当に伝説の魔法使いですのね」

「そうだな。さあフィリア、おしゃべりはこの辺にして、もう寝なさい。それから、この建物は古くて傷んでいるんだ。ほら、壁のあちこちにひび割れがあるだろう? すぐに倒壊することはないが、万一があってはいけない。もうここに来てはいけないよ」

「そう……ですわね。分かりましたわ、お父様」


 廊下の奥、暗闇の向こう側にフィリアが何を求めて行ったのか気にはなるが、ウィルガの手前ここは一旦引くしかない。


 その代わり、

「お父様、実は私お願いがありますの」

 ウィルガにこう切り出した。

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