第5話 ヒロイン登場
夢を見た。
視界は涙で歪んで、時折しゃくりあげる幼い少女の声が聞こえる。
これは多分、フィリアの過去———
ぼやけた視界の情報でも、ここがどこかの庭園だと分かる。
馥郁とした薔薇の香りが鼻をくすぐるから。
「どうしたの?」
「ひっ!」
ふいに顔を覗き込まれ、フィリアは尻餅をつく。
銀色の髪に、左右色の違う鮮やかな瞳、人より横に長い耳がピクピク動いた。
「迷子? だったら、僕が元いたところに連れて行ってあげるよ」
端正な顔をあどけない笑みでくしゃりと崩して、彼はフィリアに手を差し出す。
「ディエス…殿下…?」
躊躇いがちに伸ばした手が届く前に、夢は覚めた———
「ふあ……」
「寝不足ですか、お嬢様」
有能なジト目メイドは、主人の不調を決して見逃さなかった。
しかし空は快晴、吹き過ぎる風も爽やかで、絶好の初登校日和だ。
朝ごはんも残さず食べたし、お通じも快調で体調的には何の問題もない。
俺の気分的なことを除いて———
「夢を見ましたの」
「夢見が悪かったのですか」
「いいえ、決して悪夢ではなかったの……うーん、でも……」
そう、悪い夢ではなかった。
良くある初恋の人との出会いのシーン。
可愛らしい恋のメモリーだが、ディエスの過去と現在を比べると、高低差が激し過ぎて眩暈がする。
俺はゲームのネタバレは、なるべく見ない主義だ。
だからディエスの過去に関する情報は、フィリアの記憶を合わせてみても、
『産みの母は正室ではなく側室』
『産みの母も、育ての母である正室も、父である先王もすでに死亡』
と、いうことくらいしか知らない。
まあ今は『あの可愛い子が色々あって、あんな可愛げのない無表情な男になってしまった』と納得するしかない。
「お嬢様、私はここまでです」
「ええ、ありがとう、リト。でも、ついて来なくても良かったのに」
リトから鞄と魔具の杖を受け取り、俺は苦笑した。
今日から一年、俺——フィリアの住居はノーティオ魔法学園併設の寮となる。
リトをはじめ、メンブルム家のメイドや執事たちが、前日までに引っ越しを済ませてくれた。
家族とは休暇まで会えないが、寮に従者を同伴するのは許可されているので、メイドのリトだけはこれからも一緒だ。
寮と学園の敷地は別れを惜しむ距離でもないのに、子供みたいに心配されているのが少し恥ずかしい……。
いつも察しが良いリトは、俺の羞恥心も知っている筈なのに「いいえ」と首を横に振り、
「お嬢様に悪心を抱く輩は逐一報告しろと、旦那様のご命令なので」
一瞬凄みを増して周囲を睥睨し、罪のない令息や令嬢をビビらせた。
「私に余計な悪評が付くからやめなさい」
「失礼しました。では、授業が終わる頃、お迎えに参ります」
「それも必要ないのだけれど……」
本心からの希望は、去り行くメイドの背中には届かないんだろうな……。
「アレがメンブルム家の……」
「噂どおり小さいなぁ」
「魔力も弱いくせに、何でここに来たのかしら」
「そもそもアレでディエス殿下の婚約者が務まるの?」
「領地で土いじりでもしていた方が、きっと幸せなのにねぇ」
リトがいなくなった途端、蚊の羽音のように小さいけれど、少し不快なざわめきに取り囲まれる。好奇心、嘲り、妬み嫉み、などなど。
感情の色は違えど、あまり聞いていて気持ちの良いものじゃない。
皆が浮き足立ってる入学式なら、きっとここまで悪目立ちしなかっただろう。
同期に王子、平民枠から絶大な魔力を持つヒロイン、その他有名どころの令息令嬢が集まれば、ショボい魔力の悪役令嬢など、誰も見向きもしない筈だ。
今さら仕方ないがヒロインの動向も気になるし、休むんじゃなかった。
「ハッ!」
背後から鋭い視線を感じて振り向けば、そのヒロインがいた。
デフォルト名『クレア』
漆黒のロングヘアに深紅の瞳、スタイル抜群の正統派完璧美少女。
それがゲーム画面ではなく、俺の目の前に顕現した。
今の彼女はどのタイプだ?
ゲームのクレアはプレイヤーの選択により性格が三パターンに別れ、その後のルートにも影響する。
一つ目は【乙女】——
その名のとおり乙女ゲームの主人公らしい性格で、やや妄想癖があるが、攻略キャラの甘いセリフにアタフタしたり、その反応がいちいち可愛くてプレイしているとニヤニヤ必至だ。
二つ目は【通常】——
これは【乙女】から甘さを抜いて、ツッコミを強化した常識人といったところか。しかしこれはこれで、クールとデレの落差がたまらない。
両者とも攻略キャラのルート確定後は、乙女ゲームらしい甘いエンディングに行ける。
問題は最後の三つ目———
「うわあああ!! 君、フィリア・メンブルム!? すっごい可愛いいいいっっ!! しかもそのボブ、初期設定じゃん! あああ、こっちも捨て難かったんだよなあああああっ!!」
「これはヒロインとしてはダメな【残念】バージョンですわぁああ!!!」
凄い勢いで俺に抱きつき、ハァハァしながら高速スリスリしてくる、乙女ゲームにあるまじきヒロインに俺は確信した。
「ん?」
「んん?」
いや待て。
彼女は今、思いっきりメタ的な発言をしなかったか?
しかも制作者目線の。
背中にまわっていたクレアの手が、俺の肩をガッチリと掴む。
あ、俺の発言もダメなやつかも。
「ちょっとお時間よろしいですか? フィリア様」
「え、ええ、よろしくてよ、クレアさん」
俺たちは、良くも悪くも周囲の注目を集めまくる美少女二人だ。
暗に「場所を変えて話しましょう」という提案に、一も二もなく頷いた。
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