ショート・ショート

砂糖猫

バーバリック・ローズ  side:白兎


「ねぇうさぎさん、私のお話し聞いてくださる?」


 僕を呼び止めたこの声は、今日という日が最低な一日になる合図。

 お城に続く一本道に逃げ場はない。整備された石畳は鬱蒼とした木々に挟まれ、欠けた宝石よりもささやかな花が根元に咲いている。あちこちに生えたキノコは色とりどりで、椅子代わりにできるほど大きい。

 とてもとても不本意な思いを閉じ込めて振り返ると、散り散りに咲いた小さな花たちを踏みしめて、くすんだ鳥の子色の瞳が僕を見ていた。眉を下げて疑問符を浮かべた可憐な少女は、萎れた花束みたいに悲しげな顔を晒して佇む。でも窺い立てるように上がった語尾は別にクエスチョンじゃない。

 彼女はアリス。見た目だけなら庇護欲を誘う、無害なあどけないただの少女だ。そう見えるけれど、そんなものはただのハリボテ。僕は極力アリスと目を合わせないように視線を反らして口を開く。


「急いでるので」

「悲しいわ。誰も私とお話ししてくれないの。悲しくて寂しくて、その長いお耳とまぁるい尻尾をちょんぎってしまいそう」

「五分だけですよ」


 僕の言葉にアリスはこっそり忍ばせていた剪定用のハサミをポケットにしまった。これが命からがらというものだ。綺麗な金髪の下にあるのはずる賢い策略と人を痛め付ける算段。アリスはピンク色の唇をのせた端正な顔立ちを曇らせてこう言った。


「女王様にお会いしたいの」


 小さな唇から放たれたその言葉は、一字一句僕の頭にある文章と同じもの。いつだって彼女にはそれしかない。馬鹿の一つ覚えってページを開いたらきっとアリスの名前がある。

 アリスの空っぽの脳みそに詰められているのはこの先にいる女王様のことばかり。一言目にも二言目にも女王様。ああ鬱陶しい、死ねばいいのに。予想を予想にもしないアリスの発言に僕の耳がぺしゃりと閉じてやる気を無くす。だけどそんな僕の苛立ちなんか気にも止めないアリスは、はらはらと涙を浮かべて演技を続ける。溜まった涙が溢れた瞬間なんて、見たこともないけど。


「女王様はどうして私を遠ざけるの?こんなにも愛しているのよ。私ほど女王様を愛してる人間がいらして?いいえ、絶対にいやしないわ」

「そうですね」

「今日だって女王様の献上品を乗せた馬車を襲って辿り着かないようにしたのに、誰も捕まえに来てくれないのよ。ひどいでしょう、どうしてみんな私の愛を邪魔するのかしら」

「そうですね」


 僕の適当な返事も、悲劇の自分に酔いきったアリスは気にしない。人の話を聞いてないのはお互い様だ。アリスは僕の名前すら聞きやしないんだもの。言ったところで覚えもしないだろうけど。

 アリスはベビーブルーのエプロンドレスを翻して、緑と青色のまだらなきのこに腰かけた。僕も隣の隣のきのこに座る。隣は死んでも嫌だ。アリスは芝居がかった仕草で憂うようにほうと息を吐いた。

 そして一つ訂正するなら、アリスの恋路を邪魔をしているのは周りの人間ではない。女王自身がはね除けているだけだ。くだらないことに時間を割くほど僕ら城の住人は暇じゃないんだ。なんて、心の中だけで呟く。


少し過去を振り返ってみる。

アリスを初めて知った日のことを。




・・・・・


 アリスは、ほんの少し前に女王の薔薇園を荒らした罪で城に連行されて来た。思い出しても本当にろくでもない始まりだ。

 真っ赤な絨毯が敷かれた断罪の間で、極刑の判決を下されるであろう罪人として膝をつかされていた。トランプ兵に槍先を向けられたまだ幼いアリス。中には哀れむ心優しい者もいたくらいだ。

 その手には薔薇達を刺し殺した大きなハサミと、血濡れになった小さな手。薔薇達の断末魔は尖った爪でガラスを引っ掻いたときみたいな騒音だった。

女王の庭、女王の城。女王の懐にあるものには手を出してはいけない。それはこの国の一番最初にある法律。首を跳ねられたくなければ女王の城へは近づかないこと。生まれたばかりの赤ん坊にだって最初に教えられることだ。

 トランプ兵に押さえつけられた薄い身体。白く丸い頬や、青色のスカートにおびただしい血がついていること以外は、遊び疲れた子供そのもの。誰もがアリスに同情していた。


── きっと何か不幸を被り自暴自棄になったのだろう、かわいそうに、もしかしたらルールを知らない新参者かもしれないわ。


 木枯らしのように密やかな憐憫に囲まれたアリスの傍らで、調書係の僕はインクの出ない羽ペンと格闘していた。ぼんやりとしたアリスの眼が死んだ魚みたいだったことだけは、今でもよく覚えている。

 しかし女王が現れた瞬間、アリスの眼はそれまでの同情を裏切って、朝焼けくらい輝きに満ちていった。トランプ兵の拘束を押し退け、ドレスの両端を掴み恭しく頭を下げる姿はまるで謁見を許された客だ。罪人のくせに。

 僕やトランプ兵達が向ける戸惑いすらも目には入りませんとばかりに、アリスは一心に女王だけを見つめていた。

 ばさりと女王のドレスが音を立てる。それだけでそこにいる皆がびくりと肩を揺らした。黒いピンヒールが壇上で攻撃的な音を出す。

 床につきそうなくらい長い黒髪、薔薇をイメージした赤いドレス。そこに立つのはうっそりと笑う、確かな支配者。


『お前が、わたくしの薔薇を殺したのだね』


 詰問が始まる。女王の美しく鋭い声がその場の空気をマイナスまで冷やした。彼女の纏うひりついた空気は、髪色と同じ真っ暗な瞳と、対称的な真っ白な肌の下で完成される。

 女王の名前は自分の歩幅を知る前に誰もが教わることであり、その誰もが歩幅が変わる頃に忘れる。呼ぶことがないからだ。

 道端に転がる虫の死骸を視界にいれてしまったときみたいに、アリスを見下ろす女王の双眼にはたくさんの嫌悪が込められていた。それでも、立ち込める殺気を満点の星空にでも見間違えているのか、まろい頬を淡く染め上げながらアリスは女王だけを視界に入れていた。


『はい、はい女王様。アリスと申します。仰る通り、私があのお喋りな薔薇を全て切り刻みました。笑い声がうるさくて、我慢ならなかったんです』

「…大変に素直。頭の中にはおがくずでも詰まっているのね。わたくしが直々に、その軽そうな首をはねてあげるわ」


 女王の端正な顔が歪み、命の天秤が傾く。しかしながら女王の言葉を聞いてアリスは絶望するでも泣きわめくでもなく、断罪の場にはおよそ不釣り合いなほどにうっとりとした溜め息を漏らしたのだった。


「── 首を?私の首を、はねると仰いましたね?それは、そのはねた私の首は一体どうされるのですか?」

「そうね、私の部屋に飾りましょうか、それとも蝶の標本と一緒に並べましょうか。うんと美しく飾ってさしあげてよ」


 その言葉を聞いてアリスの顔に浮かんだのは、自分の世界が初めて開かれたときに似た喜びだった。


『ああ本当に?本当に私の首を置いてくださるの?嬉しい!首だけになればずっと貴女の側にいられるわ!なんて輝かしい未来かしら!私、ずっとずぅっとこの瞬間を待ち望んでいたの!!』


 アリスのはしゃぐ声は大きく広がる。ああ何てうるさいんだろう。女の人の甲高い声は僕がこの世で一番嫌いなものなのに。

 感極まるとはこういうことだろう、きっと例文として辞書に載る。

 赤く染まったハサミがアリスの手から離れ、からんと音をたてて床に落とされた。ハサミについていた血が滴る。

 祈るように胸元で手を合わせるアリスの興奮しきった声に、そこにいた全員が固まった。


『その声で私の名前を呼んでくださるのを!その指で私の髪を撫でてくださるのをずっとずっと夢見ていたの!!ああ、ああ女王様、どうか私をずっとお側においてくださいましな!枕元でも足元でも、貴女のいる場所に!』

『うわ…』


 いけないとは思いつつも、気持ち悪くてつい声が出てしまった。

気持ち悪い愛の断末魔。告白なんて可愛いものじゃない。可憐な少女の口から吐き出されるのは愛、愛、愛。歪んでいるのが世界なのかアリスなのか、こんなところで倫理を出しても仕方がないのだけど。

 異常な国の異常な場所で、異常な告白を叫ぶ異常な子。まぁとっても素敵なシナリオ、吐きそうなほど。強制的に聞かされる気持ち悪い愛の告白、未だに固まるインク。最低で最悪な一日。

 目の前の喜劇を死にたい思いで眺めていたけれど、それを制したのはやはり女王の痛いくらい赤い唇だ。


『お前は、わたくしのものになりたいのだね』


 女王は静かにそう問いかけた。


『はい、女王様!貴女のものになることが、貴女の手ずから殺されることが私の幸せです!』

『あいわかった。では、すぐに釈放するとしよう』


 その言葉にえ、と呟いたのは果たして誰だったか。

アリスの笑顔が、ぴしりと固まった。曇天の中の雷みたいな衝撃を与えたまま、女王は続ける。


『気味の悪い子。それがお前の望みなら、わたくしはお前の首を跳ねることはせぬ。部屋にも置かぬ。わたくしの目に入ることの一切を禁じ、お前が今後何をしても、それを咎めぬ。それが望みだというのなら、お前という存在の全てを忘れてしまおう。さぁ、連れておゆき』


 女王が木槌の代わりにカン!と釜の先を叩きつけて判決を下した。女王は賢く、そしてひどい人なのだ。

判決を聞いた途端アリスに浮かんでいた喜色はすっかり消え失せ、この世の終わりのような絶望を滲ませた。まぁ同じことだ、アリスにとっては。

 可憐な少女の恋は、呆気なく根ごと引き抜かれる。アリスが殺した薔薇達みたいに。お望み通り女王の手で殺された、アリスの恋心。

 呆然と人形よろしく動きを止めたアリスは、トランプ兵によってようよう城から追放されたのだった。


 しかしアリスは諦めなかった。めげなかった。女王へ会うためにどんな手もつかった。新しく来たメイドを襲い、荷が届けばその荷をぐちゃぐちゃにして海に捨てる。それでも女王は現れなかった。述べられた通り咎められることもなかった。メイドは次から次へと代わりが来たし、荷は空から届くようになった。

 罪人が許しを望めば首をはねられる。でもアリスは、女王の手ずから殺されることを望んだ。だからアリスは殺されない。女王はひどい人なのだ。望むものを、決して与えたりしない。皮肉だなと思う。





・・・・・


 過去はおしまい。

 そんなわけで今日も、城の周りを彷徨くアリスに何度目かの襲撃をうけている。毎日毎日よく飽きもしないな。死ねばいいのに。


「ねぇうさぎさん、貴方は女王様のお城の人なんでしょう」

「いいえ」

「貴方の耳をちょんぎって贈ったら、女王様は私の首をはねてくださるかしら」

「いいえ」

「役立たずのうさぎね、いやになっちゃう」


 今日は雲ひとつないいい天気、みんな死ねばいい。僕だけが残った世界はきっと何より美しいに違いないのに。

 あと一つ言わせていただくなら、役立たずなのはきっと僕だけじゃない。女王の配下が一人消るくらいどうってことないからだ。女王は僕やトランプ兵、城の住人が誰か一人欠けたとしても気付かない。女王が大切なのは宝物庫にある宝石だけだもの。


「じゃあ今度女王様の好きなものを調べてきてくださらない?役立たずのうさぎさんでも、それくらいはできるでしょう?」

「いいえ、できません」

「好きなスープの味がわかれば材料を揃えて作れるわ。でも、女王様に食べてもらえるだなんて、料理でも嫉妬で全部叩きつけてしまいそう」


 相変わらず残念な頭だなぁ。

 好きなもの、適当にヴィシソワーズとでも言っておこうか。それならマッシュポテトになっても支障はない。どうせ口に入ることなんてないんだし。

 僕は腰かけていたピンク色のきのこから立ち上がり、馬鹿なアリスでもわかるように懐中時計を掲げた。


「もう五分たったんで失礼します」


「あら、それじゃあねうさぎさん。ごきげんよう。また会う日まで」


 その会う日はきっと近い。それまでに死んでてほしいな。僕の願いは届くだろうか。

 三時を知らせる鐘の音が響くと同時に僕は駆け出す。「何でもない日乾杯!」と騒がしい声が森の奥から響いた。

    

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