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 篝火の作る光の輪が、風向きで広がったり、闇に落としたりする丁度狭間に彼は立っていた。手には兵士たちと同じ、木のジョッキ。街はすっかりお祭り騒ぎで、城壁ここまで上がってくる陽気な音楽に耳を傾けているのか、時折頬に微かな笑みが過ぎる。

 姿に気づいて、最敬礼しようとする夜警の兵士を軽く手を上げて制する。夜風は酒精にほてった頬に心地よい。危急でも、相手が逃げる心配もないから、ゆっくり歩いた。彼も十分に距離が縮まったところで、ようやく視線を寄越した。

「いい風だ。」

「夕涼みですか? 元帥」

「どちらかといえば、酔い覚ましだな。」

「ではこちらへ、川から良い風が来ます。」

  一歩後ろに下がって、場所を空けた。黒々と闇に沈む森を渡る風と、いまは緩やかに流れる川の音、そして水の匂いがする。

「・・仕事熱心だったようだな。」

 捕虜の処遇や接収されていた建物の解放・確認、本陣の設置に有力者との面会・・・戦の後には膨大な処理案件が待ち構えている。

 通常の軍ならば、長けた文官が同行しているが、天旋軍には勿論いない。ダユウから派遣してもらうよう使者を立てたが、到着までは数日がかかる。

 とはいえ、「待て」とはいえぬ案件もある。なれぱ,やるしかない。

「成り行きですよ。」

 さらり、と笑った。

 勝利と解放の歓喜に湧く街には、過ぎし日々の苦さを追い払おうとばかりに、天の星に勝るほどの灯りが瞬いている。

 彼らは今日、大戦の始まりになった街を取り戻したが、それで奪われたもの破壊されたものが元通りになるわけではない。そして、何より、街を脅かすは歴然と築かれたままだ。

 河のほとり、ソコに灯された明かりだけは、ひどく張り詰めて、闇に存在を主張している。

 彼が手を振ると、兵士が酒杯を両手に運んできた。

「お口に合うかは分かりませんが。」

 なみなみと注がれているのは麦酒だ。

館内なかの葡萄酒も良い口当たりでしたが、俺はどうもこれが飲みたくて。」

 味方の犠牲は少なかったが皆無ではない。乾杯ではなく献杯だ。

「今日の戦策は見事だった。」

 唐突に響いたかも知れないが、これを言いに、今日もいつの間にか姿を消した彼を探して来たのだ。

「----恐れ入ります。」

「世辞ではないぞ。」

 きっぱり言えば、困ったように首を傾ける。

「・・・ありがとうございます。」

 奇抜な人工色と無造作に伸ばして,適当に束ねた感の強い髪はシュザーンの良識からはかけ離れていて彼を苛立たせるが,なのに佇まいと雰囲気は逆にすとんと収まってしまう。

「レイドリックどのも、改めてお礼を申し上げる。本当に神弓と称されるに相応しい腕前だ。あなたでなければ、俺はいま、うまくいって寝台の上、下手をすれば墓の下だ。」

「-----おれには、あんたこそ有り得ん。」

 出会ったばかり、しかも「親の仇」と呼んでいい相手に、作戦の肝とは言え、ああも躊躇いなく、胸(まと)を晒した。

「策を出したのは俺だからな。俺があなたを信じないで、策にみなを乗せるわけにはいかないでしょう?」

「では、おれを全面的に信じたと?」

 それはそれで気味が悪いが、

「いや? あなたも人間だし、うっかり指が滑ることも、突風が吹いたり、俺の馬の耳に蚊が飛び込んだりもするかも知れない、とは思い描くくらいは。」

 何事もなく良かった----と笑うところではない。

「あんたは----博打好きなのか?」

 嫌味を込めて言ってみるが、

「俺は大穴狙いの賭けはしない。地道に、元手からちょっと儲かれば嬉しい。」

「・・・と?」

 頬が引き攣った。歴戦の将軍率いる兵団を壊滅させ、甲羅に篭ろうとしていたサクレの駐屯軍を引き摺りだして叩き潰してのけたのだ。

「立役者がこんなところにいるのは感心せんがな?」

 サクレを完全解放に導いたひとりは、

「それはライとチシャ・・いや、カノンシェル姫ですから。アステの野の野戦を率いたのはライヴァート王子の勇猛さで、サクレの城門を開かせたのは幼き大公姫の勇気だ。」

 事実だろう。しかし。

「そなたの献策と献身を抜いては語れぬと、わしは思う」

「うーん、でも彼らは困ってしまうと思いますよ。」

 その口調は心配そうに、とでもいえばいいのか。

「どこの誰とも知れない、軍師っぽく振舞っている若造なんて、どうでもいいと思いませんか? サクレは、たったひとり遺された王子様と、卑劣な侵略者と最後まで戦い、首を城壁に晒された、敬愛していた領主の小さな孫姫が、自分たちを救おうと帰還ってきた----それを見るべきです。」

「己はあくまで裏方で良いと----見事な献身だ。」

 嫌味なのか、感嘆なのか、味付けは己自身も分からないままだった。薄暗がりの中で、彼はこちらの表情をしばし窺って、やがて小さく頭を振った。

「ライは、十年かけて得たものを捨て、己を捨てた国に戻ってきた。あっちで黙っていれば、だれもヤツを責めはしないのに。カノンは、己を守るために命を賭した祖父や母の想いをひたすらに受け止め続けることを選んだ。どこかで、ひっそり誰かがつける決着を待つことを選んでも誰もあの子を責めない年齢だというのに。だから、あいつらの覚悟こそ認められ、讃えられるべきものだと思っている。俺も遠海の産ではありますが、あいつらと会わなかったら、遠国で荷運びを続けていたでしょう。俺は全部、成り行きに成り行きを重ねてるだけで、」

「覚悟が足りなかった、というのがそなたの引け目か。では覚悟を持つがよい。」

 じろり、と元帥は彼を睨む。

「・・・いや----違うな、そなたは既に覚悟は持っておる。僅か数日だが、そなたには確固たる意志がある。天旋軍を勝たせたい、そのためにそなたは野原や森林を歩き回り、兵糧に目を配り、寝る間を惜しんで策を廻らせ、戦場では自らの身が危険に晒されることを厭わぬ。これを覚悟がなきものができるものか。」

 目を丸くした彼は、少年のような表情だった。いや、実際、二十歳を一つ、二つ越えた若さなのだ。彼も、彼のまわりのだれもが。それは活力を呼び、進取の風を巻き起こし、この勝利への道を切り開いた。

「もっと我儘になれ! ほしいものをほしいと申せ! その年で達観してみせるなぞ気色悪いわ! そなたは殿下や姫君のそばにいたいのだ!」

 大人がいない。お節介で、無遠慮で、頭ごなし決め付けてやる「大人」が。

事情なぞ、知らぬ。エヴィでもヴォルザでも、どちらでもなくとも、殿下は構わぬと仰せだ。なら、おまえも好きにするとよい。どんな名前だろうが、墓の下まで持っていけば、墓石には永久に刻まれぬわけだしな!」

 足元、すぐ近くからひときわ陽気な歓声がはじけた。唖然と元帥の「高説ぼうげん」を聞いていた彼が、我に返ったように瞬いて、そしてくっと笑った。失礼を,と笑い,そして深く一礼した。

「ごもっともです、元帥。」

 声が深い。

「ひよっこが一人前の口をきくでないわ。」

 憮然たる顔で元帥は彼に背を向けた。戻るぞとレイドリックを促し、正しい頑固老人の振る舞いとばかりに、肩を怒らせてその場を去った。レイドリックは一度振り向いた。城壁に背を預け、右肘を置いて、彼は自らの肩越しに川べりで揺れる灯火をじっと見つめていた。正確には、そこに築かれた『橋』を見て、いた。


 シンラは「人」と「門」と「柱」を残し、眠りについた----と『聖伝』は記す。

 「柱」は「人」に与えられた試練なのだという。「人」が総ての「柱」を倒した時に、神は「門」を開き、「人」は楽園に迎え入れられる

 各地に、「シンラの門」と称される奇妙な巨石群が点在し、人の知恵では計り知れぬつくりの、ひとを拒み、幾時代に渡り挑むものを飲み込んできた「柱」となぞらえてよい「謎」がある。

 「柱」は、ある時代に、しかるべき英雄に、倒されて、きた。

 例えば。

 古くは伝説が語る。『北の花陸ノーデ』を中央で二つに分け、神に愛されなくては越えられぬといわれた氷牙山脈。それを穿つ『幻夜の大洞窟』が踏破されたあと、最短のその洞窟は崩れ落ちたが、山脈は運に見放されなければ越えられる道となった、と。

 近くは『海皇』セディルリーヴが、『双異翼の柱』を倒してのち、蒼苑海は明らかに、ふつうの経験と季節風を読んで、知って、渡れる海になった。

 前者は『北の花陸ノーデ』の文化を進め、後者はいままさに人や物が、以前とは比較にならぬ程、動き始める大航海の時代を招こうとしている。

 もういないシンラは、いまなお時代を創っているのだ。

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