第31話 現在
「はあ〜」
思わず溜息が漏れる。
あれから日付変わって、ディエス殿下との乗馬訓練はすこぶる順調に進んでいる。
俺——フィリアは射撃の才能はちょっと怪しいが、乗馬に関しては問題ないらしく、ディエスに教えてもらったとおりに乗りこなしている。
この世界の馬は、俺の生前の世界と造形は変わらないが色がカラフルだ。
栗毛や芦毛といったお馴染みの色もあるが、フィリアの髪のようなピンク色とか、空のような水色とか、パステルカラーの毛色もあって実に可愛い。
ちなみに今俺が乗ってる馬はパープルだ。
天気は良いし、乗馬の訓練は順調だし、馬は可愛いし、何も言うことはない。
俺のモヤモヤした気分以外は。
「フィリア、少し休むか?」
隣を白毛の馬で並走するディエスが言う。
「平気ですわ。疲れておりませんもの」
「そうか。眉間に皺が寄っているが」
「っ……」
相変わらず無表情だが、こちらの気持ちは見透かしてくる。
俺が初めて会った時より、ディエスは意図して人の気持ちに寄り添おうとしている気がする。
「ディエス殿下……今の私は殿下からはどう見えていらっしゃいますか?」
「イライラしている」
「それから?」
「怒っている」
「あとは?」
「悲しんでいる」
「ええ、どれも正解ですわ」
「……何があった」
ディエスは馬の歩みを止めた。
俺もそれに倣う。
「八年前の『壁外の悲劇』で殿下のお母様が亡くなったことを、昨日知りました」
隠す意味もないので、俺は正直に話した。
「殿下にとっては過去の——既に心の折り合いをつけた事柄かもしれませんが、私は昨日まで知りませんでした。今、衝撃を受けて動揺している最中ですわ」
ディエスの顔を見る。
その表情に何の揺らぎもない。
ただ「そうか」と一言だけ言った。
「大人たちは、子どもの私に告げるには、厳しい内容だと思ったのでしょうね」
「そうだと思う。私も君に告げるつもりはなかった」
「でも、過去の私は教えて欲しかったと思いますわ」
フィリアだったら、そう思ったに違いないだろう。
「告げてどうする」
突き放すような言葉と声だった。
「起きてしまった事実は変わらない。知ったら君が悲しむだけだ」
「ええ、ただの自己満足に過ぎませんわ。それでも過去の私は、悲しむ貴方にただ寄り添いたかったのです」
ディエスが目を見開き、俺を見つめる。
———昨日ノクスから聞いた、その後のディエスへの対処は、ハッキリ言って最悪だった。
現国王モーレスは、母親を無残な形で亡くしたディエスの心をケアするでもなく、唯一の理解者であった傅役のレギオをネブラ王国への使者として、彼と引き離した。
「おそらくモーレス兄上はカテナに惹かれていた。昔はこちらが心配になる程優しい人だったのに、彼女が死んでから、兄上は人が変わってしまわれた……」
ノクスはそう嘆息した。
その後のディエスの教育は、王族としての知識や強さ一辺倒で、彼自身の心は蔑ろにされてきたらしい。
ノクスは度々モーレスに進言し、自身もディエスを気にかけていたが、それで状況が変わる訳でもなかった。
「だからノーティオ魔法学園への入学は好機だった。モーレス兄上の手を離れ、私がディエスに目をかけてやれる時間も増える。遠征さえなければ、もっとゆっくり同年代の生徒たちと触れ合って、彼に欠けているものを埋められると思ったのだが……」
ノクスはそう、誰かに懺悔するかのように呟き、昨日の会話は締め括られた———
正直、ディエスに対してフィリア程の思い入れは、俺にはない。
また今更慰めたからといって、彼の心の奥底にある傷が癒えるとも思えない。
多分俺が今モヤモヤしているのは、どうにもならなかった状況そのものに対して、歯痒くて怒っているのだ。
「ええ、殿下の仰るとおりですわ。私が今更カテナ様の悲劇を知ったところで状況は好転しません。それはもう飲み込みましょう。すっごくモヤモヤしますけど! なので、私が言うことは現在と未来の話ですわ」
俺はバッと片手をディエスに向かって突き出した。
「ディエス殿下。これからは悲しいことがあったら、私と共有してくださいませ!」
訳が分からないと言う顔で「どうして」とディエスが呟く。
「悲しみは誰かに話すことで、少し楽になりますわ。解決には至らないかもしれませんが」
「それなら意味がない」
「いいえ殿下。殿下は……八年前、カテナ様が亡くなった時、どう思われましたか?」
酷なことをしている自覚はあるが、俺は敢えてそこに踏み込んだ。
ディエスの表情が明らかに陰る。
八年前の惨状を映したかのように、その瞳から光が消えた。
「……信じられなかった。瓦礫の下から見つけた母上は、眠っているようで……でも手を握ると冷たくて、息はもうしていなかった……」
今でこそ言葉に出来るが、子どもだった当時の彼の気持ちを考えると、本当にやるせない。
「それは……お辛かったでしょうね」
「いいや、辛くはない。何も考えなければ辛くないと、モーレス叔父上——陛下に教わったから、私は平気だ」
「本当に?」
「本当だ。私は陛下のような王にならなければいけない。冷静で、平等で、揺らがない心で民を守り導いていかなければ」
ディエスの理想はもはや強迫観念だ。人間そこまで完璧な存在ではいられない。
「それは無理です、ディエス殿下」
「え?」
「殿下は確かにお強いです。しかし不敬ながら完璧ではありませんわ。なので、心がザワザワしたり揺らいだ時は、誰かの手を取ってくださいませ」
再びズイッと、彼の前に手を突き出す。
「とりあえず、今は私の手を。私は貴方の味方ですわ」
「フィリア……」
俺はフィリアではないので、婚約者だからとは言いたくない。
ただ、コイツの味方ではあってもいいかなと思っている。
最弱悪役令嬢なので、出来ることにかなり限りはあるだろうけど………。
おずおずとディエスが俺の方に手を伸ばした、その時———
「キエエエエエエエッッ!!」
すぐそばの木立からけたたましい声を上げて、一羽の鳥が飛び去った。
乗っていた馬が驚いて暴れ、俺は振り落とされそうになる。
「あっ!」
落馬する寸前でディエスの手が俺の腕を捉え、自分の馬に引きずり上げた。
「大丈夫か? フィリア」
「……殿下の手助けをするつもりが、逆に助けられてしまいましたわ。屈辱です」
「———フッ」
え? 今、殿下笑った?
ディエスの顔を見上げる前に、彼は馬を走らせた。
「今度は落ちないでくれ」
「殿下がしっかり私を掴んでいれば大丈夫ですわ」
「それもそうだな。駈歩は出来たから、今度は襲歩を体験してみよう」
「わっ!?」
馬の速度がグンと上がった。
「わ、私の乗っていた馬は?」
「放っておいても厩舎に帰るように躾けてある」
「そっ、そうですかっ」
振動で舌を噛まないように俺は必死だ。
でも、コレだけは言わせてくれ。
「わ、私がもっと上手く乗れるようになったらっ、で、殿下を後ろに乗せてあげますわ!!」
助けられっぱなしも癪だから、俺はここで高らかに宣言する。
襲歩は……この速度で疾走するのはまだ怖いが、駈歩なら近々なんとかなるだろう。
「楽しみにしている」
背後から、明らかに笑みを含んだ声がした。
ディエスを後ろに乗せて草原を馬で疾走する、未来の俺の勇姿を思い浮かべたら、少し良い気分になった。
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