エピローグ
空気が,ずっしりと肩にのしかかるようで,息苦しさすら感じる
「・・・まるで水の中のようだぜ。」
国王がぼそりと呟いた。言い得て妙であると長官は頷いた。質感などないはずのそれがまとわりつくように感じられるのだ。
重そうに腕を上げて,国王は扉に手をかけた。
コマを送るという言葉はこの時代にないが,扉は不自然な遅さで押し開かれた。
その,とき。老い先短い身の心臓がよく持ったものだと思う。決してなだらかではなかった人生で,この期に及んで一番の衝撃だったと長官は反芻する。
初代国王の側近4人が,シンラから賜った国の守り刀。聖亖剣。鞘を使い手の肉体とする聖なる剣。一本一本もそれぞれ異なる秘力を持つが,伝説では国王はその力を束ねて太刀となし,山を吹き飛ばし,平野にしたとも〈いま王都が建っている地は天を衝く山が聳えていたとか〉語られる。
掌から掌へ,剣は
それが!?
物憂げな横顔は,神域に佇む古い神像を思い起こさせた。み振りの剣が,彼に捧げられた宝物ように,彼の肩の高さの宙に浮いている。み振り・・・いや、よ振り。いま一本は,彼の左半身に埋め込まれながら、そのかたちを透かしながら、他の剣同様,その名の色で明滅していた。
呆然と,彼がコトの始末をつけるのを見守って,脇狂言も空夢のように眺めて城内に引き上げてから、
「言えるわけがないでしょう。」
彼らの「言い訳」を聞いたのだ。
「自分が化け物だって,言いたい訳がない。でも,ふつうの、一本帯身の,四方司の一、じゃ,何もない国王の支えにはなれない。」
ふつう、と言ったところで、彼は僅かに顔を歪めた。身体から剣を出し入れする人間を,確かに普通は「普通」とくくらない。
だからの,2本。前例のない「両爵」たることが,青年の身分を押し上げ,春宮の後見たる理由となり,継承権こそないが,誰もが彼を国王と比肩する存在と認めた。新国王と,第一継承者にして唯一の継承者が年若い王女という,野心家に暗殺を試みて傀儡をつくれと誘わんばかりの状態は,双頭として青年が立ったことで回避されたのだ。正式な両公位に加え,東宮が預かることになった蒼公位を立場上後見し,その行きがかりのように最後の白公位も預った。ゆえの四方公爵。遠海軍筆頭元帥、旧『凪原』領総督、〈暁〉大公。常態なら,互いに掣肘しあう地位を独占する青年は,国王という地位こそ上にあるが,現行,国王の権力行使(独裁)を妨げる法はあっても,いまの青年を止める法はないのも,戦後を抜け切れぬゆえの歪さだった。
増徴,逆心を訳知り顔で心配してみせる輩もいるが、二人の友誼は傍目にも固すぎるほどで、そしていま長官はその絆の深さを心底感じている。
化け物,と自虐したが,四本を継承していると明かせば,「剣主」たることを理由に彼こそが正当な国王と、と神聖主義者の声は大きさをいや増し,王権を不安定にしただろう。
青年は,左の脚から取り出した蒼の剣を,ひっそり静まった玉座の間の,とある窪みに収めている。
「こいつが一番縁遠いんで,外しやすいから,王都の守り刀やらせてるんです。」
正しく継承したのは玄と朱で,白は「死ぬかわりに,埋め込まれた。」ので取り外し不可。3本持ってしまったので,残り一本も引き寄せられて,しょうがないから受け取っている・・・らしい。
「それがないと・・・何か困ることが起こるのか?」
わざわざ、城(都)に取り置くには理由があるのだろう。
公爵と国王は,まるで鏡のように片眉を上げて互いを見たのだ。
「・・・私たちもよく理解しているわけではないのだが、」
「挙句どうなるか、は【凪原】のさまで実証済みなんですが、」
毒を食らわば皿まで,と長官は目じりに力を入れた。
「お聞かせ願いましょう。」
「・・・デューンどのが俺たちにした説明によると・・・ですよ?」
言葉では難しいから道具がいる、と国王の居間に移動して、酒肴とともに水をはった深皿と厚手の紙が一枚用意された
公爵は肴のカナッペから具を落としたクラッカーを片方の深皿に次々に投入している。表面がだいたい埋めつくされたところで、浮かぶクラッカーの一つをパシリと叩くと、クラッカーごと水が凍りついた。目を丸くした長官と,便利だな、と呟いた国王と、人外だろと溜息をついた公爵と。
「デューンどの曰く、これが俺たちの住まう大地の様だそうです。で、まず界落は、」
凍った皿の上に平行の位置で,紙を掲げた。上からナイフで何本かの切込みをいれ、指で押すと,切られた部分が下に下がる。
「この界罅から、いろいろ〈落ち〉てくる。普通はそんな大きな切れ目はできないから、皮膚にできた切り傷みたいに修復するそうです。対して,融界というのは、」
指が一つのクラッカーのまわりをなぞった。その部分の氷が解けて、クラッカーは水を吸って膨らみ、形を崩しながら水底に沈んでいく。界罅の穴から,剥がした具の幾つかをめがけて落とすと,その衝撃で沈下速度は増した。そうして,ぽっかり空いた穴を指して、「凪原」と言う。
別のクラッカーで同じことをし、ただ一点を再び凍らせた。そして,「我らの都」・・・と。
先の場合よりは浮いていたが,解けたままの端から少しずつ崩れて、落とされる具に平衡は崩されていき,同様に穴が空いた。
事象を咀嚼するように,長官はゆっくり目を上げた。
「この王都が
静かな微笑は肯定。
「・・・なるほど、故の〈暁〉だったわけか。」
声がかすれる。
人心一新のために遷都を行う、と国王が詔し,凪原が〈落ち〉る前にできるかぎりの資材を運びだし,公爵が全権を与えられて,急ピッチで造営が続いている。
「・・・いつ、」
蒼の剣がおそらく、その凍らせた一点で,崩壊を食い止める力を放っているのだろうと推測する。
「デューンどののしゅみれーとというシンラの占いの結果は、あの時点で5年から8年? 凪原王都は七ヶ月で,九ヶ月でしたね。」
起こる起こらないではなく,「占」われるのは猶予というのに,彼らはもう「驚く」を突き抜けているから、非常に淡々と、恐ろしいことを言ってくれる。
「ただ,封の緩みはいかんともしがたい。今回のような〈界〉獣の寄生が続くと、界罅が生じやすくなる。力具合と、あとは量によっても,融界へと進む確率は上がるから・・・」
本来は〈界〉獣などの侵入を防ぐ王都の土地の封じが弱まり,そこに〈界〉獣が集まって何がしかの異能を放つことで,さらに不安定さが増すらしい,と理解する。
つまり王都はかなり危機的な状況なのだ。
「・・・四年後にはあちらにいたいものです。」
頑張りましょうと,公爵はたいへん軽く話を締めた。
長官は王宮内に与えられている自室に下がり,それを送りながら,これも自室に向かっていた公爵は途中,ふらり亖剣の座といわれる古き謁見の間に立ち寄った。先祖に祈りを捧げたいと扉を開けさせ,広間の中央付近で立ち止まる。半地下にも関わらず差し込む月光が蒼く大理石の床を染め上げている。
公爵は右手を軽く握りこみ,掌を上に向けて開いた。細く煙のようなものが立ち上り、それは空気に溶けることなく、ひとつの影を結ぶ。
「やあ、影齧りどの、」
囁くように,公爵は語りかけた。
「夕方にあれで結構回復したんだろ? 欲をかかねばよかったのに。まあ,追いかけてくるかなと痕跡を残しはしたけどね。実体を吹き飛ばしはしたけど,こっちもまさか融界が引き起こされるとまでは思ってなかったから,・・・運が悪かったな。」
抗議を表しているのか,煙が大きく震えた。
「魂はこうして保護したわけだし,そんな恨めしそうな気配を立てられては困る。それとも,あんたはそのへんの虫や動物か,運よく転がっていた死体に憑依いた方が良かったのかな?」
そんなわけはないから,「影齧り」などで,生気を集めて何とか生き延びようとしていたのだろう。沈黙した相手に,公爵は微笑んで見せた。
「で,取引なんだけど?」
更に抑えた声で続いた「契約内容」に,煙はゆらゆら震え,幾許かの後,明滅する蛍のような灯りに変わった。
「成立だ。」
掌に乗ってきた灯りを,朱金の光が包み込んだ。ふわりと高く浮かび上がり,天井の一角に消えていく。
そのまま扉を振り返った公爵は,いつの間にか閉じた扉に背を凭れさせてこちらを見ていた国王と視線を合わせた。
「必殺、先送りだ。」
「苦労性だな」
聞くものがあれば,首を傾げるやりとりも彼らの中では噛み合ったらしい。言葉は続かず,穏やかな笑みが渡された。
国王は扉を押し開け,横にするりと並んだ公爵の肩に手を回し,彼らは並んで広間を出て行った。
いまは、それ以上のことは、なにもない。
彼らがいなくなった、だれもいなくなった亖剣の間の天井や壁が、まるで星空のように煌めいている理由を語る者はいない。
五花陸の物語 亡国の王子は偶然出会った傭兵をけっして手放さないから、頑張って過重労働に耐えてほしい。 安東真夏 @min34546
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