第10話 お昼の鬼ごっこ

 午前の授業が終わり、お昼休みになった。

 ササPとの約束を守るべく、俺はリトに今朝用意してもらったサンドイッチ入りのバスケットを手に、練習場まで赴いた。


「誰もいないですわ……」


 てっきりここにいるものと思ってたから肩透かしだ。

 すれ違ってしまったか、もしくは先に食堂に行ったかもしれない。

 まあ、場所まで決めてなかったから……。

 こういう時、スマホがない世界は不便だなと痛感する。


「ん?」


 遠くから土煙が近づいて来る。

 あれは———俺は目を凝らした。


「ササPさん!?」

「いた! B君!」


 土煙の発生源は全力疾走で向かって来るササPだった。

 いや、その後ろにもう一人いるのか?


「ごめん、ちょっと無茶するよ」

「ひゃっ!?」


 有言実行、ササPが俺の首根っこを掴んで跳んだ!

 あっと思った時には、校舎の屋根の上だった。しかも五階建の。

 この乱暴狼藉に文句を言う前に、俺の口は彼女の手で塞がれてしまった。


「む〜っ!」

「シッ! 黙って」


 しかしササPの不可解な行動を、俺は次の瞬間理解した。


「おーい、クレア嬢どこだー!! 出てきて俺と手合わせしてくれー!」


 ササPを追っていたのは『ソラトキ』攻略キャラ人気No.3、『カロル・グラーニ』だった。

 青みがかった短髪で、爽やか系細マッチョ。

 ちなみにフィリアの母方のいとこで、グラーニ伯爵家の嫡男だ。

 ゲームでは普段は気遣いの出来る好青年だが、鍛錬が絡むとやや脳筋化する。


 カロルの声が遠ざかり聞こえなくなって、

「やっと行ったか……」

 と、ササPが大きく息を吐いた。同時に俺に対する拘束も解いてくれた。

「だいたい察しがつきますけど……何があったんですの?」

「魔物退治と練習場の私の実技を見てロックオンされたのさ。あー、恋愛フラグさえ立てなきゃいいと思ってたら、こーゆー落とし穴あったかーっ!」

 ササPがヤケクソのように、屋根の上で大の字に寝そべった。

 ランチはここで取るしかなさそうだと覚悟を決め、俺はバスケットの蓋を開けた。


「私、ササPさんにご報告がありますの」

「え? それって良い事?」

「あら分かっちゃいます」

「うん、顔がニヤニヤしてるよ」

 サンドイッチを二人で分け合ってランチを済ますと、俺は本題に入った。


「私フィリアは、治癒魔法が出来るようになりましたの!」

「えっ」

「あー、今日のところはちっちゃい切り傷を治しただけなのですが……」

「それ、本当?」


 アレ? ササPの反応が思っていたのとなんか違う。


「フィリアの初期設定とか裏設定にありませんの?」

「いや、そんなものはないよ。フィリアは最弱ってだけだから……」

「ログインボーナスとか」

「いやいや、『ソラトキ』はソシャゲじゃないからね」

 それもそうだ。じゃあ何で出来るようになったんだろう?


「でも、これでフィリアは役立たずの最弱悪役令嬢じゃなくなりましたわ! 少なくともちっちゃい切り傷は治せますもの!」

 小さくても大きな一歩だ。ない胸を俺は張った。


「うーん。役立たずの方が、君を魔物討伐に連れて行かなくて済むんだけどなぁ」

「やっぱりこの国に大規模な魔物の侵攻が迫っていますの? 私は王子ルート未攻略で、トゥルーエンドも、そのバッドエンドも知らないのですが……」

 俺は声を潜めてササPに問いかけた。


「君は知らない方がいい」

 聞こえるかどうかの、それは小さな声だった。

「え?」

「いや、下手にバッドエンドなんて知ったら、これからビクビクして過ごさなきゃならないだろう? そもそも私たちはイレギュラーなんだ。ゲームの運命なんて変えてみせるさ」

「そ、そうですわね! ササPさん期待していますわ!」

「大船に乗ったつもりで任せといてよ! あっと、その前にB君にしか出来ないことを頼みたいんだ」

 ササPは俺の肩をガッチリ掴む。

 何だろう。俺にしか出来ないことって。


「カロルの足止めお願い!」

「!?」

 ササPは俺の肩を掴んだまま持ち上げ、屋根の上からぶん投げた。


「ぎゃあああああっっ!!!」

 あの野郎なんて事しやがるんだ!

 もう一回死んだら、絶対化けて出てやる!!


「フィリア?!」


 覚悟を決めて目を瞑るが、衝突の痛みは永遠に訪れなかった。

「?」

 恐る恐る目を開けると、そこには至近距離で呆れたようなカロルの顔が見えた。

 そして俺の身体は彼の腕の中にあった。

 どうやら地面に落ちる前に、キャッチしてくれたらしい。

 ササPはおそらくコレを見越して俺をぶん投げたのだろうが、次会ったら激オコで厳重注意だ。


「窓から落ちたのか? 俺が通りかかったから良かったものの、気をつけろよ」

「あ、ありがとう、カロル。気をつけますわ」

 見かけより繊細な動作で、そっと俺を降ろしてくれる。

 カロルはフィリアのいとこであり、幼馴染でもあるから、その言動は他の貴族連中より気安い。


「それよりフィリア、クレア嬢を見かけなかったか? さっきから探しているんだが」

「いいえ、お見かけしませんでしたわ」

 ぶん投げられたが、一応義理は果たしておくか。

「クレアさんに何のご用件が?」

「フィリアも見ただろ? 彼女の力を。手合わせしてもらおうと思ってさ」

「実技の授業で鍛錬は十分に積んだのでしょう? お昼は少しでも休むべきですわ」


 鍛錬ハイと言うか、中毒と言おうか、ゲーム中でもカロルを見つけようと思えば、練習場一択だった。

 彼が鍛錬に執着する理由も、ルート攻略済みなので良く知っている。


「身体に負荷をかけすぎるのは、単純に良くありませんわ。カロル」

「はは、久し振りだな。フィリアに怒られるのは」

「そう……言えば、そうですわね」

 フィリアの記憶の中の幼い頃のカロルは、今ではすっかり逆転してしまったが、フィリアより小さくて、ヤンチャだった。


「俺は嫡男だからな。早く領民全てを守れる、強い男にならなきゃいけないんだよ」

「学園生活は一年ありますもの。まだ焦る必要は……」

 カロルが緩く首を振り、次いで瞳が遠くを見た。

 ん? アレ? この展開、見覚えがあるぞ。


「遅いくらいだ。俺が弱かったばかりに、大切な人を魔物から救えなかった……」

 出た———!!

 カロルルート確定時の懺悔シーン!

 何で後半の山場が、こんな学園生活1日目に来るんだよ!?

 いやしかし、あっちはヒロインでこっちは悪役令嬢だ。しかも婚約者付きの。

 うん、大丈夫だ。きっと、いや、多分……?


 俺は念のため、フラグを潰すことにした。

 確かゲームでのヒロインは、カロルを聖母かと思うくらい優しく諭していた。

 俺はその逆をやれば良い。

 きっと出来る。

 仮にも今の俺は、悪役令嬢フィリアなんだから!


「ハッ、くだらない後悔ですこと」

 腹に力を込め、思い切り笑い飛ばしてやる。

「なっ!?」

 当然、カロルの俺を見る瞳が怒りを帯びた。


「カロル・グラーニ。あなた以上の実力を持つ先達を持ってしても、魔物の被害は今まで皆無にはならなかったのよ?」

「だから、俺は自分を鍛えて、これ以上の被害が出ないように……」

「それがくだらないと言うのですわ。あなたの後悔は単なる独りよがりの自罰です。あなた一人が強くなっても集団で魔物に襲われれば、とうてい敵いっこない。窮地に陥ったら自分が犠牲になってもとか、安易な自己犠牲に走る様が目に見えるようね」

「グッ……」

 自己犠牲云々の件は図星だったか、カロルは呻いて押し黙った。


 カロルの亡くした大切な人とは、彼の乳母だ。

 数ヶ月前、故郷の村で穏やかな老後を送っていた彼女を悲劇が襲った。

 村に魔物の集団が現れたのだ。

 カロル率いる騎士団が魔物を討伐した後、村内に生きている人間は誰一人いなかったそうだ———


 確かにそんな目に遭えば、自分を痛めつけるような鍛錬に走るのも分かる。


「あなたにもしもの事があれば、グラーニ家、いえ領内の損失は測り知れないわ。領民だって路頭に迷うかもしれない」

「分かっているさ……」

 反論するカロルの声は弱々しい。


 彼を追い詰めたいわけではないが、カロルルートのバッドエンドは常に魔物絡みで、ヒロインを庇って死ぬとか、仲間を庇って死ぬとか、そんなんばっかりなので、ここは自省を促したい。


「いいこと、カロル。あなたはディエス殿下みたいに滅茶苦茶強くないのですわ。自分を過信するより、仲間を頼って、頭を使って連携なさい。分かったわね!」

「……」

 ちょっと強く言い過ぎたか。

 とうとうカロルは俯いて黙り込んだ。


「午後の授業が始まるから、もう行きますわ。助けてくれた事は感謝します、カロル」

「……フィリア」

 歩き出す前に、手をつかまれた。


「こっちこそ、ありがとうな。俺、今ので少し目が覚めたよ」

 すっごいキラキラした良い笑顔で、カロルが俺を見つめる。

 ……これは、どういう状況だ?


「それは……ようございましたわ」

 さり気なくつかまれた手を抜こうとしたら、逆に両手でガッチリホールドされてしまった。

「!?」

「俺だって気負い過ぎてるって、自分でも分かってたんだ。でも止められなくて……」

 一人語りが始まったぞ、オイ。

「フィリアに言われてハッとした。誰一人犠牲を出さないってのには、俺自身も含まれてるんだなって!」

「え、ええ、そのとおりですわ……手を離してくださる?」

「俺は自分が死なないよう、もっともっと強くなる。そのために、これまで以上の鍛錬をするんだ」

「私の話、聞いてました? カロル」

「もちろん! 無茶はしないさ。怒ってまで俺を心配してくれたんだもんな。ありがとう、フィリア」


 ……なんか、ちょっといい雰囲気っぽくなってるけど、フラグ立ってないよな? 大丈夫だよな、コレ。

 あといい加減、手を離して欲しい。


「ディエス殿下、もう移動されないと、次の授業が始まってしまいますよ」

 唐突に、コスタの声が聞こえた。


 声のする方を見ると、ディエスと目が合った。

 いつから俺たちを見てたんだ?

 慌てたように、カロルが俺の手を離す。


 ふっと先に視線を外し、俺たちに何か言うでもなく、ディエスとコスタはその場を去った。


「……えーと、じゃあ、またな、フィリア。もう窓から落ちるなよ」

「ええ、カロルも鍛錬はほどほどに」

 ちょっと照れくさそうに笑って、カロルも戻っていった。


 俺は今切実に、好感度の見えるパラメータが欲しい……。

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