猫の早峰くん〜人探しに猫の手を借りた話〜

halhal-02

猫の早峰くん

 その猫は姉ちゃんの猫だった。


 大学生の姉ちゃんは背中が黒くて腹が白いその猫の事を『早峰はやみねくん』と呼んでいた。


 なんで人の名前だったのか僕は聞いてみたけど、姉ちゃんはにこりと笑うだけだった。


 家族の誰かが名前を呼んでも返事すらしない『早峰くん』は、姉ちゃんが呼ぶ時だけ「ニヤァオ」と返事して擦り寄ってくる。


 夜に寝る時もそうだ。


 姉ちゃんの布団にだけ、ビョンと飛び乗って丸くなって寝る。


『早峰くん』はそういう猫だった。





 ある日突然に——。


 本当に突然に僕らの父親が連絡も無く行方不明になった。


 母親は努めて僕らが——特にまだ中学生の僕が——心配しないよう、「仕事で遅いだけだから」とか、「忙しいみたい」とか言っていたけど、時間が経つにつれ血の気のひいた顔になっていくのは見ていてわかった。


 どうやら母はおじいちゃんとかおばあちゃんや、警察の人と連絡を取っているみたいだったけど、まだ僕にははっきりとは教えてくれない。


 僕は姉ちゃんの部屋の戸を叩いた。


「姉ちゃん」


「何?」


 僕が話したい事かわかっているくせに、姉ちゃんは僕の顔も見ないでお出かけの準備をしていた。


「姉ちゃん……お父さん、どっか行っちゃったのかな?」


「……多分ね」


 そう言うと姉ちゃんはお気に入りのバッグを手に僕と入れ違いに部屋を出て行く。


「姉ちゃん!」


 僕はこんな時に外出する姉ちゃんが憎らしくて、閉じられたドアを睨んでいた。


「ミャア」


 不意に、僕の足元に『早峰くん』がやって来た。姉ちゃんのベッドの上で寝ていたみたいだった。


 僕は込み上げる不安を『早峰くん』に押し付けようと、彼の緑色の瞳を見つめながら心の内を打ち明けた。


「ねえ、『早峰くん』。うちのお父さん、どっか行っちゃったみたいなんだ」


「ミャア……」


「僕、怖いよ。どうしたらいい?」


『早峰くん』は珍しく僕の足に擦り寄ると、「ミャアミャオミャー……」と話しかけて来た。


「なに? 僕の言うことわかるの?」


『早峰くん』はうんうんと頷くと、僕の言葉を待った。


「……お父さんを見つけて」


 僕がそう頼むと、『早峰くん』は開いていた窓からぱっと飛び出して行った。




 それから程なくして、練炭を積んだ父親の自動車が遠くの高速道路で見つかり、パトカーに停車させられた父は大人しく家に戻ってきた。


 僕が気がつかなかっただけで、どうやら会社でパワハラにあっていたみたいだった。思い詰めたあまり、そういう行動に至ったと言うことらしい。


「無事でよかった」


 母は涙を浮かべてそう呟き、僕も詳しい事情がわからないなりにほっと胸を撫で下ろした。


 そこへ——。


 姉ちゃんが帰って来た。


 こんな時に出かけてるなんて、と嫌味の一つも言ってやろうと、姉ちゃんの部屋の戸を開ける。


「姉ちゃ……」


「早峰くんがいない」


 僕はギョッとした。


 死にかけた父親よりも猫の方が気になるなんて、いつもの姉ちゃんじゃない気がする。


 姉ちゃんは血の気のひいた顔で繰り返した。


「早峰くんは?」


 そういえば『早峰くん』はあれから姿を見ていない。僕は『早峰くん』に父を探すようお願いした事を話した。


「なんて、こと、なの」


 姉ちゃんは途切れ途切れにそう言うと、ベッドにドサッと腰を落とした。


「『早峰くん』が見つけてくれたんだ。きっと」


 僕がそう言うと姉ちゃんは僕に苦しげな目を向けた。


「早峰くんは、猫じゃないの」


「は?」


 戸惑う僕に、姉ちゃんはそばにあった写真たてを寄越した。大学のサークルとかの集合写真だろう。大勢の人が映っているその中に、姉ちゃんがいた。


「隣の男の人が早峰くんなの」


 姉ちゃんが指差す男の人はにっこり笑っていて、目つきが確かに『早峰くん』を思わせる。


『早峰くん』は姉ちゃんの彼氏だったそうだ。そして家族に紹介する前に行方不明になったと、姉ちゃんは寂しそうに教えてくれた。


「でもなんであの猫が『早峰くん』なのさ?」


「それくらいわかるよ。あれは早峰くんなの」


 早峰は、亡くなる前に通い猫の白猫にお願い事をしたらしい。たわいもない事だ。喧嘩した姉ちゃんと仲直りしたいって、そんな事だったらしい。


「私たちは仲直りして——早峰くんは居なくなった」


 偶然だ。


 別に『早峰くん』が父を連れ戻してくれたかどうかはわからないじゃないか。


「私も父さんを探しに行ってたのよ。昔遊んだ公園とか、お店とか」


 姉ちゃんは姉ちゃんで心当たりの場所を探してたわけだ。


 知らなくてごめん。


「私こそごめんね。あんたの言う通りよね。早峰くんのおかげかどうか、わからないよね」


 そう言って姉ちゃんは僕の頭をぽんとたたいた。





 それから——姉ちゃんは行方不明になった。『早峰くん』にお願い事をしたのは僕なのに、なぜか姉ちゃんが居なくなった。


 姉ちゃんが姿を消してから、少し経ったころ、玄関に気配を感じて僕はドアを開けた。


「ニャアァ」


 茶色のサバトラが慣れた様子で入ってくる。


「——姉ちゃん?」


「ニャア」


『姉ちゃん』は帰って来た。





 終わり

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