第4話 王子ディエス・パルマ

「体調は良くなったと聞いたが、少し痩せたのではないか、フィリア」

「お心遣いありがとうございます、殿下。体力は回復しましたので、明日には学園に行けそうですわ」

「そうか」

「はい」

「……」

「……」


 会話が続かない。

 パルマ王城の豪奢な応接室に、冷ややかな空気が漂う。


 遡ること一時間前、婚約者ディエス王子の使者は「フィリア様の快癒を知り、ぜひお会いしたいとのことです」と伝えてきた。

 婚約者としては当然で、こちらに断る選択肢はない。

「すぐ行きなさい」と急かす両親と、テキパキお出かけの準備を開始するメイドに、俺は抵抗する術が無い。

「会いたいのなら、そちらが来ればいいのに」とむすっと小声で言ってくれた、生意気だけど可愛い弟だけが心の支えだ。


 そして今、俺の眼前にいる男が、ディエス・パルマ。

 先王ルーメン・パルマの嫡男にして、現国王モーレス・パルマの甥だ。

 モーレス王には子がなく、ディエスが次期国王となることを約束されている。


 乙女ゲームの攻略キャラの一人だから、当然顔はいい。

 銀髪に、右目が赤、左目が青のオッドアイ。

 今は座っているが長身だ。

 特筆すべきはその長い耳。

 この世界にはエルフという概念はないらしいが、『エルフ耳』というのがピッタリくる。その耳がピクリと動く。


「……あまり元気がないようだが」

「気のせいですわ、殿下」

「そうか」

「……」

「……」


 これが本来のフィリアであれば、もっと最愛の婚約者に対し、全身全霊テンション高く接していただろう。

 フィリアの記憶の中でも、ディエスといる時の彼女はいつも幸せそうだから。

 しかし残念ながら今は中の人『俺』だ。

 そもそも、この状況下ではフィリア本人であったとしても平常心ではいられないだろう。


「ディエス殿下がそうお思いになるのも無理はないですわ。わたくしフィリア様が入ってこられた時、ビックリしましたもの」

「ええ、本当に、あのフィリア様が街娘の様にお可愛らしくなって」

「私も一瞬どなたか分かりませんでしたわ」


 クスクスと上品さのオブラートに包まれてはいるが、伝わってくるのは明らかに嘲笑だ。俺がこの部屋に入る前から、どこぞの令嬢三人を、王子は堂々とはべらせていた。

 そして俺はこの光景をイベントスチルで見たことがある。


 ヒロインと王子の初対面シーンだ。


 しかしゲーム上での場所は魔法学園、こちらは王城。

 ヒロインが乱入してきて王子の不義を責め、傷心の悪役令嬢を慰めてくれる展開は望めそうにない。


「ああ、何か違和感があると思えば、髪型のせいか。フィリア、髪飾りはどうした?」

「へ」


 ——俺は一時間前、支度の最中に交わされたリトとの会話を思い出す。



「……リト、本当にわたくしは毎日このかつらを被ってましたの?」

「そうですよ、お嬢様。そうだ、今日はこの髪飾りを二つ追加しましょうか」

「!?」

 ズシッと頭部にさらに重みが加わる。

 フィリアの髪型がゲームの立ち絵と違うので、何となくそんな気はしていたが、あのキメキメの縦ロールは鬘だった。

 実際着けてみるとかなりのボリュームで、鬘は元より、ガッチリ固定してある巨大な宝石付きの髪飾りが凶悪な重さだ。

『オシャレは我慢』と俺の生前の世界では言っていたが、限度って物があんだろう!!


「……リト、今日は鬘無しでお願い……」

「でも、お嬢様」

「病み上がりでは、この重さに耐えられそうにないわ」

「分かりました。もしディエス殿下に、いつもの髪飾りはどうしたと聞かれたら、体調のせいだとお答えください。まあ、気にされる方では無いと思いますが……」

「? 分かったわ」



 ———以上、回想終了。


 リトがあの重量級の髪飾りを気にしていた理由が今分かった。

 フィリアの記憶から、あれはフィリアが王子にねだって貰ったプレゼントだ。

 確かに外してる方が不自然だ。


「フィリア?」

「あ、あの髪飾りと髪型は、その、病み上がりの私には少々重くて……は、外したことに他意はないのですわ!! ええ、決して!!」

 ひょっとしてコレって王子に対して不敬に当たるのか!?

 内心バクバクの俺に、ディエスは感情の読めない顔で「そうか」と言っただけだった。


「殿下、フィリア様に長居をさせるのは酷じゃありませんこと?」

「そうですわ。お元気になられたとはいえ、用心に越したことはありませんわ」

「まあ、フィリア様。お顔の色が良くありませんわ! 殿下のお相手は私たちが務めますから、安心してお帰りになったら?」

 三令嬢が要するに「早く帰れ」と囃し立てる。


「そうだな。わざわざ来てもらって済まなかった、フィリア。もう退出して良いぞ」

「はい。では殿下、失礼いたします」

 俺はフィリアの身体が覚えている礼をして、踵を返そうとした。

 ディエスに何の思い入れの無い俺は、令嬢たちの悪意ある囀りや、王子の婚約者に対するぞんざいな扱いも気にならない。

 ———そう、俺自身に対してだったらな。


「帰る前に一つよろしいですか? ディエス殿下」

「何だ?」

 俺は振り向き、ディエスの青と赤の瞳をひたりと捉える。

「群生する花は確かに綺麗で魅力的なものです。殿下が惑わされるのも仕方ありませんわ」

「まあ、それは私たちのことかしら」

 ヒクリと令嬢たちの綺麗に化粧した顔が歪み、一気に緊張感が走る。

「解釈はご自由に」

 問題は彼女たちではない。この男だ。


「殿下」

 妹は、ディエスを攻略キャラの中では苦手だと言っていた。

 婚約者のある身でヒロインに興味を向けるのが、妹にとって地雷要素かと思っていた。

 多分それだけじゃない。

 実際に接してみて分かった。


「フィリア?」

 何を考えているか分からない瞳は、同時に、相手の気持ちなど知らないと拒絶している。


「私は一輪の花ではなく、どこにでも行ける足があること、ご理解いただけると嬉しいですわ」

「!」

 無機質な彼の瞳に、初めて感情の揺らぎの様なものが見えた。

 ディエスルートは未攻略だから婚約継続と破談、正直どちらが悪手か判断がつかない。

 しかし、このゲームの俺の最推しは、フィリア・メンブルムだ。


 フィリアの意識は今は無いが、彼女を傷つける行為を平然とするコイツに腹が立つ!

 直接「バーカ!」と罵るわけにもいかないので、湾曲的表現になってしまったが、まあ仕方ない。現状把握が完璧ではない今、フィリアの立場を極端に悪くするわけにはいかないのだ。

 それでも少しだけ溜飲を下げて、俺は今度こそパルマ王城を後にした。




「ディエス殿下との歓談はどうだったんだ? フィリア」

「まさかもう結婚式の日取りの相談とか!? ねえ、あなた、ドレスはどうしましょう!?」

「ハハッ、入学も明日なのに結婚式なんて………いや待て、一年後となればドレスの用意はそろそろすべきか」

「母様も父様も気が早過ぎます! まずは離縁された場合に備えて、その後の姉様の生活を保証する証書を出してもらわないと……」


 メンブルム家の本日の晩餐は、当然のことながらディエスとフィリアの話題に終始した。

 先走り過ぎて終着点を見失ってる気もするが……。


 食後のデザートを食べ終わる頃、リトが俺に来客を告げた。

「お嬢様、お客様がいらしています」

「こんな時間に? 私は誰とも約束はしてなくてよ?」

 そもそもフィリアには友達がいない。

「リト、よほど火急の用事でもなければ、お引き取り願え」

「旦那様、それでよろしいのですか?」

「フン! この家族団欒の至福のひと時を、邪魔するような無粋な輩に割いてやる時間などないわ」

「ではそうお伝えします、ディエス殿下に」

「リトーっっ!!! すぐに失礼のないようお通ししなさい!!!」

 常時ジト目で冷静な俺のメイドさんは、たまに雇い主で遊んでいるなと思う時がある。


 それにしてもディエスの訪問意図が分からない。

 ……やっぱりアレが不敬だったと怒ってるのか?


「お、お待たせしました。ディエス殿下」

「こちらこそ、こんな時間に済まない」

 ディエスが待つ応接室に恐る恐る入ると、昼間と変わらぬ無表情の彼がいた。

「あの、御用件は……?」

「明日だと間に合わないから、これを君に」

「え?」


 不意に頭に手を伸ばされ、ディエスの顔が近付く。


「!!?」

「良かった。ピッタリだ」


 パニックになる寸前で、彼の顔が引いた。


「フィリア様、こちらを」

 猫耳のようなフードを目深に被ったディエスの従者が、鏡を手渡してくる。

 覗き込んで「あっ」と思わず声が出た。


 鏡の中の俺——フィリアの頭に、宝石をあしらった赤いリボンの髪飾りがふんわりと乗っている。

 軽過ぎて鏡で確認するまで、その存在を認識出来なかったくらいだ。


「これを渡すために……?」

「ああ、今でないと朝の支度に間に合わないから」

「どうして、ですの?」

「君が髪型を変えたからだ。前の髪飾りは重いと言っていただろう」

「………」

「急いでいたので私が勝手に決めてしまったが、気に入らなかったか?」

「いいえ! ありがとうございます!」


 気に入らないどころか、これ以上ないくらいフィリアに似合っている!

 今は俺の身体だが、推しを可愛くしてくれたお礼は素直に言おう。

 意外と悪いヤツではないのではと、我ながらチョロくも好感度をアップさせていると、再度顔を覗き込まれた。


「……あ、あの、殿下。まだ、何か?」

「……」

 しかも今度はさっきより近くて長い。

 赤と青の瞳はジッと俺を見つめた後、フッと吐息と共に閉じられ、離れていった。

「いや、何でもない。学園で会おう」

「ええ……」


 まさか、フィリアの中の人が変わってることに気づかれた?

 昼間の態度は確かに、普段の彼女らしくなかったかもしれない。

 でも一回くらいなら、体調や機嫌のせいで押し通せるはず!

 長くそばに仕えているリトからも「お嬢様、最近塩辛いものがお好きになりましたね」くらいの違和感だ。

 大丈夫、こちらから積極的に長時間接触しなければ問題ない!


 それでも俺は、明日から始まる学園生活では、なるべく目立たず行動しようと心に誓った。




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