第6話 もう一人の転生者

 クレアに誘われた中庭は、朝ということもあり人影はない。

 初めて来た場所だけど、ゲームで見慣れた風景だ。


「単刀直入に聞くけど、君は——君の中の人は転生者なのかい?」


 さっきとは打って変わって真剣な瞳で、彼女は俺に尋ねる。

 やっぱり、クレアは俺と同類だ。


「死んで『ソラトキ』の世界で目を覚ました、という意味なら、そうですわ」

「じゃあ、君は『ソラトキ』のプレイヤー?」

「ええ。ゲームをアップデートした直後に家にトラックが突っ込んできて、そのまま……」

「そうなんだ……」


 痛ましそうに彼女は顔を歪める。


「ごめん、私がもうちょっと早く気がついて、更新を止めていれば……」

「どういうことですの?」

「私は『ソラトキ』、いや『空の彼方、刻の狭間でキミと…』のプロデューサーなんだ」

「まさしく中の人じゃないですか!!」

 関係者だとは思ったが、まさかのプロデューサーとは!


「じゃあ、ゲームのアプデのせいで私は死んだんですの!?」

「多分。でもゲームが人の運命に干渉するなんて、おかしいよね。こんなゲームと同じ世界で生き返らなきゃ、私だって自分の死は偶然だって思うよ」

「……あなたが仕組んだのでは、ないんですのね?」

「まさか! 私は責任者だよ。自分が把握してない、こんな訳の分からないアップデート許可しないよ!? だから慌てて止めて、持ってたノートPCに確認のためダウンロードしてみたんだ。歩きながらね」

「え?」

「会社から帰る途中だったんだ。私の場合、そこで階段から足を滑らして、首の骨を折って死んだ」

「まあ……」


 クレアの表情から、嘘を吐いてると思えなかった。

『ソラトキ』のプレイヤーとプロデューサーが死んだ。

 それだけなら、ただの偶然かもしれない。

 しかし、その二人が同じゲームの世界のキャラに転生したとなれば、何らかの意図を感じずにはいられない。


「誰が何のために、こんなことを……」

「ほんっと、ソレなんだよね!」

 我が意を得たとばかりに、クレアは俺の言葉に勢い良く被せる。


「プロデューサーっつったら神も同然でしょ!? なのに、なんっにも出来ないんだよ! ステータス画面も出てこないし、謎の力で性別反転ハーレムとかさあ、神なら出来ると思うだろ!? それも無理っぽいし! プロデューサーである私を、異世界転生させた意味がまったくないんだよ!! 馬鹿かよ!? やったヤツ!!!」

「怒りのポイントそこですの?」

 プロデューサーは別方向で鬱憤が溜まっているらしい。

 ……ん? ちょっと待て。

 俺が初めて買った成人向け美少女ゲーム『春と冬のあわい〜誘惑の波止場〜』(略して『ハルトバ』)と『ソラトキ』のプロデューサーは同一人物だった気が…………そうだとしたら、


「ひょっとして、プロデューサーさんは男の方……?」

「あ、言わなかったっけ。そうでーす、オッサンだよ⭐︎ さっきはごめんね、抱きついたりして」

 テヘッと可愛くはにかむ乙女ゲーヒロイン(中の人オッサン)であった。


 残念な現実に、俺は軽く脱力する。

 いや、中身が外見と違うのは俺も同様だ。

 今真実を告げた方が、お互い傷は浅いだろう。

「プロデューサーさん。私もあなたに残念なお知らせがあります」

「何?」

「実は私フィリアも、中の人が男ですの。あなたよりは年下ですが、そこそこいい年齢の」

「え」


 クレアはフリーズした。

 無理もない。

 乙女ゲームのプレイヤーといえば、ほぼ女性だ。

 彼女——いや、彼か——にとっても、予想外なことだろう。

 思考停止後、気落ちするのも当然だ。


「妹にディエス殿下の攻略を任されて、プレイしてました。プロデューサーさんの想定するプレイヤーじゃなくて、申し訳ないのですが……」

「……じゃあ」

「はい?」

「こうやって思いっきり抱きついても、事案やコンプラ違反にならないってわけだ!! 良かったー!」

「ハアッ!?」

 斜め上の展開である。


 グイグイ抱きついて来るクレアを引き剥がそうとするも、魔力も腕力も到底敵わないので、なすがままだ。

「どうしてそうなりますの!!」

「だってそうだろ? これが中の人が女子中高生だったら、いくらガワが美少女でも、中身オッサンが抱きついたらダメだろう?」

 実に正論だ。

「でもさあ、オッサン同士なら倫理的にまったく問題ナシ! 良心の呵責なしに美少女二人で、スキンシップ以上のムフフな行為だって楽しめちゃうわけさ! これぞTSの醍醐味じゃないか!!」

 すっごい暴論だ。

 というか、さり気に貞操の危機に立たされてるぞ俺。


「創造主のくせにフィリアを傷モノにするおつもりですか!? この身体は綺麗なままで、彼女にお返ししなくてはなりませんのに!!」

「君、元に戻れるつもりでいるの? 私たち、死んだんだよ? 他に戻れる場所はないんだよ」

 物覚えの悪い子どもを諭すように、クレアが言う。

 力が緩んだ隙に、俺は彼女の腕から抜け出した。


「それはもう取り返しのつかない事ですわ」

「だったら」

「でも! 家主がいない家を勝手に間借りしているようで、居心地が悪いのです。私は、フィリアの心が戻るのなら、今すぐこの身体を明け渡しますわ!」

 これが俺の望みだ。

 俺が成り代わって、フィリアの未来を奪って良いはずがない。

 彼女の記憶から過去を垣間見るたび、強くそう思っていた。


「……君、生前『お人好し』ってよく言われなかった?」

 呆れたように、クレアはフンと鼻を鳴らす。

「たまに言われましたわ」

「だろうねえ。こっちは命を奪われ、勝手に一人称まで変更固定されて、生前の名前まで奪われてんだよ? 少しくらい、いい目見たってバチは当たらないよ」

「え?」

「ん?」

「私の、生前の名前……え? あれ? 何で?」

 言われて初めて気がついた。

 俺の名前が出てこない———


「まー、コッチの世界では不必要なモノだから、なかなか気づかないのも無理はないよね」

「……」

 生前の記憶は確かに残ってる。

 死ぬ前の妹との会話だって、割と鮮明だ。

 ただ、俺の名前に関わる部分は名字を含め、会話の上からノイズが被せられていて思い出せない。


 クレアは俺を慰めるように、

「割と凹むよねえ。生前は自分の名前なんて空気みたいなもんだったのに、なくしてからアイデンティティの一部だって気づくんだから」

 遅いよねえと、自嘲混じりに呟いた。

「超大物有名ゲームプロデューサー様ならともかく、私が出したゲームは良くてスマッシュヒットだし、君だって私の名前なんか覚えてないでしょ」

「……いえ、覚えてます」

「嘘!?」

「多分、ですけど……私、イベント会場で一回だけ、あなたにお会いしましたわ」


 俺は自身の記憶を掘り起こす。

 ……そうだ、あれは夏のとても暑い日。

 キャストの人気声優目当ての行列を横目に、俺はこの人から直にゲームソフトを買った。

 手売り前のステージで、プロデューサーなのに自ら踊って歌って、MCまで務めていたもんだから、強く印象に残っている。

 少しは言葉も交わした筈だ。

 その彼の名前は——


「……さ」

「さ?」

「ササ……そうです、『ササP』さんです! そう呼ばれていましたわ!」

「!」

「あ、でも、ごめんなさい。佐々木さんか笹原さんか、フルネームまでは存じ上げないので……」

「……十分だよ」

「でも、これはあだ名とか愛称で」

「だからだよ」

 深紅の瞳がゆっくりと細められる。


「記憶だけじゃなく、私の生きた証がそこに残ってるんだ。ありがとう……思い出してくれて」


 本当に嬉しそうに、彼女は微笑んでいた。

 先程までの奇行で忘れかけていたが、クレアはヒロインだったんだ。

 その笑顔は目が離せないほど、とても綺麗だった。


「いいえ、どういたしまして」

 見惚れていたのを気取られるのが恥ずかしくて、俺はわざと素っ気なく言った。

「でも私だけじゃ不公平だな。君の名前を知ってたら良かったんだけど」

「私は一プレイヤーですもの、仕方ありませんわ」

「じゃあ、私が君にあだ名をつけてあげよう!」

「は?」


 クレア——もとい、ササPはウーンと唸ると、パッと振り向き、

「君、妹さんがいるって言ったね?」

「ええ、そうですけれど」

「うん、決めた。君は『B君』だ! Bは『brother』のBね!」

「安直!!」

 凄いドヤ顔で宣言された。


「いいじゃん、小中学校の頃とか、ぜんっぜん本名かすりもしない、変なあだ名とかあったし」

「我々はいい大人なのですが……」

「嫌?」

 小首を傾け、可愛らしい顔をするのは反則だ。

 中身が少々アレなオッサンだと分かっていても、無碍には出来ない。

「うー……嫌って程ではないですわ。ピンとも来ませんけれど」

「じゃあ決定! 二人きりの時はキャラ名呼びは紛らわしいから、これでよろしくね、B君❤︎」

「ハア……分かりましたわ、ササPさん」


 ササPがグッと伸びをした。

 長い黒髪が風に攫われ、ゆらりと揺れる。

 そろそろ建物に入らないと、授業が始まる時間だ。

 俺が声をかける前に彼が口を開いた。

「でも良かったよ、B君みたいな子がフィリアの中の人で」

「ササPさんはクレアの【残念】バージョンみたいな人ですわね」

「うん、私がモデルだから」

 やっぱり。

 制作秘話にしても、知らない方が良かったネタだ。


「だから王子や他の攻略キャラにも粉かけないから安心してね⭐︎」

【残念】バージョンに賛否がある理由の一つがコレだ。

 コレになってしまうと、乙女ゲームらしい甘いエンディングにはまず行けない。必ず「俺たちの戦いはこれからだ」エンドになってしまう。

 そりゃあ苦情の一つや二つ、いやそれ以上来るだろう。


 日差しが急に陰った。

 空を見ようと視線を上げると、何故か目の前にササPの背中。


「やっぱり自分好みの子の方が、守りがいがあるからね」


 風がぴたりとやみ、空気が変わった。

 今まで感じた事のない、殺意としか言いようの無い禍々しい波動に、全身が総毛立つ。


 ザザザザザザッ


 姿の見えない何かが、俺たちに凄い勢いで近づいて来た。


「ササPさんっ!」

「大丈夫B君、動かないで———来るよ、魔物が!」


 バッと、地に落ちていた筈の影が立ち上がる。

 ———いや、それは影などではなかった。


 見上げるほどの巨体。

 黒々とした体毛に埋もれた幾つもの目玉。

 そして頭のてっぺんにパックリ開いた赤黒い裂け目から、蠢動する牙が覗く。


 この世界で俺が初めて遭遇した魔物は、まさに悪夢そのもののだった———






 

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